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夜のオネエサン@文化系

2019.11.15 更新 ツイート

あの恋を何に喩えよう~『ファーストクラッシュ』(山田詠美)鈴木涼美

『ファーストクラッシュ』(山田詠美)文藝春秋刊

ファーストクラッシュという英語を解くことから第一部が始まる山田詠美の新刊は、続く第二部、第三部と語り部を替えながら、島崎藤村、中原中也、寺山修司と誰もがかつて習った詩を一つずつ引用して、初恋をめぐる言葉の物語を導く。語り部となるのは三姉妹、そして彼女たちがかつての初恋の相手として語るのは全く同じ一人の少年だ。

物語の舞台は三姉妹が両親と暮らす家で、ある日父親が連れてきた身寄りのない少年が登場、そこに暮らし出すという、見方によってはとても通俗劇的な設定に始まる。ただし、紡がれるのは少年や家族をめぐる転結のようであって、実際は彼の登場によって姉妹たちが直面する言葉の問題の発見である。

 

第一部の次女は多くの本を読み巧みに言葉を使うが、少年の登場によって「言葉だけでは形に出来ないもの」の存在に自覚的になる。第二部の長女は語尾や口調をも使って自らの演出をするヒロインだが、少年を前に「自分の中に自分でも知らない語彙が貯えられている」と知る。第三部の三女はまだ多くの言葉を知る前の幼い頃に少年に会い、言葉を話さない「犬仲間」となって言葉の外にある結びつきを感じ続ける。

確かに私たちは誰かに恋い焦がれるようなとき、嫌に饒舌になる割には正確な言葉を思いつかずに、言葉の外にある精神的・肉体的繋がりを求める。それを括って恋だとか愛だとか呼んで愛でるようになるのはだいぶオトナになってからで、少女たちはその大きな塊の、どこか一辺にぶつかり、その衝撃によって砕かれた経験をファーストクラッシュとして語っているように思えるのだ。

冒頭で次女によって説かれる初恋の訳語としてのファーストクラッシュは、まさにそのような印象が強い。そこでも並べて比較されるファーストラヴは、少なくともかつて10代の歌手が歌ったタバコ味のキスで終わった関係くらいには成熟したものを指すような気がする。ラヴという大きな塊を初めてながら不器用に把握するそれに対して、クラッシュはまだラヴの塊は知らないうちに、得体の知れない何かの、どこかの部分と衝突し、粉々になる経験。そう考えるとそれは、あるいはファーストラヴよりももう少し明確に捉えられる気さえする。

かといって私自身に明確なファーストクラッシュと呼べるものなんてあるのだろうか、と記憶をめぐらせてみるのだが、明確なものといえば10代後半のあっという間に済んでいた初のセックスの記憶があるくらいで、当然それはクラッシュと呼ぶ気になるものではない。

今まで、初恋はいつ? とか初恋の相手は? と聞かれた経験がなくはないけれど、初恋という漠然としたアイデアにこちらも漠然と、初めて友人に誰々が好きだと打ち明けた相手の名前を答えたり、初めて付き合おうと言ってきた男の名を答えたりしてきた。それらはクラッシュだったか、あるいはまた別の言葉を当てはめるべきものだったか。

おそらく初めて友人に「私はあの男の子のことが好き」という話をしたのは、5歳か6歳か、教会のある幼稚園の年長クラスにいた頃だったと思う。同じマンションから同じ幼稚園に通っていたエミリちゃんという女の子は早熟で、すでに恋多き女の体(てい)を成していて、時折母親たちが買い物をする角の青果店の若いお兄さんをかっこいいと言ったり、誰かのお兄ちゃんを好きと言ったりする子だった。

エミリちゃんは幼稚園のクラスではタカユキくんに目をつけていて、クラスを仕切るヨリくんという男の子にわざと口を滑らせる風を装ってそのことを打ち明け、お弁当の時間にヨリくんが「エミリちゃんとタカユキくんの結婚!」と茶化してくると満更でもないような顔でまた怒る風を装っていた。

そんなエミリちゃんと一番の仲良しで行き帰りも帰ってからも一緒にいた私が、「私はタカユキくんよりアツヒロくんが好き」と打ち明けたのは、明らかに同調だった。正直私はアツヒロくんを特別視するようになった気分は覚えていなくて、単にそれをエミリちゃんにどう伝えたか、とか、エミリちゃんがしたようにヨリくんにどうバラしたか、とかいうことだけをはっきり記憶している。

強いて言えば、自分のお誕生会にどの男の子を招待するかを決めるときに、アツヒロくんの名前を最初に書いて、大して仲が良いわけでも家が近いわけでもないその男の子が、他の友達と一緒に我が家に訪れたことと、招かれた彼が「え、行っていいの?」と割と前向きなリアクションで招待を受けてくれたのが結構嬉しかったことだけははっきり覚えている。

ただ、生前の母となんでもない話をしたときにそんな話をしたら、「いや、あなたの初恋はそれより前だ」と言われたことがある。彼女があげた名前は『風の又三郎』に登場する6年生の一郎くんと、『ど根性ガエル』の主人公ひろしくんだった。「アツヒロくんっていたかも知れないけど、そんな名前よりも、一郎とかひろしとかすごかったんだから」と言う母が嘘をついているとも思わないので、同調して恋した気になっていた私はエミリちゃんよりずっと未熟で、せいぜいフィクショナルな相手を妄想する子供だったのかとも思う。

初めて男と「付き合う」を口にしたのは中学3年生の終わりで、3年間の女子校生活に嫌気がさして共学校である高校の受験が終わった頃だった。YMCAが主催する確か4泊ほどのスキー合宿に友人と参加したのだけど、中学生から高校生までの多感で好奇心旺盛な男女が参加するそこは竿を伸ばせば恋が見つかる釣堀のような場所で、私はそこに来ていた高校3年生の浪人生活を控えたヒサシという男と、合宿が終わって1週間たってから付き合うことになった。

合宿中にはちょっといいなと思ったケンという男子がいて、でもケンは私と同じ部屋が割り当てられていたユリちゃんという友人とキスしたらしかったし、私が一緒に行った友人はすでにモトキという男とデートの約束をしていた。

ヒサシは全然かっこよくなかったけれど、最年長だからかスキーが上手く、その合宿に何度も参加しているからか友人が多かった。女子校生活ですっかり男子との接点が遠のいていて、モテのなんたるかなんて全く把握せずに15歳になっていた私にとってその付き合いは、クラッシュではなく焦りだった。だから藤沢の公園で初めてデートして一応キスとかしてみたけれど、そのキスを思い出すと猛烈に恥ずかしくてすぐに別れた。

高校時代に、同い年だけれど一人暮らしをするイトウくんと付き合ったり、同じ学校のコウとかいう先輩を狙ったりしていたのはきっと見栄だったし、初体験は処女でなくなることを目的とした達成だった。でもそんなことを繰り返しているうちに身体はほとんど今と同じような形に完成されつつあって、恋愛というものの漠然としたイメージもまた結構固まりつつあって、高校を卒業してしまえばもう後は、同調や焦りや見栄や達成がごた混ぜになったものを不用意に恋愛と呼び、それを今まで反復しているような気がする。

ちなみに私が卒業したのは港区の明治学院高校といって山田詠美の小説でも引用された島崎藤村の卒業校でもあるので、やけに長ったらしい校歌は島崎藤村の作詞だった。もろともに遠く望みておのがじし道を開かむ、と歌った当時の私はまだ初体験を達成として未来を見つめるほどに若くて、自分の行く道が、ファーストラヴと呼べるものもファーストクラッシュと呼べるものすら靄(もや)がかかった、もっと素っ気ない熟語で作られた愛すら保存することがままならない、殺伐とした道だなんて思っていなかった。

それでも、素っ気ない熟語が詰まった恋愛は時に私を物凄い勢いで殴ったり擦ったりしながら、ごくたまに物凄い勢いで幸福な気分にしてきたのだから、やっぱりどんな言葉でできていても、異性に恋い焦がれる気持ちは侮れないなとも思う。

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夜のオネエサン@文化系

夜のオネエサンが帰ってきた! 実は超文化系女子でもある鈴木涼美さんが、映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から、世間を騒がしているアノ話題まで、オフレコモードで語ります。

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鈴木涼美

1983年東京都生まれ。蟹座。2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。著書『AV女優の社会学』(青土社/13年6月刊)は、小熊英二さん&北田暁大さん強力推薦、「紀伊國屋じんぶん大賞2013 読者とえらぶ人文書ベスト30」にもランクインし話題に。夜のおねえさんから転じて昼のおねえさんになるも、いまいちうまくいってはいない。

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