1. Home
  2. 生き方
  3. 夜のオネエサン@文化系
  4. 不安定なオンナにつける薬~“隠れビッチ”...

夜のオネエサン@文化系

2019.12.13 更新 ツイート

不安定なオンナにつける薬~“隠れビッチ”やってました~鈴木涼美

今となっては女子が集まった場で必ず出てくるのが、「好きって言ってくれるしセックスはするけどちゃんとした彼氏になってくれない男」の話題なのだけど、そういえば10年前を思いだすと、「好意がある風に接するしデートはするけど別に好きじゃない男」とのあれこれを報告する方が多かった。私たちが贅沢な状況から厳しい状況に転落しつつあるという見方もできるし、20代前半のオンナと30代後半のオトコのやることが似ているという見方もできる。

人には、自分の実力とは関係なく評価され価値が与えられ求められる、という時期がある。私は女子高生の頃に100円のパンツを1時間はいて1万円で売ることができたけど、それは別に私には安いパンツを1時間で価値ある商品に変える何かしらの才能があるわけでもなく、排泄物のシミですら価値を持つほど特別な人間であるわけでもなく、私自身に周囲とは違う魅力や実力があるわけでも勿論なく、単に自分がたまたま年齢によって放り込まれた女子高生という記号に、ある種の人たちが勝手に価値を与えていただけだ。

 

でも当然そうやって自分が触れた下着に不相応なほどの価値が生まれる瞬間を日々見ていると、自分には何某(なにがし)かの価値があるのではないかという気分にはなれるし、だからこそよりその価値を高めようと、日焼けをやめてオヤジ受けのよい白肌にしてみたり、ラルフローレンのびよんびよんのカーディガンを脱いで学校指定のセーターを着てみたり、マジックを使ったどぎつい化粧を落としてナチュラルメイクをしてみたりする。

結果が伴えば、自分は自分の実力でその価値を生み出しているような気分にすらなる。当然、態度はどんどん尊大になるし、世の中をどんどん舐め腐るし、自尊心はどんどん膨らむ。だが、年齢によって付与された価値はやはり年齢によって剥がされ、私たちは実は自分が何者でもなかったのかもしれないという不安の奈落に落ちる。

女子高生の制服は脱いだとはいえ、20代前半のオンナには結構まだ不相応な価値が付与されている。それを最大限伸ばすことは可能で、若さを体現する清廉性や弱さを体現する柔らかさをファッションとして身に纏(まと)い、パステルカラーのように軽やかで無害な態度で翻弄しようと思えば、男はわりと簡単に翻弄される。モテる女、というのが生まれつき顔の造形が美しいとか何かしら優れた能力があるというのとはまた別のものに支えられているのは言うまでもないけど、じゃあその別のものが何かっていう話になると、女子力とかマジックポイントとか魔性とかいまイマイチ的を得てないコトバで誤魔化されて言語化を免れてきた。身もふたもなく言語化するとしたらばそれは、自分の価値を実感するために、本当に欲しい男性からの視線だけでなく、そんなにいらない男からの視線をも無差別に得ようとする態度だ。

本来、「別に好きじゃない男」に不必要に好かれても特にメリットはないし、むしろリスクや迷惑を伴うのだけど、価値を実感するための視線としてなら、多少意地汚く貪る意味はある。それは30代後半の男性が、自分の実力とは別に結婚需要というやはり年齢によって付加される価値に、自分の価値を実感する好機をみて、特に必要のない女からのお誘いも受けて節操なく振る舞う事象と似てると言えば似てる。というか同じだ。

あらいぴろよによる同名の自伝的漫画を基にした映画「“隠れビッチ”やってました。」の主人公はまさしく、ただただ「好き」とか「可愛い」とか言われるためだけに日々ファッションや態度の研究を怠らない。男性の好みの傾向を研究し、肌の露出は15%、薄い素材かつ淡い色の清楚系ワンピースを着て、効果的な隙をつくり、たくさんの人に好きって言われたい、とその目的を語る。無差別に節操なく男を手玉にとろうとするから「ビッチ」で、無害で清純に見えるから「隠れ」ということらしい。結構無邪気で、男とのデートから逃げる姿なんかは60年代のチェコ映画の名作「ひなぎく」のワンシーンを思い出す。

物語序盤に描かれるそんな姿はかつての私たちに重なる。男を手玉にとって、自分にはその価値があるから、なんてヴィダルサスーンのCMみたいな自信をつけるものの、そうやってかりそめの姿で落とした男なんて自分の本当の姿を知らないわけだし、本当はそんな男たちに好かれることは自分の本来欲しい価値とは無関係なことを知っているから結構虚しい。男を落とすことができる、という自信は、その男が「落とす行為」によって落ちたんであって「自分」によって落ちたわけじゃない、という事実に邪魔されるからだ。そして男の安易な性欲に器用にアプローチする一方で、モテ武装で偽らない「自分」なんて誰にも受け入れられない、とどこかで悲観的で、モテを取り除いた自分に価値があるのかどうか、日夜不安に駆られている。

私たちが若い頃を思い出す時、めまぐるしい日常やちやほやされる生活が楽しかったな、と思うこともあれば、毎日なぜか不安でイライラして何かに怯えて辛かったな、と思うこともある。そしていつの間にか、ちやほやな毎日が減る一方、そういう不安が少しずつ鈍化して、わりと自分の足で立ってることに気づく。

この映画で主人公はアクシデント的に素の自分を知られてしまった男性に受け入れられ、過去のトラウマや自分の欠点と向き合い、モテ武装を解いた状態で男性と向き合うようになる。そういう意味では、モテによってギリギリの自信を保っていた女の子から、武装を解く過程はとってもシンデレラ・ストーリーだ。なんてたって、スッピンを受け入れて嫌なところも好きと言ってくれる男が登場するから。

そういう男がいた人はラッキーってことで祝福するけれども、都合よくそんな心の広い男が出てくるわけでもない。多くの場合はやっぱりモテ武装をとれば、「なんか思ってたのと違った」とわかりやすく去っていく男を見て、ほらやっぱり私には価値がない、と玉砕したり、「俺だけは本当の君のこと見てるよ」っていう男が見当違いの「本当のワタシ」を妄想していて、ほらやっぱり男なんて表面しかわかってない、と絶望したりする。だから若くて不安で満たされない日々から、逞しく生きていく過程というのはもうちょっと長くてもうちょっと荒々しい。

私たちはどうやってサバイブしたんだっけ、とちょっと思う。モテていないと不安だし、モテたところで不安なんて解消されない、という完全包囲のジレンマから、モテないし不安だし満たされないけど結構ちゃんと生きてる、という一点突破をするまで、私たちはどんな過程を生きたんだっけ。

映画で起こるようなミラクルは、ごく稀に起こるかもしれないけど、ほとんどの場合は、何かドラマチックなきっかけで鎧(よろい)を脱ぐに至った的な展開なんてなかった。結局、そんな劇的変化はないのだ。制服を脱がされ、若さを脱がされ、清純気取らば男も落ちる状態を荒っぽく脱がされ、マジでもう生きる価値なんてないとか絶望する夜を何度も超え、ちょっとずつだけど、毎日可愛いって言われてご飯を奢(おご)られないとダメ、という強迫観念を捨てていく。

別に過去のトラウマと向き合ったところで、比較的良心的な男と出会ったところで、うっかりスッピンな自分を晒してしまったところで、ある日突然、「もう男の視線がなくても私は自分の価値を信じられる」というキラキラ系の思考にはならない。なんならオバサンになっても、時々どうしようもなく、誰でもいいから愛してくれ的な渇望が湧いてきたり、お金払ってでもちやほやされたくなったり、セックスしてないと不安になったりする。

誰かが「男に価値を与えられないと生きられないなんてバカげてる」とか「やりたいことや使命感があれば自分を誇りに思える」とか「男に認めてもらう以前に、自分を取り戻して自立しなきゃ」とか言って脅してくるけど、それでさらに自信なくして焦って捨て身になるけど、そうやって虚勢をはるのもそれはそれで、ジリジリと不安と闘いながら生きる彼女たちの処世術なのだ。

一つ言えるのは、モテる努力の成果として次々やってきた男たちが、思っていたより役に立たないし自信をつけてくれないし幸福もくれないのを知る反面、実は自分が思っているよりはバカじゃなくて、自分が思っているよりは単純でもないことを知ることもあるから、完全に絶望しきらない程度には、ちょっとずつ世の中に慣れていくのだと思う。世の中は舐め腐っていた時ほど易しくはないけど思っていたほど自分以外の全てが堂々としているわけじゃないし、男は思っていたほど優しくないけどでも見くびっていたほど単純な動物ってわけでもない。

劇的に変われないならそうやって、ぼんやりとジリジリ痛みに慣れて、ジリジリ生きられる心の幅を増やして、ブツブツ言いながら生きながらえるしかないのだ。不安につける薬がないのと同じように、若いオンナにつける成長促進剤もない。地べたの栄養を辛うじて吸い取って、歪(いびつ)に咲いた大人の女という花が、東京には何百万と溢れている。

関連キーワード

関連書籍

鈴木涼美『愛と子宮に花束を 〜夜のオネエサンの母娘論〜』

「あなたのことが許せないのは、 あなたが私が愛して愛して愛してやまない娘の 身体や心を傷つけることを平気でするから」 母はそう言い続けて、この世を去った――。 愛しているがゆえに疎ましい。 母と娘の関係は、いつの時代もこじれ気味なもの。 ましてや、キャバクラや風俗、AV嬢など、 「夜のオネエサン」とその母の関係は、 こじれ加減に磨きがかかります。 「東大大学院修了、元日経新聞記者、キャバ嬢・AV経験あり」 そんな著者の母は、「私はあなたが詐欺で捕まってもテロで捕まっても 全力で味方するけど、AV女優になったら味方はできない」と、 娘を決して許さないまま愛し続けて、息を引き取りました。 そんな母を看病し、最期を看取る日々のなかで綴られた 自身の親子関係や、夜のオネエサンたちの家族模様。 エッジが立っててキュートでエッチで切ない 娘も息子もお母さんもお父さんも必読のエッセイ26編です。

鈴木涼美『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』

まっとうな彼氏がいて、ちゃんとした仕事があり、昼の世界の私は間違いなく幸せ。でも、それだけじゃ退屈で、おカネをもらって愛され、おカネを払って愛する、夜の世界へ出ていかずにはいられない―「十分満たされているのに、全然満たされていない」引き裂かれた欲望を抱え、「キラキラ」を探して生きる現代の女子たちを、鮮やかに描く。

{ この記事をシェアする }

夜のオネエサン@文化系

夜のオネエサンが帰ってきた! 実は超文化系女子でもある鈴木涼美さんが、映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から、世間を騒がしているアノ話題まで、オフレコモードで語ります。

バックナンバー

鈴木涼美

1983年東京都生まれ。蟹座。2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。著書『AV女優の社会学』(青土社/13年6月刊)は、小熊英二さん&北田暁大さん強力推薦、「紀伊國屋じんぶん大賞2013 読者とえらぶ人文書ベスト30」にもランクインし話題に。夜のおねえさんから転じて昼のおねえさんになるも、いまいちうまくいってはいない。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP