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森瑤子の帽子

2020.08.07 公開 ツイート

60年代、デビュー前夜の女たち~佐野洋子と森瑤子~【再掲】 島﨑今日子

2019年に発売された傑作ノンフィクション『森瑤子の帽子』が文庫になりました。80年代、都会的でスタイリッシュな小説と、家族をテーマにした赤裸々なエッセイで女性たちの憧れと圧倒的な共感を集めた森瑤子。母娘関係の難しさ、働く女が直面する家事育児の問題、夫との確執、そしてセックスの悩みといった今に通じる「女のテーマ」を日本で誰よりも早く、そして生涯書き続けた作家です。
書き手は島﨑今日子さん。「AERA」の「現代の肖像」や著書『安井かずみがいた時代』などで名インタビュアーとして知られる著者が、80年代と森瑤子に迫った渾身の1冊です(文庫版には酒井順子さんによる解説も収録)。一部抜粋してお届けです。

*   *   *

青春時代に交錯していた佐野洋子と森瑤子

才能はその時代に勢いのある分野に自ずと結集するものだが、それゆえ思いがけない人たちを交差させることにもなる。高度成長真っ只中の一九六〇年代は、広告業界が新しい才能の磁場となりつつあった。専門分野で女性が働くのがまだ珍しかった時代にあって、そのエネルギッシュな世界に身を置いていたのが、四〇年生まれの森瑤子と、三八年生まれの佐野洋子だった。二人は、二十代前半のある瞬間を共に過ごした遊び仲間であった。

六三年、森は東京藝大音楽学部器楽科を卒業してもプロのヴァイオリニストにはならず、しばらくボランティアをした後、朝日広告社でテレビCFを作る仕事に就いた。当時、白木屋デパート宣伝部でイラストレーターとして働いていた佐野は、出会って間もなく、帰宅ラッシュの車中で「子宮」「愛し合う」という言葉を入れてごくプライベートな話を普通にした森が忘れられないと、その時の森瑤子の姿を描写している。

──芸大のバイオリン科を出た彼女が広告会社のコピーライターになった時、私は彼女のいさぎよい転身に驚いた。
新宿の風月堂で私は彼女がコピーライターになるきっかけを作ったサントリーのCFコンテのラフスケッチを見せてもらった。
彼女はそれでテレビコマーシャルのコンテの新人賞をとりそのまま芸大から広告会社に就職してしまった。(中略)
その鮮やかな転身は、音楽という幼い時からの修練に耐えてたどりつこうとしているものを捨てた自分に対しての冷徹さがあったと思う。若い私達が貧しい才能にしがみつこうとしている中で、彼女は実にさわやかで明るかった。本当に?(集英社文庫『招かれなかった女たち』解説・佐野洋子/八五年)

ヴァイオリンと決別し、コピーライターの道へ

森瑤子事務所には、六四年に森が描いたウィスキーのCFのラフスケッチが残されている。朝日広告社のロゴが入っており、この時、佐野が見たものではないが、その絵コンテも、達者な筆で描かれている。彼女が藝大受験の寸前まで、美術系に進みたいと逡巡していたのも納得できる出来映えだ。

佐野がここで書いた新人賞とは、宣伝会議が主催する「宣伝会議賞」のことであり、森は六四年の秋にサントリービールのCFで第二回の銀賞に入賞している。作品の企画意図を〈テーマは現代人のストレスである。その救いをサントリービールに結びつけた〉と書いた。ただし、この賞に応募した時、彼女はすでに銀座六丁目にあった朝日広告社に勤めるコピーライターだったのだが。

この時代の森の姿を記憶に残しているのが、八十九歳になる画家の水口満である。水口は東宝で初代ゴジラのポスターを手がけたデザイナーでもあり、東宝退社後に勤めた朝日広告社で制作局のアートディレクターとして腕を振るっていた。森は、当時、まだ規模の小さかったラジオテレビ制作課のコピーライターで、会社の屋台骨を支えるグラフィック部門の水口とは部署は違っていたものの、二人が一緒に仕事をする機会は多かった。

水口は、紹介がてら新人の森をクライアントに連れて行った時のことを鮮明に覚えている。藝大でヴァイオリンを学んだことは話題の一つになると考えた水口に向かって、彼女は「私は二度とヴァイオリンを弾きたくないから、コピーライターに転身したのです。藝大のこととヴァイオリンのことは絶対に持ち出さないでください」と釘を刺したのだ。

「僕はその気持ちはよく理解できたので、その後、彼女が藝大を卒業したこともヴァイオリンを弾いていたことも、一切誰にも話したことはありません。彼女は美人で、頭もよくて、お洒落で、明るくて、しっかり者でした。その頃は、クリエイティブ局に女性はほとんどいなくて、女性のコピーライターは一人だけ。みんなから『伊藤ちゃん』と呼ばれて、人気者でした。速書きの人でね、二分くらいで『こんなのどうですか?』とコピーを書いてきましたが、残念ながら、売らんかなの広告コピーは上手とは言えず、アドバイスして書き直してもらうことが多かった」

水口は、森が作家になりたいと夢を抱いていることを見抜いていた。

「時折、原稿用紙に書いたエッセイを見せてくれたんです。外国の作家に憧れてたんでしょうか、外国の話が多かった。短い文章でしたが上手で、才能の片鱗を感じました。コピーライターは、生活のための通り道だとわかりましたね。退職後に文学賞をとってからも、多忙だろうに銀座に来ると会社に顔を出し、声をかけてくれるのでお茶などしました。受賞作や他の作品もプレゼントしてくれましたが、『情事』は読んでちょっと驚きました。伊藤ちゃんのイメージとあまりにも違っていたので。早くに亡くなった時は、がっかりしたものです」

ヌーヴェルヴァーグ、風月堂、サルトルとボーヴォワール

話を佐野との関係に戻そう。

佐野が解説を寄せた『招かれなかった女たち』は、森が藝大時代をモチーフに書いた小説である。「ヴァイオリンの音がまるで違う」友人に憧れ、自分の才能の限界を自覚した十九歳の時に、彼女は六歳から始めたヴァイオリンを捨て、音楽から離れて美術学部の学生やその周辺にいた詩人たちと過ごすことを選んだ。ヌーヴェルヴァーグの映画を見、美術展を巡り、サルトルとボーヴォワールを読み、ジュリエット・グレコを真似た黒ずくめの服を着て、新宿の風月堂やお茶の水のジローで芸術論や人生論を交わして恋に熱中する日々。『招かれなかった女たち』とは、ボーヴォワール『招かれた女』を意識したものであることは言うまでもない。

森は、後に、この濃密な青春時代とこの時期の恋愛体験が自分の価値観と美意識を決定づけた、と繰り返し書いている。愛の不毛と、人には執着しないという諦念にも似た孤独は森の作品の通奏低音である。

その頃、伊藤雅代という名前だった森は、佐野の前に、白木屋の同僚で、グラフィックデザイナーだった亀海昌次の恋人として現れた。武蔵野美術大学を卒業し、就職した年に結婚した佐野に対して、二十一歳の森と亀海は婚約したばかりであった。だが、森の両親の反対もあり、一年後に二人の婚約は破棄された。その失恋の苦しみの時、森に呼び出された、と「華やかな荒野を」というタイトルがついた佐野の書いた追悼文にある。

──私は、彼女をなぐさめる事もはげます事も出来ないデクノボーだった。酒さえ飲めないのだった。すでに二十の娘のモリ・ヨーコは、彼女の美学を確立させていたのだと思う。
並の娘だったら、失った恋人をののしったりうらんだり泣きごとを並べたりしただろう。彼女は何もうらまず、何もののしらず、静かに「つらいのよ」と言っただけだった。(「すばる」集英社/九三年九月号)

この時からしばらく二人は会うこともなかった。森は東京オリンピックの翌年に二十四歳でイギリス人男性、アイヴァン・ブラッキンと結婚して、二十六歳で長女を出産、専業主婦となって三崎の家で暮らしていた。佐野は二十八歳で単身渡欧して、ベルリン造形大学でリトグラフを学び、三十歳で帰国して長男を出産する。森が小さな娘を連れて、表参道にあった佐野の事務所に現れたのは、恐らく七〇年頃だろうか。日本の高度成長は完成していた。

──私は彼女が結婚したことも誰と結婚したかも知らなかった。
「童話を書いたの」
彼女は月光荘の四角いスケッチブックを私に見せた。
鉛筆と色鉛筆で絵が描いてあり、そのまわりにびっしりと文字が埋っていた。
私は昔、「いつか一緒に仕事をしようね」と約束したことを彼女が覚えていてくれたことがとても嬉しかった。(中略)
彼女のその淋しい美しい童話を、私はどこへどう持って行って本にしてよいのかわからなかった。私は一冊の絵本も出版していず二人の約束はそのまま消えてしまった。(『招かれなかった女たち』解説)

関連書籍

島崎今日子『森瑤子の帽子』

もう若くない女の焦燥と性を描いて38歳でデビュー。時代の寵児となった作家・森瑤子。しかし華やかな活躍の裏で、保守的な夫との確執、働く母の葛藤、セクシュアリティの問題を抱えていた――。自らの人生をモデルに「女のテーマ」をいち早く小説にした作家の成功と孤独、そして日本のバブル期を数多の証言を基に描いた傑作ノンフィクション

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森瑤子の帽子

よき妻、よき母、よき主婦像に縛られながらもスノッブな女として生きた作家・森瑤子。彼女は果たして何のために書き続けたのか。
『安井かずみがいた時代』の著者が、五木寛之、大宅映子、北方謙三、近藤正臣、山田詠美ほか数多の証言から、成功を手にした女の煌めきと孤独、そして彼女が駆け抜けた日本のバブル時代を照射する渾身のノンフィクション。

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島﨑今日子

1954年11月、京都市生まれ。ジャーナリスト。
ジェンダーをテーマに幅広い分野で執筆活動を行っている。
著書に『安井かずみがいた時代』『この国で女であるということ』『<わたし>を生きるー女たちの肖像』などがある。

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