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夜のオネエサン@文化系

2020.01.24 更新 ツイート

男の子の夢はいつだって殺人~アイリッシュマン鈴木涼美

(顔に小さな装置をつけて撮影して後でごく自然なCG加工をすることによって)あの頃のデ・ニーロやアル・パチーノに会える! というのが触れ込みの一つであったスコセッシ「アイリッシュマン」は、そのシワが消えてたるみが消えてリフトアップされてトーンが明るくなる、女の子の夢みたいな技術に彩られている割に、のっけからパンパンという超軽い銃声で人が死に、その後もどんどん人が死に、最終的には仲間をも裏切って殺す、正統なマフィア映画だった。

勢いがついて久しぶりに「タクシードライバー」と「グッドフェローズ」を観た後、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」と「ゴッドファーザー」も観返して、「ディパーテッド」から派生して香港ノワールの「インファナル・アフェア」まで観終わったところで、昨年のカンヌでパルムドールを受賞した韓国映画「パラサイト 半地下の家族」を観に行った。

 

1週間で随分人が死んだなぁと思いながらも、実際の世界ではさらに倍速で人なんて死んでいるし、映画のパンパン軽い銃声よりもっとさりげなく命なんて尽きるものなので、映画はやっぱりロマンチックなんだろうとも思う。

女の私からすると、スコセッシ映画でも香港ノワールでもヤクザ映画でも、男のロマンチシズムに軽めの性欲は満たされるものの、そういう世界観をわざわざ作り出したり、そういう世界観なしでは生きられなかったり、そういう世界観を食い入るように見つめては満足して、普通の、そこそこ命が重くて軽い日常に戻っていったりする、そんな男の子たちのことは結局のところよくわからない。

人の死をどんなに限りなく軽い銃声でロマンチックに描いたとしても、ひとたび日常に戻ればお腹は空くし、世間の荒々しさが荒々しくあればあるほど抵抗したくなるし、人はどうしたって命を守る方向に動いてしまう。それがどんなにみっともなくとも、死をただの陰鬱な気分を齎すものとしてではなく、強い後悔と大きな畏怖の対象として目を逸らしてしまう。そんな自分の命を、せめてフィクションの世界ではたまたま運良くいまだに転がっているもの、という程度に感じていたいのだったら、現実を生きるという生の感覚は、男の子にはやや重荷に過ぎるのか、とすら思う。

シワをとったりくすみない明るい肌のトーンに戻ったりするのは確かに女の子の夢ではあって、みんな大金を投じてまで必死にその夢を守ろうとするのだけど、そもそもそれがなんでそこまでの欲望を喚起するのかと考えれば、女の子のフィクションが常に特別じゃない私と特別な私の境界で紡がれるからだ。

その起点が別冊マーガレット的にフィクションにフィクションを重ねるような「フツウの女の子」にある場合もあれば、ブリジットジョーンズ的にリアルにフィクションを重ねるような「普通の女の子」にある場合もあるけれど、いずれにせよ謙虚なまでに凡庸な私は、私自身が変質することや人を殺して生き残ることではなく、凡庸さの範疇から数ミリ伸びた髪や爪やスカートを見つけてくれて、凡庸な存在ではあるけれど、そんな凡庸な私を凡庸なまま、世界中の誰よりも特別な存在としてくれる人との出会いによって、生きるのに耐えうるくらいは特別な私になれる。これが伝統的な女の子の夢のセオリー。

そう考えると普段の生を重過ぎるものとしてフィクションの世界に命の粗末さを求める男の子と、普段の己を軽過ぎるものとしてフィクションの世界でせめて尊い存在にならんとする女の子は、綺麗に対をなしてさえいる。

だから少女漫画における人の死は最後まで人の心を支配するほど重く、男の子映画の恋愛はたとえ相手がファム・ファタールだとしても、最終的には自分を変えてはくれないし簡単に他の男にとられるし死んだりもするし、自分を尊い者に変えてくれるどころか、いよいよ自分が何者でもないことを実感する契機にしかならない。

逆説的に考えれば、命の重責から逃げようとする男の子の方が、自分の何者でもなさを認められない性質を持っているとも言える。普段どうしたって自分が大切で重めの存在であるという幻想から逃れられないから、軽々しく死にまくり、それをウンともスンとも思わないフィクショナルな主人公に憧れる。

女の魂は逞しいので、とるにたらないほど軽い命から逃げたりせずに、やはりとるにたらない相手とファンタスティックな化学反応でも起きない限りは、凡庸な身体のまま死ぬのだという事実とともにある。ミラン・クンデラが耐えられないとすら言った軽さなんていうのは女子が日常的に感じてるものであって、勿体ぶって指摘するようなことでもない。それは女性の存在が男性に比べて軽んじられてきた歴史と無関係ではないだろうが、歴史に甘やかされないことで強さが証明されたのはむしろ女の方だろう。

「アイリッシュマン」が正統でありながら、かつての名コンビが成熟しきったところで生まれた作品だなと思うのは、アル・パチーノ扮するトラック労組の委員長の命にだけ、ややリアルな重みが残るところだ。あらゆる殺人を請け負ってきたデ・ニーロも、それを在庫整理くらい軽い手つきであやつるジョー・ペシも、彼の死にのみ嫌な気分を隠さない。別に現実世界で彼らがそうであるように、乗り越えられないほど大きくもないし泣いたり叫んだりはしないけど、老人になって初めて弱さが見せられるのだとしたら、やっぱり男はちょっとナイーブに過ぎる。

強者としてしか生きられなかった男と、弱者としても生きながらえた女が、肉体的にも精神的にも交わる社会で、全員がその非対称性に対するフェアな答えを出しあぐねているこの現状は、もしかしたら男の傲慢さではなく、過剰なナイーブさに起因するのかもしれない。そう思えるのはやっぱり私が、くだらない男の一人でも側に置かない限り、どこまでも凡庸な自分と付き合うことになる女の生を生きているからなんだろうか。

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夜のオネエサン@文化系

夜のオネエサンが帰ってきた! 実は超文化系女子でもある鈴木涼美さんが、映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から、世間を騒がしているアノ話題まで、オフレコモードで語ります。

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鈴木涼美

1983年東京都生まれ。蟹座。2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。著書『AV女優の社会学』(青土社/13年6月刊)は、小熊英二さん&北田暁大さん強力推薦、「紀伊國屋じんぶん大賞2013 読者とえらぶ人文書ベスト30」にもランクインし話題に。夜のおねえさんから転じて昼のおねえさんになるも、いまいちうまくいってはいない。

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