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探検家とペネロペちゃん

2019.11.06 公開 ツイート

かっこいい父親を目指して 角幡唯介

「子どもは、極夜より面白い」

北極と東京を行ったり来たりする探検家が、客観的に見て圧倒的にかわいい娘・ペネロペを観察し、どこまでも深く考察した父親エッセイ『探検家とペネロペちゃん』から、試し読みをお届けします。

*   *   *

二〇一七年の九月末、住み慣れた都心を離れて古都鎌倉に引っ越した。
鎌倉への引っ越し話が持ち上がったのは二年ほど前のことだ。そう、あれはペネロペが二歳を少し過ぎて、かわいさという点にかけては人生の絶頂期にあった頃である。

引っ越しまでの顛末を簡単に記すと次のようなことになる。
二〇一五年の春から秋にかけて、私はグリーンランド最北の村シオラパルクを拠点に極夜探検の準備活動をつづけていた。その旅の最中にちょっといい話があり、日本で私の帰りを待つ妻が椎名町近辺で借りていた賃貸マンションを引き払って、市ヶ谷駅前の某集合住宅へ引っ越すことを決めた。十月末に私が日本に帰国すると、妻は契約等もろもろ手続きを終えており、十二月に私たち家族は市ヶ谷駅前のその集合住宅へ引っ越した。ところがそれから急に、私たち夫婦の間で喧嘩が絶えなくなった。それまではわりと仲良くやっていたのに、ささいなことで口論が開始してはテーブルをはさんでの罵りあいに発展する。その脇で言葉を覚えはじめたばかりのペネロペが「歌わないで、歌わないで」と泣きじゃくる。別に歌っているわけではないのだが、二歳になり言葉を覚えたばかりの娘は、人間が大声で言葉を発する行為を〈歌う〉という動詞でひとまとめにして理解しており、数少ない語彙で必死に両親の諍いを鎮めようとするのだ。

引っ越しを機に急に喧嘩が増えた以上、その原因は引っ越したこと自体にあるとしか思えない。たぶん市ヶ谷という街の殺風景な雰囲気とか、集合住宅の無機質な感じとかがストレスとなり、精神荒廃を招いているのだろう。そう判断した私は、引っ越したばかりにもかかわらず、妻に「この場所はよくないから、何ならまた引っ越そうか」と提案した。

今になって白状すれば、この提案は本気のものではなくて、喧嘩が増えたことにこっちとしてもつらい思いをしており、自分なりに改善策を考えています、寄り添おうとしています、という態度を妻にアピールするための一種の方便にすぎず、本音をいえばあと十年ぐらい市ヶ谷に住みつづけるつもりだった。それなのに数日後、妻はタブレット型端末でSUUMOの画面を私に見せて「鎌倉にいい物件があるから見に行きたい」と切り出してきたのである。

それを機に事態は急展開した。妻の提案は鎌倉で一軒家を購入するというもので、正直いってそのときの私の気持ちとしては「はい?」という感じだった。引っ越しといっても、こっちとしてはまた西武池袋線沿線近辺の賃貸マンションにもどることを想定していたわけで、戸建ての購入なんて考えたことすらない。それに鎌倉という街に対しても、私は、ゆとりのある人たちがボルボ二四〇とかに乗って文化的な生活を送ってますみたいな、半セレブ感というか、すかした連中の住む街という偏見をもっていたので、そんなところバカバカしくて住めるか、論外じゃ、と思っていた。しかし、それを口に出すとまた喧嘩となる。一応、寄り添う姿勢を見せつつ、妻が気になるというその物件の内覧に行ってみた。

ところが実際に鎌倉に行ってみると、これがじつに良いのである。街の佇まいだけでなく、海は近いし、里山にも囲まれており緑も豊かだ。利便性も湘南新宿ラインに一時間も乗れば新宿である。これはいい。最高だ。みんなが鎌倉・逗子エリアに住みたがる理由がよくわかる。たしかにボルボ二四〇はたくさん街中を走っているし、じつはひそかに私もボルボ二四〇に乗っているのでそこはかなりマイナスなのだが、それを除けば人間の居住する土地として最高だ、と私はすっかり気に入ってしまったのだった。

結局、このとき内覧した物件は、戸建てを買うこと自体への覚悟を決められなかった私自身の精神的な弱さもあり、逡巡しているうちに売れてしまって購入するにいたらなかった。だが、その約一年後、今度は鎌倉駅から江ノ電で四つ目の極楽寺という地区のかなり山のほうにある物件で気になるのが出たので、それを見に行くと、集落の奥まったところにある感じとか、すぐ裏が山にかこまれている雰囲気とかが気に入り、最終的には半分勢いでその物件を購入することにしたのである。

実際に住んでみると、私にとって鎌倉・極楽寺はとても住み心地の良い場所だった。家から海までは徒歩十五分ほど、晴れて波の穏やかな日などは気軽にシーカヤックを楽しめるし、逆に家を出て山のほうに道を登るとすぐにハイキングコースに出られるので、わざわざ電車や車で丹沢や南アルプスに出なくても日常的に走ってトレーニングできる。遠出をしなくても自然と親しめる環境がすぐそこにあるので、都心に住んでいたときに感じていた忙しくてなかなか山に出られないストレスを、日常の生活のなかで解消できるようになった。

だが、私にとって鎌倉に住んだ最大のメリットは自然が近いことではなかった。移住の最大の利点、思わぬ副作用というか素晴らしき効用はほかにあったのだ。鎌倉に越して以来、娘の私を見る視線が少し変化したように感じられたのである。

これは少し恥ずかしいので今まで内緒にしていたのだが、じつはペネロペが生まれて以来、私はずーっと、将来は娘にかっこいい父親だと思われたいものだなぁと望んでいる自分に気づいていた。彼女が成長して高校生ぐらいになったときに「理想の男性は父親です」と先生にいうとか、交際相手に「うちのお父さん、かっこいいから」と断言するとか、そういう発言を期待している。いったい何でそんなことを思うのか自分でも全然わからないし、娘ができるまで想像すらしてなかった。それに、将来の彼氏に「うちのお父さん、かっこいいから」といってもらいたいと望むということは、自分という存在をその将来の彼氏に誇示してもらいたいと娘に希望しているということだ。それは将来の彼氏を雄として、生物学的な競争相手として意識しているということである。ということは私は娘をどこかで性的な対象として捉えているということであり、正直、自分でも気色悪いなぁと思う。実際、もしこれが逆で、私たちの子供が娘ではなく息子で、妻がその息子に対して将来はかわいいお母さんだと思ってもらいたいなどと望んでいたら、私は妻のことを相当気持ち悪い人間だと感じることだろう。しかしたとえそうだとしても、自分の心理を正直に見つめてみると、やはり私は娘にかっこいいと思われたいと望んでいるようなのだ。

ひとまずかっこいい父親だと思われるための第一歩は、父親として尊敬されること、つまり頼りになる優しい父親として見られることが必要である。しかし残念ながら、これまで私には娘からそのような目線で見られていると認識できたことはほとんどなかった。それどころかむしろ逆で、ペネロペは赤ん坊の頃から思いつくまま私にアンパンチやアンキックを食らわせてきた。平気で頭突きや目つぶしもするし、妻にはチューするけど私にはほとんどしないし、こっちがチューしようとすると「やめて汚い。オトウチャン菌が伝染る」などと私の全存在を否定するひどい暴言を吐いて顔をそむけるし、それでいてアイスや果物を食べたいときだけは愛嬌を振りまき性を売り物にして私をATM化して扱おうとするしで、かっこいい父親というより、どちらかといえば差別や迫害の対象に近い存在だった。

ところが鎌倉に来て、そうした娘の態度がすこし変わった気がする。理由ははっきりしている。中古の戸建てを購入したため、家のメンテナンスで軽いDIYとか力仕事系の作業をする機会が増え、娘は単純に私のその作業能力の高さに感服しはじめたのである。

一例をあげると、高さ二メートルほどの脚立に上って高所作業をする場合がある。家の吹き抜けの上部の壁掃除や、外壁やウッドデッキの高い部分に高圧洗浄機を噴射して苔を落とす、あるいは二階のテラスにたまった落ち葉や泥を除去するような場合である。こうした高所作業では脚立の最上段から一段下のぎりぎりの高さまで上ることが多いわけだが、バランスが悪くて怖いので、大抵の場合、妻に脚立をおさえてもらって作業する。すると、そうした作業姿がいかにも危うげに見えるのか、娘の目には私のことが、家族のために墜落=死の危険をかえりみず、恐ろしい仕事に果敢にも挑む頼もしい父親として見えるようで、「オトウチャン、頑張れー! 気をつけてー!」と大声で声援をおくる。

DIY系の作業のときもまた、畏敬に満ちた厳かな表情で私のことを見つめる。たとえば壁に電動ドリルで下穴をあけて、重たい本棚に転倒防止用の金具をビス留めすることがあったが、このときもペネロペは、電動工具などという威圧的な機械音を発して作動する危険極まりなさそうな道具を自由自在に操り、次々と巨大な本棚を的確に安定させていく私の姿に、驚異の念を抱いていたようである。はっきりいって作業能力の高さといっても妻やペネロペと比べてという意味であり、成人男子としては普通なのだが、ペネロペのまわりにはこうした能力を見せつける大人の男がほかにいない。それに特別なことをしているわけではなくて、市ヶ谷集合住宅時代にはやる必要のなかった家や家具のメンテナンスに追われているだけの話なのだが、こうした単純作業には肉体と道具を駆使して周辺の環境を改変し新しい環境をつくり上げていくという明快さと創造性があるため、幼児の感嘆の対象になりやすいのだろう。

極めつきは段ボールをまとめて縛るという、作業と呼びうる人間の行為のうちでも最も単純な部類に入る作業中に起きた。資源ごみの日の前日に、妻がネットで調べた効率的な縛り方で大量の段ボールをまとめようとした。しかし、荷造りに不慣れな彼女はどうもうまく縛ることができない。横で見ていた私は痺れを切らして、「とりあえず適当に縛っとけばいいんじゃない」と力任せに段ボールをおさえつけて普通に固結びで縛った。ただそれだけのことなのだが、妻が失敗した作業に私が事も無げに成功したことがペネロペには尊敬に値する偉業に見えたらしい。そしてこの瞬間、引っ越してきてからペネロペの内部で醸成されていた〈なんでもできる凄い父親〉というイメージがどうやら電撃スパークしたようで、その晩、ベッドで寝かしつけているときに彼女はこんな質問をしはじめた。

「ねえ、どうしてできたの?」
「え、俺、何かやったっけ?」
「だからどうしてできたのって訊いているの」
「何のこと……」
「だから、さっき紐で縛ったでしょ。どうしてできるの?」
「ああ、そんなこと? どうしてっていっても、ほら、山でも紐やロープを使うことが多いから慣れてるんだよ」
「オトウチャンって何でもできるんだね。練習したってこと?」
「まあ、そういうことかな」
「そうだよね。やっぱり何でも練習しなきゃできないよね」

何だかよくわからないが、この子は今、生きる上でとても大切な知恵を獲得したのかもしれない。そう思った私は彼女の発見を全面的に肯定した。

「そりゃそうだよ。練習が大事さ」
「ねえ、オトウチャンは三歳のとき何してたの?」
「え、三歳? 覚えてないよ。ご飯食べてウンコでもしてたんじゃない」
「ウンコしてたの~?」
「三歳のときのことなんて覚えてないんだよ。人間はね、大人になったら小さいときのことを忘れちゃうの。だからあおも大きくなったら今のことは覚えてないんだよ」

他愛のない会話であったが、ペネロペが私に興味をもち、これほど質問攻めにするのは生まれてはじめてのことだった(そしてもう二度とないかもしれない)。こういう質問をするということは、紐で段ボールを事も無げに縛ることができるほど絶大な能力をもつこの父親は、いったい自分と同じ三歳のときには何をしていたのだろうかと、それが気になって仕方がなかったということだ。つまり私という人間に強い関心を抱いている。このとき私は、もしかしたら自分はかっこいい父親への第一歩を今、踏み出したのではないかと確かな手ごたえを感じた。

以前も紹介したが、私にとっての父親像は、霊長類学者山極寿一さんが雑誌「考える人」のインタビューで示したゴリラの父親モデルと同じだ。山極さんによると、ゴリラのオスは自分の力だけで父親になるわけではない。乳離れして父親のもとに集まった子供たちの喧嘩の仲裁をしたり、子供を保護したりすることで、はじめて子供たちの信頼を獲得することができ、父親という役割を発揮できるようになる。つまり父親とは実体のあるものではなく、あくまで家族内部での機能であり、社会的な擬制だ。いくら俺は立派な父親になるぞといきんだところで、そんなものは空回りするのがオチで、子供から頼りになると確認されなければ真の父親になれたとはいえない。家の高所作業やDIYを通じ、圧倒的な肉体労働能力の高さ、すなわちゴリラの父親なみの筋肉の力を見せつけることで、私は頼りがいのある人、守ってくれる人として娘に安心感をあたえることができている気がした。

このままでいこう。いや、このままではなく、もっと偉大で頼りがいのあるかっこいい存在として自分のことをペネロペの精神の奥深くに植えつけよう──。

そう考えた私は、その日以来、ことあるごとにペネロペの耳元で「オトウチャンはね、何でもできるし、何でも知っているから」とつぶやいては、自分が全知全能でかっこいい父親であることを耳に吹き込み、洗脳することにした。うっかりそのことを忘れて、夕食時に「オトウチャン、キリンは何で黄色いの?」などと不意に質問され、「そんなこと知らないよ。黙って飯食え」などと不器用な返答をして「何で? オトウチャン何でも知ってるんじゃないの?」と矛盾を突っ込まれることもしばしばだが、今のところこの戦略は功を奏しており、友達が家に遊びに来たり、幼稚園の送り迎えで友達のお母さんと会ったりしたときに、ペネロペは必ず相手に私のことを紹介する。

「これがね、あおちゃんのオトウチャン。ユウスケっていうの」
「どうも、こんにちは。ユウスケです」

娘の口調には私のことを自慢げに紹介している感がないわけではないように、少なくとも私には聞こえる。そしてそんな瞬間に、私はこの娘の父親であることの喜びと誇りを感じたりする。まったくおかしなものである。

関連書籍

角幡唯介『探検家とペネロペちゃん』

北極と日本を行ったり来たりする探検家のもとに誕生した、客観的に見て圧倒的にかわいい娘・ペネロペ。その存在によって探検家の世界は崩壊し、新たな世界が立ち上がった。なぜ、娘にかわいくなってもらいたいのか。なぜ、娘が生まれて以前より死ぬのが怖くなったのか。......娘を観察し、どこまでも深く考察していった、滑稽で純真で感動的な記録。

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角幡唯介

1976年北海道生まれ。早稲田大学卒、同大探検部OB。『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー渓谷に挑む』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』で講談社ノンフィクション賞を受賞。

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