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北の喫茶店

2019.03.07 更新 ツイート

隠れることの効用本島修司

真横に満月がある。その隣にテレビ塔がある。背景は大きな黒だ。それらが僕の斜め上にある。夏の風が、遠くの木の葉と遊んでいる。店内に視線を落とせば、大きなスピーカーからはジャズが流れている。

夏に、そんなテラス席にいた。

ふと考える。「隠れ家」という言葉が、一人歩きしはじめたのはいつからだろうと。

そしてそれが、良い意味で使われるようになったのはいつからだろうと。

隠れるという言葉には、なにか後ろめたさを感じるものだが、ことが飲食業になったとたん、洒落たイメージへと切り替わる。

隠れ家イタリアン。隠れ家割烹。隠れ家カフェ。数え上げればきりがない。

札幌に、かなり早い時期からこの「隠れ家」という言葉で形容されていた喫茶店がある。

 

 

ミンガスコーヒー。

札幌市中央区の、路地裏のビルの中7階に、ひっそりとたたずんでいる。

まさにこんなところに喫茶店があるのだろうか、という「隠れ家のような感覚」をくれる場所だ。

この感覚は、今ではスタンダードのひとつだが、開店当初にここに来たお客さんは、とても驚いたと思う。

このビルの風貌は、元・オフィスビルのようで、下手をすると廃墟になったオフィスビルのようにも見える。

しかし、一階の入り口には小さな木の看板がある。『ミンガスコーヒー』と書かれている。ちゃんとここにあるのだと、安心する。安心しなければ、一瞬、入るのを躊躇してしまうほどのビルだ。

本当は、まだやっているというレベルではないほど、人気のお店なのだけれど。

エレベーターを7階で降りると、細い通路を直進する。

店に入ると、左手にカウンター席がある。テーブル席が4席ほどあり、その奥に、夏の季節だけ解放されているテラスがある。夏はここが人気スポットとなる。

大通りに面していること、そしてビルの7階という高さが上手く生かされており、天気が良ければ、自分の真横にテレビ塔、その横に月も見えるという満点のロケーションを誇る立地だ。

テラス席から店内に視線を落とすと、計算され尽くされたかのような、完璧な配置の音響システムのスピーカーが、店内の雰囲気を調整するかのように鳴っている。

軽妙なジャズや、穏やかなフレンチポップが、優しくて心地よい。

壁にはモノクロの古いレコードのジャケットが立てかけられていて、それがそのまま、インテリアとして機能している。

この喫茶店には、他ではなかなか出会うことがない、バナナのコーヒーやオレンジショコラという名品もある。中でも、「バナナ」は有名だ。

バナナコーヒー。

バナナとコーヒー。ありそうで、あまりない、究極の組み合わせだ。

バナナとチョコレートならば、いたるところで食べることができる。

チョコバナナという食べ物があるくらいにポピュラーな組み合わせだが、ここではバナナとコーヒー、そこにミルクも加えられた独自のブレンドで、アイスで提供される。

ただ、この日は、「仕事の多さで頭がパンパンだ、なんだかもう、いっぱいいっぱいになった……」という友人を、ここに案内していた。

話すことがある手前、注文ではあまり冒険をしないことに。

フレンチ珈琲と、カフェオレを注文した。

夜風の中で話をしていると、どの仕事も、悩みの本質というのは同じだなと思う。

得意な作業の量より、苦手な作業の方が増えたり。作業自体は嫌いではないのに、自分のキャパよりも多くのことを詰め込まれたり。そういったことの連続だ。

いっぱいいっぱいになった人は、よく、自分の顔を覆う。

それは、泣いているのか、笑っているのかを、わからないようにではない。

両手で覆われたその中に隠した表情の中で、最も多いのは、決して泣いているのではなくて、だからといって笑っているのでもなく、疲れている顔だ。そんな気がする。

後ろめたいことをしているわけではないのに、人はなぜだか、隠れたがる。

それはきっと、普段の自分とは、少し違う顔をしたくなるからだ。

疲れた顔。そしてその表情が終わった後の、安心したような顔。安心したような顔が終わった後の、また楽しくなったような顔。

そして、結局、隠れ家のような喫茶店に集まるのは、「楽しそうになった顔」たちとなる。

カウンターの席を見る。そこには、「隠れてはいない人たち」がいた。

隠れずに堂々と、心地よい温度を保ちながら、心地よい程度の賑わいを見せ、楽しそうな自分を、上手にそこに持ち寄っている。そんな人たちが集っていた。

豪雪に埋もれた書斎の中で、そんな一年前の夏を思い出している。

ストーブの上に乗せている、マグカップの中に残った珈琲を飲み、寒さで冷えた両手を擦り合わせながら。

今年もまた、あのテラスへ行きたくなる。

北国の短い夏の、夜の風に触れに。

あのテラス席は、夏の魔法に酔えるような、いつも人気で混んでいる場所。

入るのはいつのなるだろうかと、暑くなる季節に思いを馳せている。

あの日、珈琲を飲み干した後、友人もいつもの笑顔になった。

いっぱいいっぱいになった人を、笑顔に戻す珈琲が、あの場所にはあった。

席を立つ時、月は少しだけ欠けていた。

現実的な問題で、その中にウサギを見つけることはないが、その日だけは何かの錯覚が起きて、そんなものが見えても不思議ではなかった。そんな夜をもらった。


ミンガスコーヒー
北海道札幌市中央区南一条西1 大沢ビル7F

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本島修司

北海道生まれ。文筆家。大学在学中から、物を書くこと中心の暮らし。エッセイ、仕事論、競馬論などを中心に執筆。
主な著書に、『自分だけの「ポジション」の築き方』(WAVE出版)、『競馬 勝者のエビデンス』(ガイドワークス)、『この知的推理ゲームを極める。』 『Cafe’ドアーズと秘密のノート』(総和社)など。
■本島修司 公式ホームページ:http://motojimashuji.com/

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