

フランツ・カフカの『城』は、城に雇われたはずの測量士Kが、いつまでたってもその城には入ることが出来ず、翻弄される状況を執拗に描いた、迷路のような小説でした。『城』が書かれたのは、今から100年近い前の話ですが、個人が巨大な組織にこづき回され、「責任者不在」「担当者不在」のなかをたらし回しに合う様子は、「ひとたび問題が発生しても〈上〉の意向を忖度し、誰も責任を取らないまま物事がうやむやになっていく」という現代の社会状況を、見事に先取りしているように思えます。
時として組織のなかでは、「それがよいことだから」とか「どうしてもそれがやりたいから」ということとは関係なく、不明瞭な〈空気〉により物事が決定されていく場面があります。「昨日までは右と言われていたことが、今日からは左になった」という、冗談のような状況のなか、組織の意向と個人としての倫理観が対立する局面もあるでしょう。
会社を辞めて、個人の本屋をはじめた理由の一つに、「何かの思惑に左右されない、継続的な場所を作りたかった」ということがありました。開店や閉店も遠い誰かに決められてしまい、昨日まで本が並んでいた場所に、今日からは別の何かが並んでいるということを数多く見聞きし、「それならば小さくても自分の場所を作ろう」と思ったのです。
もちろん仕入れた本が売れなくても、その責任は全て自分にありますし、何か問題が起こったとしても、他の誰かが解決してくれる訳ではありません。しかし個人の本屋であれば、誰かに伺いを立てることなく好きな本を並べ、「何か変だ」と思った仕事は断ることが出来ます。「この店を終わらせるのは自分しかいない」ということに気がついたとき、その当たり前さに大きな自由を感じました。
「〈まとも〉に思えることだけをやっていればよい」のは、個人営業のよいところです。休みと言える休みはなく、肉体的には以前よりきつくなりましたが、それでも続けていられるのは、そのわかりやすさが自分には合っているのだと思います。
今回のおすすめ本

長く続けなければ出てこない、日常の動きからくることばの数々。同じ年に生まれ、同じように珈琲の道に入った二人の、多くは語らずともわかり合っている様子にシビれます。様々に読める対談集は、カバー・表紙も珈琲色のグラデーション。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
◯2025年6月28日(土)~ 2025年7月14日(月)Title2階ギャラリー
Titleからほど近い阿佐ヶ谷にあった、大正末期に建てられた文化住宅・旧近藤邸。そのたたずまいは宮﨑駿監督の著書『トトロの住む家』のなかでも取り上げられました。緑に包まれ、静かに時を刻んできたこの家の在りし日の姿を活写したのが、このたび刊行された公文健太郎さんの写真集『バラの花咲く家』(平凡社)です。旧近藤邸は残念ながら2009年に不審火で焼失してしまいましたが、美しい写真プリントで、多くのひとに愛されたその姿があざやかに蘇ります。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】NEW!!
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。