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東京23区の地名の由来

2019.07.14 更新 ツイート

山伏が住んでいた新宿区金子勤

東京23区内にある、416の地名のルーツを徹底解説した『東京23区の地名の由来』。葦(あし)が生えていたから「足立区」、古墳のある高い場所だから「竹の塚」、一日に千駄も薪を伐り出したということから「千駄木」など、その土地の歴史や地形の変遷が地名から見えてきます。次の休みは本書を片手にお散歩してみては? 一部を抜粋してご紹介します。

*   *   *

新宿区

昭和二十二年に三区(四谷・牛込・淀橋)が合併して成立。長野県の信濃高遠藩内藤氏拝領の地で、その屋敷跡(新宿御苑一帯)に作られた「新しい宿」である。内藤新宿と名付けられた。現在、内藤町は新宿活気に押されている。

1 戸塚町

戦国時代には「富塚」という佳名好字であったが、江戸期から「戸塚」となった。まったく同じ例が横浜市戸塚町、戦国期「富塚」で江戸期に「戸塚」となる。古墳。現在、戸塚一丁目だけである。

2 山吹町

由来は太田道灌が鷹狩りの時に、村の娘から一枝の山吹の花をさし出された伝説地をいう。各所に伝説地あり。「七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞ悲しき」。現在、山吹町は丁目なし。

3 早稲田鶴巻町

由来は川(神田川)が大きく曲がり、流れがゆるやかに淀んだ水流をいう。同様の当て字地名は多い。現在、丁目はなし。

(類例)

世田谷区弦巻/多摩市鶴牧/川崎市鶴巻/横浜市青葉区鶴蒔/町田市鶴間/相模原市鶴間/大和市鶴間/山梨県都留/埼玉県鶴間/横浜市鶴見区 など

4 赤城元町

明治五年、この地に赤城神社があったのがその由来。群馬県の上毛三山(赤城山、榛名山、妙義山)に各神社あり。赤城山が一番高いのでここの神社から勧請した。現在、丁目は設定されていない。

5 矢来町

「矢来」とは、竹で造った侵入者を防ぐ囲い。寛永五年(一六二八年)、川越藩主・酒井忠勝が当地に下屋敷を拝領。そこに竹矢来を築いたのがその由来。『解体新書』の杉田玄白は、この屋敷内で生まれた。現在、丁目はなし。

6 喜久井町

明治二年、数ヵ所の町を合わせて喜久井町となる。名付け親は夏目漱石の父、夏目小兵衛。夏目家の家紋は井桁の中に菊が描かれており、それを佳名好字の「喜久井」としたのがその由来である。現在、丁目はない。

7 弁天町

右大辨財天、左宗参寺境内と書かれた石柱の下を下って行くと、低い所に小さな堂宇あり。昔は水弁天だったのだろう。江戸期の儒者・山鹿素行の墓がある宗参寺(弁天町一)の分院。現在、丁目はない。

8 神楽坂

西早稲田二丁目にある穴八幡宮の分祭宮である若宮八幡神社で神楽が行われたのがその由来である。分祭宮とは、お祭りの時、神輿をかつぎ渡り歩き行く所をいう。この坂には東京理科大学がある。かつては、三業地として栄え、昭和初期の芸者歌手、神楽坂はん子・うき子の歌が流行した。現在、神楽坂一~六丁目まである。

(写真:iStock.com/ke)

9 戸山

江戸時代初期、和田村、戸山村が初見としてある(戸山之枝折)。三代将軍家光の娘・千代姫を、尾張藩主・徳川光友に嫁がせ住民を他の地に移し、戸山ヶ原に広大な屋敷をつくった。それが江戸最大の大名屋敷となった。戦時中は陸軍用地となり、陸軍科学研究所や射撃場などがあった。現在、戸山一~三丁目まである。

10 市谷山伏町

由来は江戸時代、山伏がこのあたり一帯に住んでいたからという。しかし、享保八年(一七二三年)に大火があり、屋敷はすべて明け地となり、下谷の方に代地を与えられたという(江戸志)。ここに江戸時代初期の儒学朱子学者・林羅山代々の墓所あり。徳川家康から家綱まで四代の将軍に侍講し、林大学頭と呼ばれた。現在、丁目はなし。

11 市谷加賀町

由来は加賀金沢藩・前田家の清泰院に与えられた屋敷による。清泰院とは水戸藩主・徳川頼房の娘で、金沢藩主・前田光高に嫁した。その姫は早く亡くなったが、姫付きの人々の居住地となった(御府内備考)。今でも女性に関係ある女性相談センターや裏千家庵などある。現在、市谷加賀町一~二丁目まである。

12 市谷薬王寺町

薬王寺は明治三十八年、文京区大塚五丁目の護国寺に移った。それで一時、薬王寺前町といったが、現在はその寺はないのに、薬王寺町と呼ばれている。現在、丁目はなし。

13 市谷仲之町

由来は江戸時代、ここに根来組与力屋敷があり、中央通を中ノ丁といったことによる(新撰東京名所図会)。江戸切絵図を見ると、根来組与力衆屋敷の中央に道があり、木戸が描かれて「中ノ丁」と書いてある。現在、市谷仲之町は単独町名で丁目はなし。

14 市谷田町

由来は江戸初期、布田新田という百姓の田がつくられたことによる。元和九年(一六二三年)に江戸城外堀普請のため、替地を提示されたが、住み慣れた場所を離れたくないため、堀端の田地を埋めて町をつくった。そして町名を市谷田町とした(御府内備考)。現在、市谷田町一~三丁目まである。

15 大久保

由来は自然地形名で、大窪村に大きな窪地があったから。他にも、いくつか説があるが、付会、こじつけの感あり。江戸時代の大久保は現在よりずっと広く、戸山町・若松町・余丁町・富久町などが含まれていた。富久町にある成女学園の一画には小泉八雲旧邸があった。現在、大久保一~三丁目まである。

……続きは本書にて!

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金子勤

1929年、神奈川県横浜市生まれ、早稲田大学卒業。関東地方各都県の地名の由来を研究。2008年に『神奈川県の地名』(神奈川新聞社)を刊行。「長津田宿の歴史を活かしたまちづくり研究会」のメンバーとして、長津田十景などを紹介した「長津田歴史探訪マップ」の編算に携わる。他に大山道今昔(神奈川新聞社)、風車の回る異人館(講談社)などの著書がある。

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