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北の喫茶店

2019.02.07 更新

夢の跡の珈琲本島修司

とても小さなビルだ。こんなところにあるのかと疑う人も多い。
その雑居ビルのルックスは、たとえこの中に飲食店があったとしても、きっと大衆居酒屋だろうなと思う雰囲気。
エレベーターも小さい。箱の中に入り、9階まで上がる数十秒の時間は、好奇心と少しの不安が交差する。
だが、そのエレベーターを降り、右折して目の前のドアを開けると、そこには別世界が広がる。

屋上に観覧車がある商業ビル、ノルベサ。その向かい側にある、路地裏のビルの9階に、ひっそりと隠れている人気の喫茶店がある。
カフェ エ クラフト ユエ。
名の知れた有名人が立ち寄る場所としても、有名なスポットだ。

ドアを開けると、小さな音で鈴の音が鳴る。
鈴の音で客の動きを知らせる喫茶店は多いが、このさりげない鈴の音は、雰囲気の邪魔をせずに、とても心地よい響き方をしている。
店内に入ると、広々としたカウンターが目に飛び込んでくる。スタッフは黒をベースに統一された服装で並んでいる。テーブル席の横には、古いレコードと、デザインの専門誌など、雑誌が並んでいる。
大きな木製の棚があり、そこに、たくさんのプレートがディスプレイされている。そのプレートの一枚一枚には、著名人たちのサインが記されている。作家、ロックバンド、アイドル、料理研究家、アナウンサー。様々なジャンルの人間たちが、このカフェを訪れたことがわかる。同時に、多くの人に愛されているということもわかる。
もし、ここに色紙が並んでいると、少しウルサイ感じがしてしまうのだろう。そこを、プレートにサインして陳列していくという方法を取ったことで、とても美しく店内に溶け込んでいる。

「お好きな席へどうぞ」という声に導かれるまま、カウンターに座る。
マイルド珈琲、550円を注文する。
ほどなくして手元に置かれたそれは、ネルドリップで丁寧に淹れられたもので、雑味がなく、マイルドという言葉よりは、ややコク深い。
長いカウンター。ひとつ席を空けて隣に座っているサラリーマン風の男のもとに、ラムレーズンソフトが運ばれてきている。
ソフトクリームの類には舌が肥えているはずの北の人々も虜にしてしまう、リキュールがかかった、大人のためのソフトクリームだ。
すっきりとしたソフトを、リキュールが引き締める。おそらく子供は注文できない。
この喫茶店に来る多くの人が注文する、隠れた逸品として知られている。

いつも多くの客で混んでいるこの喫茶店は、訪れるたびに「人気がある」とはどういうことかを、考えさせられる場所だ。
人気がある。この言葉は「にんき」と読むが、「ひとけ」とも読める。
文字通り、ひとの気配があり、人間が集まっている様相を、人は「にんきがある」と呼ぶ。
ならば、人の気配がない状態が「にんきがない」ということになる。
人の気配や人の集まりは、温もりを生む。温度を生む。
人は、温度を求める。
それを知っているから、人気のためだけに動いている人は、時に、嫌がられる。
けれど、あまりにもそれがなければ、仕事や恋愛ややりたいことが、成り立たないこともわかっている。
だから人は、その狭間で揺れながら、ギリギリの中でちょうどいいバランスを探し求めて動き続け、それぞれの着地点へ向かっていく。

窓の外を見る。夜の暗闇の中、七色に光るノルベサの観覧車が回っている。店内には、いつの間にか人が溢れている。次々にパルフェや珈琲が運ばれていく。夜景、居心地、手際の良さ、全てがこの喫茶店の人気を物語っている。
マイルド珈琲を飲み干し、レジの横で売られていたスコーンを2つ、持ち帰り用に包んでもらい、店を出た。
9階の店内から、エレベーターに乗り、1階へ降りる。
ビルの外へ出て、さっきまで同じ高さの目線で見ていた観覧車を、遥か下から眺めてみる。
あの乗り物の中もまた、人気スポットのひとつで、人がいて、ぬくもりがあって、温かさがある。

珈琲の専門店では、「珈琲を温め直してください」とは、なかなか言いにくい。
だが、「珈琲をもう一杯ください」という言葉なら、誰もがよく口にする。
壊れた昨日は直せない。
壊れた夢も直せない。
夢に温め方はない。
けれど夢は、いつでも、もう一度作り直せる。
それは、とてもおっくうで、気持ちの切り替えも必要なこと。けれど、心の在り方次第では、本当は新しい珈琲を一杯淹れるのと同じくらい、簡単なことだ。
次にここを訪れる時は、「温かい珈琲を、もう一回ください」と言ってみよう。もう一杯ではなく、もう一回。なぜだかそんな気持ちになった。

温めすぎた夢は、残酷なまでによく冷える。
人気という不確かなものも、突然、消えていく。
それでも残った、たくさんの夢追い人たち。
そんな、消えきれなかった者たちが残した、プレートの上に宿る光輝いた筆跡が、この喫茶店を訪れる人たちを温めてくれる。
訪れる人たちの消えそうな夢を、「もう一度、もう一度」と、ゆっくり背中を押すように。
優しく、強く、温めている。


カフェ エ クラフト ユエ
北海道 札幌市中央区 南三条西 4丁目 ワカツキスクエアビル 9F

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北海道の喫茶店について。

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本島修司

北海道生まれ。文筆家。大学在学中から、物を書くこと中心の暮らし。エッセイ、仕事論、競馬論などを中心に執筆。
主な著書に、『自分だけの「ポジション」の築き方』(WAVE出版)、『競馬 勝者のエビデンス』(ガイドワークス)、『この知的推理ゲームを極める。』 『Cafe’ドアーズと秘密のノート』(総和社)など。
■本島修司 公式ホームページ:http://motojimashuji.com/

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