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SUNNY 強い気持ち・強い愛

2018.09.06 更新 ツイート

「奈美にさあ、ひとつお願いがあるんだよね。……みんなに会いたいの」 黒住光

 まさか、そんなはずはないと思いながらその場を離れ、エレベーターに乗った。あの4文字が頭から離れない。胸がドキドキと高鳴った。伊藤芹香(いとうせりか)。それほどありふれた名前とも思えない。でもまさか、あの芹香が……。

 1階に着いた時、そのまま立ち去ることはもうできなかった。降りたばかりのエレベーターに乗り直し、さっきの病室へと戻った。不安に心臓のドキドキが止まらない。思わず早足になる。

 病室の前のネームプレートを確かめると、やっぱり「伊藤芹香様」と書いてある。見間違いであってくれという願いはかなわなかった。中を覗くと、さっきまで大勢いた医師や看護師は一人もいない。ベッドも空だ。もがき苦しんでいたあの人は、治療室に連れて行かれたのだろう。

「すみません……失礼します」

 私はおそるおそる小さな声でそう言うと、そっと無人の部屋の中へ入っていった。母の大部屋とはまったく違う、高級ホテルのように豪華な個室だった。広々とした室内には応接セットも設(しつ)らえられ、書斎のようなスペースもある。デスクの上にはコンピュータと、様々な書類。部屋の主はここで何かの仕事をしているらしい。長期入院なのだろう、病室というより住居のような生活感があった。それもかなりハイセンスな生活の。仕事のできるキャリアウーマンの部屋というイメージが漂っていた。

 デスクの前の壁にはたくさんの写真が飾られている。スーツを着た複数の女性たちの記念写真、あるいは女性と外国人のツーショット。共通して写っている一人の女性の顔を確かめる。目鼻立ちのはっきりした、芯の強そうな美人だ。芹香……あなたなの?

 似ているような気もするが、違う気もする。写真の女性が私の知っている芹香であってほしくないと願いながら、知らない芹香さんだったらいいのかと考えると、その人に申し訳ない気持ちになる。

「おい、転校生」

 ふいに背後から声をかけられて、ヒッ、と身がすくんだ。おそるおそる振り返ると、彼女がいた。

 写真の中の女性がドアにもたれて立ち、真っ直ぐこちらを見ていた。入院患者とは思えない、お洒落(しゃれ)なルームウェアにシルキーなガウンを羽織っている。

「アベナミ。ひさしぶりじゃん」

 阿部奈美(あべなみ)。旧姓で呼ばれるのはひさしぶりだ。たった4音の短い名前なので、学生時代はフルネームが通称になっていた。今の私は大抵「奥さん」とか「繭ちゃんのママ」だし、家族以外から下の名前で呼ばれることなどほとんどない。

「……セリカ?」

 そう聞くと、彼女はニヤッといたずらっぽい笑みを浮かべて頷いた。間違いない。あの芹香の笑顔だ。一瞬で人の心をギュッとハグしてくれるような、頼りがいのある笑顔。20年前、淡路島から転校してきた私が最初に出会った時と同じ笑顔だ。

 不思議な気分だった。さっきまで、彼女であってほしくないと願っていたのに、芹香に会えて、彼女が私の名前を覚えてくれていて、ひと目で私だと気づいてくれたことに、嬉しくなっている自分がいる。

 しかし、私はまだ、目の前にいる今の彼女を、私の中の高校生の芹香の記憶に上書きすることに戸惑っていた。あの光景を見た後では「わー懐かしい。元気?」と言えるような再会の形ではない。

 窓辺のソファに並んで腰を下ろして話をしたが、あの日、初めて会った教室の席に座った時のように、言葉がうまく出てこない。何をどう話せばいいのか。

「長いの?」

 そう尋たずねるのがやっとだった。

「うん、まあかれこれ半年ぐらいかな。何かもう疲れちゃった」

「そう……」

「ガン」

 芹香はあっけらかんと、何でもないように言った。

「え?」

「家族もいないし、結婚もしてないからさ。直接、告知されちゃった。イケメン先生がさ、『若いから進行も早く……』って、ベタだよねえ。ていうか、若くないっつーの」

 彼女は笑って私の肩を叩いたが、私は笑えない。

 膝(ひざ)を抱えた芹香の手の甲には、赤く腫(は)れたいくつもの注射痕(ちゅうしゃこん)があった。そう、元気そうに笑っているけど、この人はついさっきまで、ベッドの上で断末魔(だんまつま)のような叫び声を上げていた人なのだ。

「治療、大変なの?」

「うん、まあまあかな」

 芹香が私の左手の薬指の指輪に目を留めた。

「奈美は?」

「え?」

「子供は?」

「ああ、もう高校生」

「えーっ! マジで!? いくつで産んだのよ」

「……デキ婚だったからさ」

「えーっ、マジかぁ。あの奈美がぁ? はぁーっ、そうかぁ……そりゃあ私たちも歳とるわねえ」

 言いながら、芹香は私の頭をいい子いい子するように撫(な)でた。昔と変わらないそんなスキンシップが、さすがにこの歳になると気恥ずかしいが、嫌な気はしなかった。

「で、旦那さん何してる人なの?」

 その時、スマホの着信音が鳴った。

「うん……ちょっと待って」

 まさにその夫からだった。電話に出ると、夫は一方的に用件をまくし立て、急に予定が変わったことを告げた。

「うん、病院、……え? 明日? だって来週だって……。そうだけど……はい、じゃあすぐ帰ります」

 有無を言わさず、私は家に呼び戻された。

「何か旦那が明日から急に海外出張なんだって。しかも1カ月も。……だからゴメン、また来るから何か必要なものがあったら……」

 私の言葉をさえぎって、芹香が「私も」と言った。

「私も。1カ月。……あと1カ月。今さっき、イケメン先生に言われちゃった」

 え……1カ月。と、耳を疑った。

 1カ月もある、ではなく、芹香のは、1カ月しかないという意味だ。その重さに、私は返す言葉が見つからない。つとめて明るく話す芹香の目に涙があふれている。それを隠すように、彼女は窓辺に背を向けて立った。

「奈美にさあ、ひとつお願いがあるんだよね」

「何?」

 彼女の背中が細く小さく見えた。実際に、ガウンの下の芹香の身体からだはかなり痩せ細っているようだ。

「……みんなに会いたいの」

 絞り出した芹香の声はすすり泣きになっていた。

「みんなって?」

 振り向いた芹香の頬には涙がつたっていたが、彼女はパッと笑顔になって言った。

「SUNNYのバカたちだよ」

 SUNNY。私たちにだけ通じ合う、その言葉。

 芹香は窓辺に置いてあった一冊のアルバムを私に差し出した。開いてみると、スマホも携帯もなかった時代に「写ルンです」で撮った写真のプリントがぎっしり。高校時代の私たちのバカな毎日のスナップだった。

 今朝のテレビで見たような、クソ生意気な女子高生が6人並んで、頭の悪そうなポーズをとっている。その上にPOSCAのペイントマーカーで「SUNNY」「仲良し6人組」と書き込みがしてあった。

 こんなものを芹香は大事に持っていて、今も見返していたのか。こっ恥ぱずかしくて懐かしい、痛くて愛おしい日々の記録。

 

※こちらは『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(黒住光著)の試し読みです。続きは、9月8日公開予定です。

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SUNNY 強い気持ち・強い愛

笑おう、あの頃みたいに――。珠玉の90年代J-POPと超豪華キャスト陣の競演で贈る、最強の“笑って泣ける青春映画”。自分らしく生きるって、楽しんで生きるって、そういえば、こんな気持ちだったんだ……

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黒住光

1963年、岡山県生まれ。フリーライター。脚本家として『クレヨンしんちゃん』『おでんくん』など多数のアニメシリーズ、大根仁監督のドラマ『まほろ駅前番外地』『リバースエッジ 大川端探偵社』『ハロー張りネズミ』などに参加。

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