知っている相手、しかも尊敬する仕事相手からレイプされたらどうするか。誤解されるような言動をとっただろうか。お酒を飲み過ぎただろうか。そんなふうに自分を責め、彼の妻に申し訳ないと思い、そうやって時間をかけて気持ちを整理した彼女は、自分の経験を公表すると決めた。『ピンヒールははかない』の著者・佐久間裕美子さんがレポートするニューヨークの女たちの話。今回はシンガーソングライターのラーキンについて。
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ある日、フェイスブックを開いて目に入ってきたポストに凍りついた。シンガーソングライターで知り合いのラーキン・グリムが、8年前にプロデューサーにレイプされた、と発表したのだ。
最後に会ったのは、彼女のウェディングだった。結婚式に呼んでもらえるほどの親しい仲でもなかったけれど、イースト・ビレッジの公園で、誰でもウェルカム、出入り自由というカジュアルな式だったから、気軽な気持ちで出かけたのだ。ずいぶんと年上に見えた夫は、イースト・ビレッジでちょっと知られたマジシャンで、ダウンタウンのパワーカップルになるのだろうと思った。友人たちによるお祝いのパフォーマンスが用意されたそのイベントは、結婚式というよりむしろフェスみたいで、歓声と笑いにあふれていたことを覚えている。
結婚して以来のラーキンの人生の展開のほとんどはフェイスブックを通じて知った。音楽活動は続けていたけれど、結婚後わりとすぐに妊娠した。歌詞の表現に野心家で独立心の強いフェミニストと感じとっていたから、その速度で彼女の人生が進行していくことが意外ではあったけれど、かといってそれについて尋ねるチャンスもなかった。
ところが息子を出産してまたしばらくすると、彼女のポストで、夫にもう一人女性がいたことを知った。二人は別れ、彼女はシングルマザーとして奮闘を始めた。ラーキンは幼い息子を連れていろんなところに出かけていたし、パフォーマンスも続けていた。ネパールに長い瞑想の旅に出たりもしていた。彼女のフェイスブックのポストは、息子の成長を喜ぶときも、別れた夫の浮気について語るときも、いつもまっすぐで、生々しい感情がほとばしるようだった。離婚の後始末に葛藤しながら前に進もうとしているのだろうと想像したりもした。
そんな彼女がしかも、結婚より前にレイプの被害にあっていたというのだ。相手はマイケル・ジラ。ひと回り以上年上のミュージシャンで、プロデューサー。そこそこ有名なミュージシャンが属する音楽レーベルのオーナーでもあった。そしてそのレーベルから彼女はアルバムを発表していた。レイプが起きたとされる年に。
彼女の発表に反応して声明を発表したジラは「名誉毀損に値する噓」と言いつつ、二人の間で「ロマンチックな瞬間」があったことはあったと、認めているのか言い訳なのかわからない声明を発表した。そのあと彼女はソーシャルメディア上で、激しく炎上した。嫌がらせのコメントやメッセが雪崩のように流れこむ様子は、友人たちの応援メッセージを軽くかき消すほどの勢いだった。何年も会っていない彼女に、あの事件の話を聞きたい、と突然連絡するのもどうなのだろうと躊躇していると、彼女のほうからアルバムを出すという連絡があった。すぐに返事をして、会うことになった。
6年ぶりに会った彼女は、昔よりも肩の力が抜けた感じの大きな笑顔で、約束したウェストビレッジのコーヒーショップに入ってきた。調子はどう? と聞くと、すぐに長い答えが返ってきた。
「20代の私は、きっと心のどこかで、自分には30代で賞味期限がきてしまうのだと思っていた。ところが賞味期限だと思っていた年齢を過ぎたら、前より自分に自信を持てるようになったし、自分や周囲の人のことを大切に扱えるようになった。若い頃は、自分の才能に自信がなかったから、自分の音楽に興味を示されると、自分が若くてかわいいから興味を持ってくれるのだろうかと疑った。今の自分は会場で一番若い女でも、一番かわいい女でもないけれど、実力があるからライブハウスに呼んでもらえる。ずいぶんラクになったと思う」
そこから話は自然に事件のほうに向いた。27歳のときに起きたこと。アルバムのレコーディングの最中、プロデューサーが妻や子供と暮らす家に住まわせてもらっていた。歳近く年上のプロデューサーとは、家族のような付き合いをしてもらっていると思っていたが、それが徐々に変わってきた。
「彼はいつも、君はリップを塗ったほうがかわいいよとか、あそこの毛は剃るべきだとか、仕事仲間に言うべきでないようなコメントをするので、そのたびに不快感を覚えていたけれど、普通の会社じゃないから守ってくれる人事部があるわけでもないし、どうしていいのかわからなかった」
セクシャルなことを言われると、笑ってごまかしたり、相手の妻の話を出したり、年の差を指摘したりした。ちょっと魅力的な女を見れば、すぐにやろうとするタイプの男だと思っていたから、自分に特別な興味があるようにも思えず、それほど警戒もしなかった。それが大きな間違いだったことがわかったのは、ある夜、彼に犯されて目を覚ましたからだ。目を覚ました瞬間に、彼はしていた行為をやめて、離れていった。翌日、話をすると、起きたこと自体を否定された。
「それどころか、共同作業をするうちに男女が愛し合うのはおかしなことじゃない、とあたかも、私たちの間に恋愛感情が芽生えているかのように言われた。それは違う、私はあなたのことを愛していないと言ったけれど、聞いてもらえなかった」
その時点で、警察に訴えたり、公表したり、レーベルを去るという措置を取らなかったのは、自分が多大なエネルギーをかけて作ったアルバムがまだリリースされていなかったこともある。そして、自分の感情に折り合いをつけることができなかったこともあった。
「できることはないと思った。そのかわり『彼に誤解させることを言っただろうか』『あの夜酔っ払ったことが悪かった』と自分を責め、彼の妻に申し訳ないと思ったりした。自分の感情の整理をする間、曲を書き続けた」
その頃書いていた曲は、起きたことや相手に対するリアクションを表現したものばかりだった。そしてラーキンは、そういう曲を、相手に送り続けた。彼は、そのたびに「この曲はひどくて発表できるものではない」と主張し、最終的には、自分のレーベルから彼女を外した。
結婚したのも、レイプされたという経験とは無関係ではなかった。夫の浮気のことを聞くと、彼女は肩をすくめて、軽い調子で言った。
「よくあることでしょ。振り返ってみると、私は、愛情からではなくて、恐怖心から結婚した。だから図体のでかい、ボディガードのような男を選んだ。彼はニューヨークのストリートのすべてを教えてくれた。この街で、どうストリート・スマートに生きていけばいいかを教えてくれたの。男の浮気は起きるものだし、それはもちろん嫌だったけれど、でもやっぱり彼には感謝してる」
レイプをされた経験を公表したのは、自分に起きたようなことが、若い20代の女性ミュージシャンたちに起きているのを頻繁に耳にするからだ。
「同意していないのに性交に追い込まれたり、レイプされた経験がある女性はどこにでもいる。本当に日常的に起きていることなの。そして名乗り出ない人のほうが圧倒的に多い。ノーはノーである、女性が同意をしなかったら無理強いをしてはいけないことを子供たちに教育するべきだし、女性は、同意するつもりがないならそれをはっきり告げるなどの意識を強く持たないといけない。この社会の病気を止めるためには、被害者ひとりひとりがクローゼットを出て、声を上げないといけないと思った」
他のプロデューサーたちが魔女狩りの対象にならないように、相手の個人名を出したけれど、ラーキンの目的はくだんのプロデューサーを社会的に吊るし上げることではなかった。けれど当然、彼とは声明の応戦になったし、この件は多数の音楽メディアに取り上げられた。
「ビル・コスビーの事件を見ていたから、名乗り出るレイプの被害者は、ひどいコメントや嫌がらせの対象になることはわかっていた。だからネパールに2ヶ月間滞在し、毎日瞑想をして、それに備えた。それでも、実際の嫌がらせは、想像を遥かに超えるレベルだった。毎日、コンピュータを開ける前に長いこと瞑想して、レイプについての意識を変えるという大きな目的に集中しようと自分に言い聞かせた。公表したことで被ったダメージは、レイプのダメージよりも大きかったと思う」
お茶を飲んでこの話をしたその数日後、ラーキンは、フェイスブックのアカウントを閉じた。「やめます」というポストを見て、あわててタイムラインを遡ると、知らない人からの「猿」「ビッチ」などというメッセージのスクリーンショットが貼られていた。公表して1年近くが経ったけれど、まだ彼女は、この現実と葛藤しているのだ、とハッとした。(佐久間裕美子『ピンヒールははかない』より)