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探検家とペネロペちゃん

2019.10.23 更新 ツイート

私には異様にかわいい娘がいる 角幡唯介

「子どもは、極夜より面白い」
北極と東京を行ったり来たりする探検家が、客観的に見て圧倒的にかわいい娘・ペネロペを観察し、どこまでも深く考察した父親エッセイ『探検家とペネロペちゃん』から、試し読みをお届けします。

*   *   *

探検家などという肩書で生きていると、人からは沢田研二の『サムライ』のような、世間的な幸せや安逸な暮らしには背中をむける、ストイックで男のロマンに殉じる人間だと思われることが多い。もちろん『サムライ』という歌はべつに探検家の生き様を歌ったわけではない。しかし日本語の探検家という言葉は、この歌にこめられた未知なる荒野に足を踏み出す男のロマンチシズム──それは一歩間違えればひとりよがりな男の自己憐憫にすぎないのだが──があてはまる言葉であるため、そのような探検家という肩書を自分から好きこのんで名乗っている私は必然的に、きっとこの人は『サムライ』みたいな人なんだろうなぁと思われがちなのである。つまり、ありがとう、ジェニー、おまえは本当にいい女だったー、おまえと暮らすのが幸せだろうな、だけど、ジェニー、あばよ、ジェニー、オレは行かなくっちゃいけないんだよ~というのが、探検家としてわりと誰もが納得できる人物像である。

ジェニーがどれほど美人で、ジェニーと暮らす日々がどんなに幸福であろうと、探検家はそれを打ちすてて世界の辺境に旅立たないではいられない。そんな純情一直線な人間であるだけに、その幸福にたいする価値基準は他の人のそれとは完全にズレていて、世間で良しとすることを良しと思わないし、恥ずかしいとされることも恥ずかしいと思わない。細かいことはまったく気にしない、豪放磊落で、ちょっとおかしな挙動をする人間だというのが一般的な探検家にたいするイメージだ。探検家ならば当然、日頃の服装などには頓着せず、むさくるしい格好をしているはずだし、ちょっと油断すればそのへんでチンポコなどを出しかねないような人間ならば探検家的によりベターだというわけだ。

以前、ロシアの国道一号線を自転車で旅するという番組に出演したとき、スタート地点であるベラルーシとの国境検問前でスタッフからサンドイッチを豪快に貪るよう依頼されたことがあった。文章でも映像でも物語というのは最初に受け手側の心を掴まなくてはいけない。探検家ならば探検家らしく腹を空かせてサンドイッチでも食べてもらわないと、番組の導入としてはインパクトに欠けるとスタッフは考えたのだろう。私は、こんなトラックの行き交うホコリっぽいところで普通サンドイッチなんか食べないだろ、挙動不審すぎるでしょと思いつつも、スタッフが豪快にバクッとお願いねみたいな感じで要望するものだから、まぁテレビなんてそんなもんかと思いつつ、なるべくその意向に沿うかたちで探検家らしく豪快にサンドイッチに齧りついた。実際の私は昔から食べ物は行儀よくしっかりと噛んで食べるタイプで、食事にはことのほか時間のかかる人間なのだが、テレビのスタッフはとにかく世間的な探検家像に沿ったイメージで伝えることしか頭にないので、私の実像などはっきりいってどうでもいいのだ。

このように探検家と名乗っただけで世間は探検家的固定観念で私のことを捉えようとする。服装などは気にせず、ベラルーシとの国境では腹を空かせてサンドイッチを頬張り、ちょっと油断すればそのへんでチンポコなどを出しかねない危険で豪快な男、カクハタ。日常生活においても奇人変人、カネと女という俗欲には関心がなく、日頃の言動も意味不明。一年中ほとんど海外を飛びまわっており、連絡をとろうとしてもまずつかまらない。そんな人間である。だが私はこのような固定観念や偏見に凝り固まった見方があまり好きではない。実際の私は全然ちがう。私はその意味では全然探検家的ではない。一年の多くを日本の、しかも東京のど真ん中で暮らしており(註・その後、東京のど真ん中からは引っ越した)、性格は小心翼々、食事はしっかり噛んで食べるので時間もかかるし、細かいところまで自分のなかでしっかりと詰めないと行動に踏み出せず、二年ほど前からは口臭を気にして朝も歯磨きをするようになった、床のホコリの気になる小さな人間なのだ。たしかに時折、北極圏や世界のわけのわからないところに旅立つことがあるとはいえ、そのような日常の外に飛び出す時間は私の生活の三分の一ほどを占めるにすぎない。のこりの三分の二は全然探検とは関係なくて、基本的には二歳の娘のオシメを替えたり、お風呂に入れたりと妻の育児の七分の一ぐらいを手伝いながら原稿書きをする普通の父親にすぎないのである。

そう、私には娘がいる。探検家のイメージ論からすると、ベラルーシ国境付近でサンドイッチを頬張り、ちょっと油断するとチンポコでも出しかねない危険な肩書の男に娘がいて、しかも陰でこっそり慈しんでいるというのは何かしっくりとこないものがあるかもしれない。家庭があって娘がいて夕方に「おかあさんといっしょ」を見ながらブンバ・ボーン! を踊っているんじゃあ全然サムライじゃないじゃないか、この人は探検家としては偽物、エセ探検家ではないかといわれても仕方がない事態なのだが、しかし現実に私は探検家であり、かつ娘もいて、これを慈しんでしまっているのである。
しかも、こまったことに私の娘は異様にかわいい。異様にかわいいのだ。問題の核心がここである。

おいおい、自分の娘を異様にかわいいとか公言するなんて、こいつ親バカにもほどがあるなぁと思われるかもしれないが、私はべつに親バカかどうかという次元の低い議論をしているのではなくて、純粋に客観的かつ公平的基準からして私の娘は異様にかわいいということをいっているのである。人間の赤ちゃんの見目容貌を何らかの判断で数値化する基準があれば、百点満点中九十点ぐらいの得点をつけるぐらいに、かわいい。つまり誰が見てもかわいい。同じマンションのおばさんが見てもかわいい。公園で暇をつぶすオッサンが見てもかわいいし、ハルク・ホーガンが見てもかわいい。たしかに赤の他人の子供でも、子供を見たら、かわいいですねの一言ぐらいはいうものだが、それはまあ社交辞令のひとつであって、心のなかでは別にそんなにかわいいとは思っていないのが普通だし、むしろ赤ちゃんのくせになんという不細工な顔をしているのだろうか、可哀相に……と憐れみつつもかわいいですねぇと口にしていることのほうが多いと思うが、しかし私の娘にむけられるかわいいは、そういうたぐいのかわいいではない。私の娘を見るとほぼあらゆる人が、かわいいですねぇと声をかけてくるわけで、そのかわいいは言葉の真の意味でのかわいいなのだ。

それほどかわいい娘がいるだけに、長期の探検に出かけるとき、私は身を引きちぎられるようなつらい、そして切ない思いをする。好きでやっていることとはいえ、なんでこんなかわいい娘を家に置いて自分は北極くんだりに行かないといけないのか、と。そして私は旅立つとき、心のなかで娘にこういい聞かせるのだ。

ありがとう。おまえはかわいい子だった。おまえと暮らすのが幸せだろうな。だけど、あばよ、オレは行かなくっっちゃいけないんだよ~。寝顔に~♪、キスでもしてあげ~たいけど~、そしたら、一日、旅立ちが~のびる~だろ~♪。男は~誰でも、不幸な、サムライ……。

あれ、これじゃあ沢田研二の『サムライ』そのまんまじゃないか。
まあ、いいか。私は探検家、私は『サムライ』。ならばせっかくだから、これから娘のことをジェニーと呼ぼう。
と思ったが、妻の里子にそのことを話すと、娘にジェニーという愛称は似つかわしくないと反対された。ちなみに娘の本名は平仮名で〈あお〉というのだが、本名で文章を書くと文体が現実に拘束されて躍動感がなくなるし、それに〈あお〉という名前は、たとえば〈しかしそのときになってもあおはなかなかその場から立ち去ろうとせず〉といった文章をみてもわかるように、名前が周囲の平仮名に埋没してしまい文意が通りにくくなる。この二つの理由からこのエッセイのなかでは娘の名前を何らかの愛称で通したいと考えているのだが、妻はジェニーは嫌だというのだ。というのも、ジェニーというとどうしてもタカラから発売されている十三頭身ぐらいある、どこか優等生的雰囲気をたたえた、あの金髪人形を思い浮かべてしまうのだが、うちの娘はどちらかというと顔がまん丸、なで肩で四頭身、かわいいけれど、かわいいのだけれど、言動や挙動が手のつけられないほど剽軽者で、優等生というより奇妙な生き物感のある子供に育ちつつあり、とてもジェニーという愛称に堪えられそうにないからだ。

彼女はやはりジェニーというより、むしろペネロペ。いうまでもないことだが、ペネロペというのは絵本の「ペネロペ」シリーズのキャラクターでもないし、ホメロスの叙事詩の主人公オデュッセウスの妻ペネロペイアのことでもない。ずばり、ストレートにペネロペ・クルスである。もちろんペネロペ・クルスだとジェニー同様、娘のほうが堪えられないが、それをペネロペと省略すると一気にコミカルな小動物感が出て不思議と娘の実像とマッチする。ちなみに出典は私のブログだ。娘が一歳のときに書いたそのかわいさに関する記事のなかで、私は〈買い物でスーパーに立ち寄ると、おばさんたちからキャーキャーといった茶色い歓声が必ず澎湃として湧き起り、困惑する。完全に椎名町のアイドル。農村地帯をペネロペ・クルスと歩いているみたいで、ひじょうに目立つ〉と書いた。それ以来、私の娘は私のブログの読者から陰でペネロペちゃんと呼ばれていた可能性が高い。

ということでペネロペ誕生。これからしばらく娘のこと、というか娘を育児し、観察し、一緒に遊んで、少なくない時間を共有することで私自身が発見したこと、子供ができたことで私の世界が崩壊して新たな世界が立ちあがってきたこと、すなわち私自身のスクラップアンドビルドについて語りたい。

角幡唯介『探検家とペネロペちゃん』

なぜ、娘は好きな男の子に鼻くそをつけるのか。
なぜ、娘にゴリラの研究者になってもらいたいのか。
なぜ、娘にかわいくなってもらいたいのか。
なぜ、娘が生まれて以前より死ぬのが怖くなったのか。

極夜と東京を行ったり来たりしながら、客観的に見て圧倒的にかわいい娘・ペネロペを観察して、どこまでも深く考察していく探検家の父親エッセイ。

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探検家とペネロペちゃん

なぜ、娘は好きな男の子に鼻くそをつけるのか。
なぜ、娘にゴリラの研究者になってもらいたいのか。
なぜ、娘にかわいくなってもらいたいのか。
なぜ、娘が生まれて以前より死ぬのが怖くなったのか。

極夜と東京を行ったり来たりしながら、客観的に見て圧倒的にかわいい娘・ペネロペを観察して、どこまでも深く考察していく探検家の父親エッセイ。

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角幡唯介

1976年北海道生まれ。早稲田大学卒、同大探検部OB。『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー渓谷に挑む』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』で講談社ノンフィクション賞を受賞。

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