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ゴールデン・ブラッド

2017.10.31 公開 ツイート

『ゴールデン・ブラッド』第3回

2018.8.5 銀座三丁目で爆破テロ発生!! 内藤了

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炎天下で、東京五輪プレマラソンの号砲が鳴る。
観衆や関係者でごったがえす銀座でそれは起きた。


  * * *


 来る2020年、東京都はオリンピック パラリンピック競技大会の開催を予定している。真夏の大都会は酷暑が予測されており、ランナーの体調不良を特に危惧するのがマラソンだ。都心部の平均気温は年々上昇しているし、ビルやアスファルトの放射熱、日本特有の湿度がランナーを過酷な状況に追い込むとされる。炎天下で行われるロードレースは観衆からも傷病者を出す可能性が高いため、都やオリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は安全なレース運営を模索し続けているのだった。

 この日開催予定の『東京五輪プレマラソン』は、五輪マラソンが行われる予定の8月上旬を開催日に選び、近しいルートでデータを集積、本番の大会運営に反映させようという試みで開催されるものだった。建設中の新国立競技場付近をスタートして、皇居前、東京タワーを経由して浅草で折り返すモデルコースに挑むのは、市民マラソンの常連で上位入賞経験もあるランナーから抽選で選ばれた精鋭と、五輪本番の出場を目指すランナーたち、防犯上の理由からコースを下見するランニング・ポリスや、一部関係者だ。東京都が五輪コマーシャルのために呼んだタレントや、ゆるキャラマスコットなどは、応援団としてスタート地点から声援を送ることになっている。

 午前5時30分。晴れ渡る空が青みを増して、ビル群の奥に白く入道雲が湧いている。制服を着込んだ圭吾は空を見上げて、ぐんぐん上がるであろう気温を憂えた。ランナーはもちろん、水分補給を忘れた観衆にも、熱中症で倒れる者が続出しそうな予感がする。

 圭吾ら消防隊員は新国立競技場近くの神宮外苑絵画館前広場に集合した後、東京消防庁本部指揮官の挨拶と激励を受けたのち、専用のマウンテンバイクに 跨がってそれぞれの持ち場へ散った。

 本レースは東京五輪マラソンのシミュレーションとして、警備を含めた運営方式も本番を強く意識したものになる。そのため圭吾が所属する第七消防方面本部だけでなく、都内全域の消防士たちが後方支援に配属された。周辺道路には交通規制が敷かれ、大会の様子は各メディアで大々的に中継される。対外的にも大きな意味のあるイベントなのだ。

 午前6時。スタートを1時間半後に控えて、圭吾は銀座三丁目で持ち場についた。

 事前調査では、五輪マラソンコース一番の難所は、四谷付近と目されている。こちらの区間には高低差があって、それがペース配分に大きく関わってくるからだが、ランナーがもっとも体調を崩しやすいのは皇居周辺であろうと思われた。こちらの区間には高いビルがないため、体感温度が高くなる。さらに、同じ理由でランナーの体を冷やしてくれるビル風も日陰も望めない。炎天下を通過してくるランナーのダメージを想定すると、密集地でスペース確保が難しい銀座三丁目にこそ相応の救護施設が必要と思われ、大会本部はルートの通り向かいにある駐車場を借り受けた。ビルの谷間で日陰が確保でき、救急搬送車の出入りも容易な立地であるからだ。

 圭吾らは先ず、駐車場に単管パイプを組み、救護テントを設営することから始めた。汗だくになりながらテント内部にブルーシートを敷き終えた頃には、協力病院から派遣された医師や看護師たちも到着した。天井内部にUV加工したシートを巡らせ、数台の簡易ベッドを組み立ててシーツを敷き、枕とタオルをセットする。治療台、簡易テーブル、担架に医薬品、そして巨大なウォーターサーバー。次々と設備を整えていると、点滴スタンドを組み立てていた背の高い看護師が、

「そこのきみ。車からAEDを運んできて」

 と、圭吾に命じた。

「真夏の脱水怖いからね。今日も暑くなりそうだし」

 救護スタッフのユニフォームは、十字マークを白抜きにした赤いTシャツだが、彼女もこれを着て、同色のロゴ入りバイザーを被っている。細いフレームの黒縁メガネ、耳の下で切りそろえた黒髪が、大人になったアラレちゃんを思わせる。動くたび首から掛けた身分証ストラップが揺れるのが気に障るらしく、彼女はそれをクリップで胸に固定した。年の頃は40前後。テキパキと無駄のない動きからは、ベテラン看護師の匂いがする。

「ここでいいですか?」

 圭吾がテーブルにAEDを置くと、

「救急救命士になってどのくらい?」

 背筋を伸ばして彼女は訊いた。

「2年ですが」

「いつも救急搬送車に乗っているだけ?」

「どうしてですか?」

 彼女はついと寄ってきて、AEDを地面に下ろした。

「AEDが必要になる患者さんは意識を失っていて、そういう人は、運ばれて来ても、床もしくは地面に横たえられるのよね」

「ええ、まあ」

「事態は一刻を争うの。テーブルから機器を下ろす時間さえ惜しいのよ」

 そういうことか。圭吾はスタッフテーブルの下へAEDを移動した。

「よくできました」

 丸顔にひとなつこい笑みを浮かべて、看護師は会釈した。

「帝大付属病院の竹山凉子です。今日はよろしく」

「東京消防庁第七消防方面本部救急隊の向井圭吾です。こちらこそ」

 救護班に要請されるのは、消防士や病院スタッフばかりではない。医療機器のレンタル企業や製薬会社からも動員されるし、医療用テントや清掃用品のメーカーが営業を派遣してくることもある。本日銀座三丁目救護テントに常駐する消防士は圭吾を含めて2名。相方は先輩救急救命士の伊藤という男で、日頃は救助の仕事に就いている。そのほかは、近隣病院から派遣された医療スタッフ3名(うち医師1名)。企業の応援スタッフ四名という構成だ。近隣住民や大会本部から派遣されるボランティアスタッフは、状況に応じて補充されることになっていた。

 設営準備を滞りなく終えてスタートの合図を待っているとき、圭吾のスマホにメッセージが届いた。恵利からだった。

 ――お疲れ様。間もなくマラソンスタートするね――

 開店準備をしながら、店に置かれたテレビを見ているのだろう。勤務中に圭吾が返信することはなく、向こうもそれを知っているから、メッセージは一方的に表示されていく。

 ――天気予報だと、今日は猛暑日になるみたい。気をつけてね。それで、お兄ちゃん――

 恵利はわざわざそこでメッセージを切ると、

 ――ジャジャーン!――

 と、デコメスタンプを打ち込んできた。

 ――もうすぐお誕生日だったよね? 誕生日プレゼント、乞うご期待なんだから! 妹より――

「なんだよもう」

 この忙しいのにと思いつつ、圭吾はニヤニヤしてしまう。馬鹿みたいに仲がいいなと同僚にからかわれるけれど、日に何度か届く妹のメッセージは、殺伐とした現場の清涼剤みたいなものだ。

「なに鼻の下伸ばしてんだよ。健康ランドの彼女からか?」

 先輩消防士の伊藤がいきなり耳元で 囁いたので、圭吾は無意識に画面を隠した。

「違いますよ。妹です。それに、薫はただの幼なじみですから」

 伊藤が『彼女』と呼んだ長谷川薫は、圭吾と恵利の幼なじみで、商店街外れの健康ランドに勤めている。下町の健康ランドは界隈住民の憩いの場であり、1年中、1日23時間も営業している。深夜にパジャマ姿で入浴に向かうOLもいれば、週の大半をそこで過ごす年金受給者もいて、薫に聞けば界隈の事情がほとんどわかる。そうした職場にいるからか、薫の人間観察能力は恵利同様にずば抜けており、二人揃うと血液型占いの話ばかりしている。ちなみに薫の見立てだと、伊藤はB型。しかもO型寄りのB型で、社交性は高いが保守的で頑固な主観を持つという。ロマンチストで趣味は広いが、ツボにはまったもの以外には興味がない。それが本当に当たっているのか、圭吾はいつか伊藤に訊いてみようと思っている。

「ほー、美人の妹からだったのか。なんだって?」

 伊藤は言葉だけ興味深げに言いながら、耳の後ろをポリポリ掻いた。

「今日は猛暑日になるそうで、気をつけるようにと」

 伊藤に覗かれて隠したスマホを、圭吾はようやくポケットに入れた。

「優しいねえ。なかなかできた妹だ」

 ごっつい顔をゆるませて、伊藤は耳を 掻いた指を制服で拭う。

 その体は、40を過ぎて指導者の立場になったとたん、目に見えて膨らんできたようだ。消防署では当番制でまかないをするが、現場要員と同量の食事を摂ってしまうからなのか、それともストレスのせいかもしれない。

 現場は過酷だったけど、今にして思えばやりがいがあった。若い後輩を指導する場に立ってみれば、全員を守らなければならないという責任ばかりがのしかかり、気持ち的にはなかなか厳しいと、いつだったか酔った勢いで伊藤はこぼした。

 今日は伊藤にとって久しぶりの現場だが、その理由もまた、指導者の立場から本番の管理運営に役立つ情報を得るためという意味合いが強いのだ。

「はい、どうぞ。今のうちに水分補給しておきましょう」

 竹山が冷たいお茶を配ってくれたので、圭吾と伊藤は立ったままでひと息ついた。

 救護用テーブルに置かれたモニターが、スタート地点を映している。配置についたランナーや大会関係者らで会場は満杯だ。日中の気温上昇を考慮して午前七時半という早いスタートにしたのが幸いするか。さらに30分早めないとランナーの負担は大きいか。東京五輪マラソンのシミュレーションは間もなく始まる。

 計器で確認すると、気温はすでに26度。湿度70%に達していた。湿度が80%近くになると、ランナーは自力で体温を下げられない。いずれにしても大会が無事に終わってくれることを望むばかりだ。

「そろそろだね」

 治療台にいるベテラン医師が、モニターを見て腰を浮かした。

 彼は竹山と同じ帝都大学付属総合病院の救命救急センターから派遣されてきた医師で、日に焼けた顔に白い歯が印象的だ。趣味は登山とゴルフだといい、製薬会社の営業と休日の過ごし方談義で盛り上がっていた。彼の足下には白くて大きな医療用クーラーボックスが置かれているが、それを運んで来たのが、体も顔も、顔のパーツも細長い、製薬会社の営業だ。こちらは30代くらいの男性で、スタッフTシャツではなく黒いスーツを着込んだまま、上着も脱がずに涼しい顔で立っている。さっきまで医師とべったりだったが、さすがにスタートが近づくと、手近な医療機器のチェックを始めた。

 圭吾もお茶を飲み干して、紙コップを処分する。UVカットされたテント内部は涼しいが、屋外はすでに太陽が照り返し、ビル群の影がことさら黒い。

 晴れ渡る空を見渡して、圭吾は、「よし」と、自分に言った。

 色とりどりのウェアに身を包んだランナーが、通りの向こうを疾走していく。早い時間にもかかわらず、沿道の人々が東京五輪さながらに旗を振る。

 どの場所にボランティアを配置して、どの場所から旗を配布させ、流れを妨げないようレースを盛り上げられるのか。配備された関係者らが人々の動きに目を光らせる。今のところ、給水方法にも混乱はない。気温、湿度ともにジリジリ上がってきているが、ランナーも観衆も元気のようだ。

 救護テントでは旗振りに興奮して転んだお婆さんが一人、すりむいた足を手当てされている。ほかは平和そのものだ。

 ランナーはサングラスや帽子で暑さ対策をしているし、給水所では冷えた飲み物を提供することになっているので、心配するほど傷病者は出ないかもしれない。そうであってくれればいい。

 観衆とランナーを隔てているのはガードレールとバリケードテープ、ボランティアスタッフだけである。五輪大会の当日には、ガードレールにバナーが飾られ、街路柱にもフラッグが下がり、気分を盛り上げることだろう。

 ランナーの流れに観衆はどよめき、声援が湧きあがる。身を乗り出して応援する人々の後ろにはスマホを構えたグループがいて、そのまた後ろは通行人だ。遠目に様子を眺めていると、全体の動きに一定のリズムが感じられる。

 大会開始後40分。

「ん」

 と、圭吾は鼻を鳴らした。通りのリズムに妙な違和感を覚えたからだ。

 視界の端に偶然影を見たような。不自然な動きを察知したというような……。

 観衆の奥。流れを 遮るように移動していく男がいる。肩を落とし、足を引きずりながらも、その顔は正面を向いて動かない。ほぼすべての人がランナーや観衆に何らかの関心を示すのに、男の目には何も映っていないかのようだ。

 男が人垣に紛れても、圭吾はさらに姿を追った。怪訝な様子に気付いた伊藤が寄って来て、一緒に視線の先を探る。人垣を抜け出た男は足を止め、俯いた。そこに何があるのか見えないが、再び歩き出したときには、手にした物を眺めていたのだとわかった。

「あのオッサンが気になるのか? 何か手に持ってるな」

「野球のボールだと思います」

 伊藤に問われて、圭吾は答えた。片手に収まるサイズの白い球体だ。

 圭吾の視力は両眼共に2. 0だ。あれは野球ボールに違いない。あんなものをどうするつもりだろうと考えていると、男はまた歩き出し、ふいに立ち止まって空を見上げ、両目を瞑った。

 ランナーの一団が通過して、沿道の人々が旗を振る。

 若者がいる。老人がいる。子供がいる。乳母車を押す母親がいる。

 男は再び歩き始めた。

「オッサン、病んでる感じだなあ。お疲れなのか、それとも具合が悪いのか」

「そうですね。日曜なのに仕事かな。まさか、ランナーに投げつけるつもりじゃないですよね」

「まさかな。疲れてるだけだろう」

 とぼとぼと観衆の背後を行くスーツ姿の中年男を哀れんで、伊藤はわずかに肩を落とした。ジジジジ、ジー、と油蝉が、暑苦しい声で喚き出す。

 男が視界から消えて数秒後、突然、どこかで声が上がった。

「逃げろ、爆弾だ ! 逃げてくれ」

 観衆は動かなかった。

 警備ボランティアや警察官さえ、怪訝そうに首を傾げて、声の出所を探っている。

「爆発するぞ! 逃げろ!」

 声は間もなく叫びに変わった。悲鳴のように甲高い声だ。圭吾と伊藤は身構えた。お婆さんの手当てを終えた竹山も、様子を見にテントから出て来る。

「○×××、○○△!」

 次いで日本語ではない怒号が聞こえたのを受けて、ようやく観衆がどよめいた。

「伊藤班長、あれ!」

 圭吾は叫んだ。人垣の崩れた中央に、あの男が立っている。背の高い外国人の黒いリュックに取り付いて、懸命に叫んでいるのだ。逃げろ! 爆弾だ! 逃げてくれと。

 圭吾よりも一瞬早く、伊藤がテントを飛び出した。ガードレールを飛び越えて、向かいの車道へ駆けていく。

 その瞬間、耳を劈く爆音と共に、ビル群の下で閃光が弾けた。
 

  * * *


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東京五輪プレマラソンで、自爆テロが発生。現場では新開発の人工血液が輸血に使われ、消防士の向井圭吾も多くの人命を救った。しかし同日、人工血液が開発された病院で圭吾の妹が急死する。医師らの説明に納得いかず死の真相を追い始めた矢先、輸血された患者たちも圭吾の前で次々と変死していく――。胸に迫る、慟哭必至の医療ミステリ。

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内藤了

長野市出身、在住。長野県立長野西高等学校卒。デザイン事務所経営。2014年、日本ホラー小説大賞読者賞を受賞した『ON 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』でデビュー。同作から始まる「藤堂比奈子」シリーズは広く支持を集め、16年、連続テレビドラマ化。その他「よろず建物因縁帳」シリーズなど、著書多数。

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