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東京23区の地名の由来

2019.07.18 公開 ツイート

八重洲の由来はオランダ人(中央区) 金子勤

東京23区内にある、416の地名のルーツを徹底解説した『東京23区の地名の由来』。葦(あし)が生えていたから「足立区」、古墳のある高い場所だから「竹の塚」、一日に千駄も薪を伐り出したということから「千駄木」など、その土地の歴史や地形の変遷が地名から見えてきます。次の休みは本書を片手にお散歩してみては? 一部を抜粋してご紹介します。

*   *   *

中央区

昭和二十二年、二区(日本橋・京橋)が合併して成立。東京都二十三区のほぼ中央に位置し、また、経済、文化の中心地・中央であるので、そう付けた(中央区史)。

1 馬喰町

馬喰とは、馬の売買をする業者(仲介人)のことをいう。馬の蹄鉄(馬のひづめに打ちつけるU字形の鉄)を作ったり、馬の医者を伯楽という。現在、日本橋馬喰町一~二丁目まである。

2 大伝馬町・小伝馬町

「伝馬」とは、人やその荷物を馬に乗せ、次の宿駅や目的地まで運んで行く制度。この地では多くの馬を準備して待機していたので、「大」の字を付けた。隣接する馬喰町に、その馬の仲介人が住んでいて用意万端だったわけだ。現在、日本橋大伝馬町・小伝馬町がある。両町とも丁目なし。

3 人形町

昭和八年から現在までその町名が付けられている。寛永年間(一六二四年~)、歌舞伎芝居見物の客に人形細工を売る店が並び、俗称人形町通りといった。現在、日本橋人形町一~三丁目まである。

4 日本橋

慶長八年(一六〇三年)、幕府は浜町から銀座付近まで町割り、堀割りを進めた。この時、日本橋が架橋されたという。その橋の名が由来となった。ここを起点に五街道を定めた(東京市町名沿革史)。現在、日本橋一~三丁目まである。

5 茅場町

昭和八年、南茅場町、北島町、亀島町が合併してできた。由来は茅や葦を売る業者が当地へ移住してきたから。神田橋の元の町に対して南茅場町といった。現在、日本橋茅場町一~三丁目まである。

6 八重洲

東京駅八重洲口前にあるこの町名の由来は、日本語ではない。由来はヤン・ヨーステン(一五五七? ~一六二三年)というオランダ人船員である。徳川家康に仕えた人物で、貿易をあっせん。帰国の途中、船が浅瀬で難破、水死したという。現在、八重洲一~二丁目まである。

7 兜町

明治四年、町内の兜神社の境内に兜塚があった。それが町名の由来である。明治十一年、東京株式取引所が設立される。今ではニューヨークに次ぐ規模に成長し、兜町といえば証券取引所の代名詞となった。ほかに平将門の兜を埋めた場所という説もある(江戸名所図会)。現在、日本橋兜町だけで丁目はない。

(写真:iStock.com/SeanPavonePhoto)

8 新川

隅田川に合流していた運河にちなむ。この川(運河)には江戸湾から関西の酒(灘酒)などが運び込まれた。新川は酒の代名詞ともなっていた。現在、新川一~二丁目まである。

9 京橋

京橋川に架けられた橋の名だが、京都出身の者がこの橋付近で遊女屋を経営していたことにちなむという(御府内備考)。江戸時代は木の橋、明治八年には洋式の石橋、昭和三十四年に京橋川が埋め立てられ撤去。町名だけ残っている。現在、京橋一~三丁目まである。

10 八丁堀

寛永年間(一六二四年~)に船を通すため、海口より長さ八丁(約八七二m)の堀を作ったことによる。現在、八丁堀一~四丁目まである。

11 銀座

慶長十七年(一六一二年)に、幕府はこの地に銀貨鋳造の役所(銀座役所)を設置。銀座は通称となり、江戸時代には職人の町として栄えた。寛政十二年(一八〇〇年)に、そこの座人が不正事件を起こし、銀座役所は日本橋の蛎殻町に移されたが、昔のことは忘れ、にぎやかな銀座通りを続けている。日本各所にあるにぎやかな通りを「銀座通り」と呼ぶ。現在、銀座一~八丁目まである。

12 入船

明治元年、外国人居留地をこの辺に設けた時、入船町は一~九丁目まであった。同町の西の方に入船川があった時にその町名ができた(東京市町名沿革史)。明治三十二年には八丁目、九丁目が明石町に編入されたので、入船町は一~六丁目と少し小さくなった。現在は入船一~三丁目まである。

13 明石町

明石とは赤い石、赤いサンゴなどのことをいう。山岳地帯は赤茶けた石、海辺は赤サンゴのことをいう。兵庫県明石は日本の標準時の子午線(東経一三五度)が通っている。従って、地名の由来は兵庫県明石市といえよう。石の「い」が省略されて、そう呼んでいる。現在、明石町は丁目はない。なお、同町には赤穂浪士で有名な浅野家の藩邸があったが、元禄十四年(一七〇一年)の赤穂事件の後、没収されている(京橋区史)。

(「い」が省略された類例)

(1)兵庫県豊岡市出石町

(2)飯縄神社

(3)待っている→待ってる。

(4)いやだね→やだね。

14 築地

万治元年(一六五八年)木挽町の海の方を埋め立て土地を築いた、というのがその由来(御府内備考)。明暦三年(一六五七年)の大火後、本願寺が当地に移転して来た。現在、築地一~七丁目まである。築地五丁目には広大な市場(青果部・魚類部)がある。

……続きは本書にて!

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金子勤

1929年、神奈川県横浜市生まれ、早稲田大学卒業。関東地方各都県の地名の由来を研究。2008年に『神奈川県の地名』(神奈川新聞社)を刊行。「長津田宿の歴史を活かしたまちづくり研究会」のメンバーとして、長津田十景などを紹介した「長津田歴史探訪マップ」の編算に携わる。他に大山道今昔(神奈川新聞社)、風車の回る異人館(講談社)などの著書がある。

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