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ピンヒールははかない

2017.09.12 公開 ツイート

冷蔵庫をやめ洗濯機をやめメイクをやめスキンケアをやめ会社を辞めて見える世界 稲垣えみ子/佐久間裕美子

ニューヨーク在住ライター佐久間裕美子さん(『ピンヒールははかない』)と、東京在住アフロライター稲垣えみ子さん(『寂しい生活』)による初めての対談は13時間の時差を越えスカイプで行われ、話は多岐に及びました。リーマンショックから約10年、東日本大震災から約6年、私たちを取り巻く環境が確実に変化を遂げるなか、新しいライフスタイルと新しい価値を模索する二人。ものに執着しない、お金に縛られない暮らしを謳歌する彼女たちに見える世界とは?

  *

佐久間 稲垣さんは記者時代は電話取材もやってらっしゃいました?

稲垣 それがすごく苦手で、できるだけ会いに行ってました。一度会っていれば、聞き漏らしがあってもすみませんって再取材できるんですけど、電話だとまた電話しないといけないのがすごくプレッシャーで。

佐久間 会うほうが断然いいものですよね。

稲垣 話すことは一緒でも情報量が圧倒的に違う気がします。

佐久間 同意です。なので、早く稲垣さんに会いたいです。勝手に以前から親近感を持ってたんですよ。

稲垣 私も以前からご著書を拝読してたので今日は本当に楽しみでした。

佐久間 元アエラ編集長で今はビジネス・インサイダー・ジャパン編集長の浜田敬子さんにお会いした時、稲垣さんのことが気になりますって話したら、浜田さん曰く気が合うと思うって。

稲垣 私のことは何でお知りになったんでしょう。

佐久間 新聞かな。私はニューヨークに住んでるのですが、震災後の原発のこととかがすごく心配で。それまでそう熱心にキャッチしてなかった日本のニュースを震災後ちゃんと読むようになって、それで稲垣さんが朝日新聞の論説委員をされていた時代の記事をtwitterとかで拝見したんです。

稲垣 あ、それは個人的脱原発計画というのをやってた頃ですね。

佐久間 周囲の編集の人などに「稲垣えみ子さんに会ったことある?」って聞いたりしてこっそり話題にしてました。それで今回自然ななりゆきで浜田さんがメールでつないでくだった。

稲垣 浜田さんとは、20年くらい前、週刊朝日の編集部にいた時に知り合ったんです。その頃って自分史上最大にお金を使いまくってたんですよ。大阪本社から東京に転勤して洋服を買うのがとにかく楽しくて。全く意味がないのに超ファッショナブルな格好で働いてました。浜田さんは同じフロアのアエラ編集部にいらっしゃったので、そんな私を「無駄にとっかえひっかえ洋服を着てる先輩」と見てたみたいです。だから原発事故後に節電とかいろいろあって洋服を買うのをやめた時、浜田さんはすごく驚いたらしい。「あんなにオシャレだった稲垣さんがこんなになるなんて」ってことあるごとに言うんですよ。おいおい「オシャレだった」って過去形かよって、そのたびに心の中で突っ込んでました(笑)。

服装や化粧を削ぎ落とし

稲垣 まあ、そんなわけで浜田さんのなかでの私の印象はそういう感じで、だから、私と佐久間さんが気が合うのではと浜田さんがおっしゃったのは、きっと佐久間さんも服装なのか化粧なのかを削ぎ落としたのかなって、そのくくりかなと思ってました。

佐久間 まさに私は化粧をやめました。

稲垣 いつですか?

佐久間 段階的にですが、7年くらい前ですかね。田舎に取材に行くことが増えた時に最初は荷物を減らすためにやめたんです。私がどんな顔をしてようが誰も気にしないってことに気がついて。あとアウトドアアクティビティをやる頻度が増えて、ハイキングの時も日焼け止めの替わりに帽子を被ったりとか。誰かにスッピンの方が似合ってるって言われたのもきっかけになりました。最初は恥ずかしくて、特に日本でスッピンで電車に乗るのが。

稲垣 ニューヨークでは平気なのに?

佐久間 ニューヨークにはスッピンの人結構いるので目立たないんですよ。ところが東京だと友達からも「まさかスッピン?」とか言われるし(笑)。母親からも「眉毛だけは書いて」と言われたり。でも一回べたべたする感じがイヤと思ったら本当にイヤになってしまって。そしてスッピンも慣れると誰も何も言わなくなった。ただそうは言っても、7年も化粧してないことで女性性とも切り離された感じが最近気になり始めて。なので、たまに口紅とか塗ってみようかなというのが最近の心境です。

稲垣 7年前というと震災より少し前ですね。リーマンショックの頃とか?

佐久間 心理的に影響ありました。でも実は学生時代からブラジャーしないとか、一人女性運動をしてたんです。ブラジャーは女を閉じ込めるものだとか思って。

稲垣 あ、クラシックなフェミニズムでそういうのありましたね!

佐久間 本を読んでそうなってたんですけど、社会に出て会社に入ると、ブラジャーしてないとおじさんたちがびっくりするじゃないですか。

稲垣 そりゃそうです(笑)。

佐久間 だから大人になったらきりっと会社に行くもんだと思って6年くらい会社員をやって、その頃はもちろんピンヒールとは言わなくてもヒールのある靴をはいてたこともありますし。ところが会社を辞めて自由を追求するうちに、似合ってなくない?ってなりました。その過程で、豊かさとかバブリーなものへの反感もありました。リーマンショック前のニューヨークって、クラブも着飾ってないと入れてくれない雰囲気があったんですよ。今やその空気感も変わりましたが。

リーマンショックと東日本大震災

稲垣 佐久間さんは最初のご著書『ヒップな生活革命』で、リーマンショック後に都市の人たちに起きた変化を書いてらっしゃいますけど、それを読んで、アメリカにおけるリーマンショックは、日本の東日本大震災と、もちろん自然現象じゃないものと自然現象という違いはあるものの、自分たちの足元が弛むという意味で似ていたんだと思いました。

あともうひとつ、リーマンショックって、都会を直撃した震災だったんじゃないか。東日本大震災は直接的には東北地方でしたが、リーマンショックは都会暮らしそのものを直撃した。つまりお金ですよね。お金に対する信頼が、まさに地面が揺れるのと同じレベルで損なわれた。今おっしゃったご自身の変化もその流れのなかで起きたことなのかなって。

佐久間 今まで信じてたものが揺らぐこととか、将来に対する恐怖感とか、私の周りでも震災をきっかけにいろんなことを考え直した人が多くいました。そういう効果はリーマンショックにもあったと思います。一種のカルチャーシフトというか、それまでは買って買って買わないと経済が動かないという信仰があって。消費が経済を回すいう根強い考えがありますよね。でも本当はそうじゃないってことに、リーマンを機に気づいて暮らしを変えた人がたくさんいた。もちろんメインストリームにいる人たちには今だってあの頃のマネーゲームを繰り返してる人も多いけど。

稲垣 価値観が揺れて、今までこうしなければいけないと思ってたことをやめた、そのひとつがお化粧なんですね。今もブラジャーしてるかどうかはわかりませんけど……(笑)。

佐久間 これが、してない。

稲垣 してない? そうなんですか!(笑)。私はしております。でもブラジャーにせよ何にせよ、ずっとこうしないといけないと思い込んでたものをいざやめると全然大丈夫だって気づく強さっていうのがあると思うんです。私の場合は震災と会社を辞めたという、リンクしているふたつのことがあって。例えば震災をきっかけに電化製品をやめて、今は月々の電気代なんてほとんどないも同然なんですが、それまで冷蔵庫や洗濯機がないなんてあり得なかったけど、やってみたらどうってことなかった。っていうか、なくてもやっていけることそのものが大きな解放感だったんです。それによって自分が強くなるというか、怖いものがなくなる感じがすごくあった。それを知ってしまったらもう元には戻れない。よく考えてみたら、お金がなきゃいけない、化粧しなきゃいけない、つまりは何かがないと不安っていうことそのものが恐怖だったんですよね。だからしがみついてしまう。

実際私もさっき言った、めちゃくちゃお金を使って着飾っていた週刊朝日時代は、お金があってそれを好きに使うことこそが自由だと思い込んでました。ところがなくてもやっていけると、そっちのほうがよっぽど自由で。自由であることの解放性を知ってしまうと、いつの間にかしがみつきとは違うステージに突然立っていて、調子に乗って会社も辞めたという……(笑)。

佐久間 自由の醍醐味ですね。

稲垣 1億円をあげるから冷蔵庫をもう一度使ってと言われても、私は絶対ノーなんですよ。そう言うとみんなびっくりしますが、でもそれは1億円をあげるからもう一回牢屋に入って下さいと言われるのと同じことなんです。でもその感覚はなかなかわかってもらえなくて、それで少しでもわかってもらえるようにと本を書いたりしてます。

化粧をやめ、スキンケアをやめ

佐久間 私はお化粧もですが、スキンケアも全然してないんですよ。

稲垣 あ、私もです。昔は化粧品もヨーロッパの高級ブランドとか使ってたんですよ。化粧水だけで1万円とかするものをシリーズで全部持ってて何万円とか。でも今や全部やめて、日本酒にゆずの種を漬けたのを使ってる。そうしたらこれが、肌の調子は高級化粧品時代と全然変わらない。で、一体あれはなんだったのかと(笑)。

佐久間 私は『肌断食』という本を読んでからですが、要はスキンケアをする方がむしろダメージが大きいという話で。それまでも飲んで化粧したまま寝るとかやってましたけど、その本を読んでスキンケアを全部やめたら解放感が半端なくて。電気代のこととかはちゃんと考えたことがなかったんですけど、昔ヒッピー系のものをいっぱい読んだ影響で電子レンジとかは長らく持ったことがないです。場所をとるし、温めたい時は炒めればいいし。みんなが持ってるものが意外とないです。

稲垣 もともとなかったんですか?

佐久間 鏡も長い間持ってなくて、スタイリングは窓でやってました。

稲垣 わかります。私もだいぶ窓です(笑)。

佐久間 コーヒーメーカーも持ってなくて、手で淹れればいいし。トースターもなくて、ガスでフライパン。もともとないならないでやれちゃうタイプなんです。でも私が稲垣さんをすごいと思うのは、私はヒッピーっぽい人に囲まれてきたから、自力で発見したというよりか周りにそういう、トマトは自分で作った方がいいって言うタイプの人が多かったからなんですが、稲垣さんの場合、大きな会社に勤めて、都会に住んで、そのなかで自分のまわりに流れる空気と違うものを発見してる。

稲垣 私は世代的には佐久間さんより少し上なので、いい学校に入っていい会社に入っていい人生という方程式をまるっきり信じ込んで生きてきて、結果的に運良くいい会社に入れて、これで私の人生は安泰だっていうのがあったんです。ところが景気が悪くなれば、会社も世知辛くなるし、思ったほどパラダイスじゃなくなったわけです。さらに『魂の退社』という本に書きましたが、会社員を動かすのは金と人事なんですよね。会社にいる限りは給料は保証されるけど、それに依存すると、それがないと生きていけなくなる。給料が増えれば増えるほど依存度が高まって、これがなくなると私は生きていけないとなる一方で、人事的には年齢が高くなってポストが減るので心理的に翻弄され結局暮らしと誇り、プライドをどんどん会社に握られていくんですよ。若い時はある程度出世すればのんびり左うちわで過ごせると甘いことを思ってましたが、なんと全然違った。むしろ逆だった。年をとればとるほど、会社にいればいるほどどんどんきつくなる。で、ようやくこれはゴールがないのではって気づいたんです。そこから出ることを考えてもいいんじゃないかと。

会社を辞めたら暮らしとプライドが戻ってきた

稲垣 もうひとつ、先ほども言いましたけど、辞める前に震災があって。原発事故にかなりのショックを受けたので節電をしたら、なきゃいけないと思ってたものが工夫次第で案外なくてもやっていけるという自分の力にも気づく過程があった。冷蔵庫をやめる時が一番ハードルが高かったんですが、だから冷蔵庫を辞めても生きていけるなら会社を辞めてもきっと大丈夫じゃないかと。実際、会社を辞めたら暮らしとプライドが自分の手に戻ってきた。当初は身ぐるみ剥がされる感じがすごかったですけどね。給料がなくなるだけじゃなくて、住む場所がない、会社から家賃補助も出てたので、辞めるとなると会社からすぐ通知が来ていつ出るんですか、みたいな。もちろん健康保険とか年金とかそういうのも全部会社にお任せで自分で管理してなかったし。そうした安全装置みたいなものが全部剥がされて。本当にもう裸になる感じがあって、でもその感じがよかったんですよ。すごく清々しかった。私ってこんなもんかって自分が見えたというか。力のなさもわかったし、自分が見えたら怖いものがなくなった感があった。

佐久間 稲垣さんの『寂しい生活』を読んで私は勇気を得ました。うちにはまだ冷蔵庫がありますけど。

稲垣 いいんですよ別に手放さなくて!(笑)。

佐久間 会社という意味では、組織の中でうまくやっていく自信がなくて、私はわりと早い段階で給料が安いうちに辞めて、お金がそうかからない生活を身につけようとやってきました。ひとつのターニングポイントとしてゲーリー・スナイダーという詩人が書いたエッセイを読んで。彼は都会を捨てて山にこもってるんですが、私も2010年くらいから山に小さな家を借りてます。

稲垣 いいな。

佐久間 基本的にインターネットもあるし電気も通ってるし。水もガスもあるんですが、とにかく天候に影響されます。雷が落ちたり、大雪や洪水とかも。そうすると電気がすぐに止まって、ここに住んでるわけじゃないからジェネレーターも用意がないので、真っ暗の中、その辺にあるものを叩いて遊んだり、ろうそくのもとで本を読んだり。音楽がなくてもネットで映画が見られなくても、ないならないでしのぐ工夫をする。今はニューヨークのはじっこの方で暮らしてますが、ビルの廊下は24時間電気が付いてて、やめようよって大家に提案したらアップグレードするのに何百万円かかると言われて。なんとなく、ここに住む自分に矛盾を感じたり、あと車も持ってて、車はいつでもここから出て行けるという「ライナスのブランケット」みたいなシンボルではあるけれど、それにしてもまだ何かにしがみついている感を自分自身に覚えるんです。少しずつひとつずつ解放されていきたいとは思ってます。

そうそう、最近肉をやめました。アメリカの場合、加工肉の作られ方を知ったのと、肉を飼育するためにかなりの環境破壊があるのを知ってなんですが、それはそれで解放感があります。野菜と豆腐で生きていける。ちょっとずつ全解放に向かって進みながら時々戻ったりっていう、水前寺清子さん方式でやってます。

稲垣 あ、365歩のマーチですね! 懐かしい! 久々に思い出しました(笑)。

  *

続きは9月26日発売予定の「小説幻冬」と幻冬舎plusに掲載予定です。

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稲垣えみ子

1965年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業。朝日新聞社入社。大阪本社社会部、「週刊朝日」編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめ、アフロヘアの写真入り連載コラムや「報道ステーション」出演で注目を集めたが、2016年1月退社。その後の清貧生活を追った「情熱大陸」などのテレビ出演で一躍時の人となる。著書に『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』『魂の退社』などがある。

佐久間裕美子

1973年生まれ。ライター。慶應義塾大学を卒業後、イェール大学大学院で修士号を取得。98年からニューヨーク在住。新聞社のニューヨーク支局、出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。アル・ゴア元アメリカ副大統領からウディ・アレン、ショーン・ペンまで、多数の有名人や知識人にインタビューした。翻訳書に『日本はこうしてオリンピックを勝ち取った! 世界を動かすプレゼン力』『テロリストの息子』、著書に『ヒップな生活革命』『ピンヒールははかない』がある。最新刊はトランプ時代のアメリカで書いた365日分の日記『My Little New York Times』。

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