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天才シェフの絶対温度

2017.05.06 更新 ツイート

第2回 この旨いオムレツを超えるには、どうしたらいいか?

天才シェフの美意識とこだわりの原点。 石川拓治/米田肇


開店から1年5ヶ月という史上最速で、ミシュランガイド三ツ星を獲得したシェフがいる。大卒で企業に勤めた後、料理学校に通い、26才で仏料理店の門を叩いた遅まきのスタート。最初は何をやっても失敗ばかりで、シェフに殴られ蹴られる日々だった。しかし……彼の圧倒的な努力と工夫がその後の人生をドラマチックに彩っていく。

フランスに生まれフランスに育ったフランス人シェフでも生涯の憧れである
ミシュラン三ツ星を、なぜこの日本人は手にすることができたのか?


天才シェフ・米田肇の修業時代を描いた『天才シェフの絶対温度「HAJIME」米田肇の物語』の試し読み、第2回!

 

*    *    *

 

 もし辻静雄が肇に会っていたらと僕が妄想してしまうのは、その話の続きのせいでもある。辻にとって、日本に本物のフランス料理を紹介することはある種のライフワークだったわけだけれど、その一方で彼は、日本の料理人がフランス料理においてフランス人を凌駕することはあり得ないと考えていたらしいのだ。そういう辻静雄が、肇のこの話を聞いたら、なんというだろう。

 肇が熱心にフランス料理の技術を身につけたのは、その技術を将来自分が使うためではなかった。

 たとえば、オムレツの正しい作り方を習ったとする。普通の人なら、自宅に戻ってその正しい作り方でオムレツを作って、上手にできればそれで満足する。

 肇も、おそらく自宅に戻ってその正しい作り方でオムレツを作ってみるだろう。ただし、そこからが違う。皿の上のふんわりと焼き上がったオムレツを前にして、肇は腕を組んで、首を傾げる。

 さて、この旨そうなオムレツを超えるには、どうしたらいいか?

 まるで格闘技だ。

 いや、本人は真剣に格闘技のつもりだったのかもしれない。それが人間だろうと、オムレツだろうと、自分の前に立ち塞がった相手は、とりあえずどうやって倒すかを考える。オムレツ作りのルールを学んだら、そのルールを超える方法を必ず考えるのが肇の流儀だった。

 自分は美味しいオムレツを作れるようになったから、オムレツについてはこれで終わり。次はどんな料理を憶えよう、とはならないのだ。オムレツはあくまで喩えで、肇が実際にオムレツの正しい作り方を習ったかどうか僕は知らない。けれど、あの1年間で彼が習った何十かあるいは何百かのフランス料理のすべてのレシピについて、彼はそういう態度で学んでいた。

「フランス料理をずっと勉強していると、フランス料理の骨組みというか、全体を支える共通ルールのようなものが見えてくるんです。肉はどう焼くとか、その肉を焼いたときに出る旨みをどう使ってソースを作るとか、あるいはそのソースにワインや香辛料をあわせるときにはどうするとか。フランス料理を学ぶということは、そのルールを身につけて応用できるようにするということだと思います、普通はね。普通はルールを守るためにルールを学ぶんだと思うけど、私はそんなつもりはなかった。ルールからはみ出すために、一所懸命勉強してたんです。ひん曲がってますよね」

 とても肇らしい、とも言える。

 他の人にできることなら、自分がやる必要はない。人からこうしなさいと言われたら、絶対にそうはしない。それが彼が幼い頃から頑なに守ってきた生き方だった。

 そしてその生き方は、その後の人生の中で彼に刷り込まれた。格闘技の稽古にしても、フレキシブルプリント基板の設計にしても、相手を倒さなければ意味がないのだ。何かを習って、それをそのまま繰り返すことはあり得なかった。格闘技なら敵の裏をかかなければ倒せなかったし、フレキシブルプリント基板の設計なら既存の製品を超えるものを作らなければならなかった。格闘技の技にしても、設計図にしても、独自の工夫を施すことが大前提だったのだ。

 さすがに肇も大人になったのだろう、フランス料理の枠からはみ出すなんてことが、1年や2年でできるはずもないことくらいはわかるようになっていた。

 今は学ぶときだった。フランス料理の枠からはみ出すのは、徹底的にフランス料理を学んでからのことだと心に決めていた。その証拠に、あんなに暗記科目は苦手だといっていたのに、教室の最前列に陣取って、ものすごい勢いでノートを取りながら、誰よりも授業を熱心に聞いていた。

 授業が終わると、彼はすかさず講師のところに行って質問をあびせかける。

 たとえば、こういう質問だ。

「先生はこの野菜を1センチ角に切りなさいっておっしゃったけど、なぜ1センチ1ミリ角ではいけないのですか?」

 ふざけているわけではなくて、肇はどこまでも真剣だった。純粋なのだ。純粋すぎるといってもいい。それだけに、始末が悪かった。

 彼の純粋さを理解して、愛してくれる人も中にはいたけれど、そういう人間は少数派だった。彼の目の前には、苦難の道がどこまでも続いていた。

 彼のような生き方をする人間には、普通の人には何の変哲もない舗装道路までもが、血まみれで歩かねばならないイバラの道になるのだ。

(第四章 すべてを自分の仕事と思えるか より)

※第3回は、5月10日(水)の公開予定です。お楽しみに!
この連載は、『天才シェフの絶対温度 「HAJIME」米田肇の物語』の試し読みです。

関連書籍

石川拓治『天才シェフの絶対温度 「HAJIME」米田肇の物語』

開店から1年5ヶ月の史上最速で、ミシュラン三つ星を獲得したシェフがいる。大卒で企業に勤めた後、料理学校に通い、26歳で仏料 理店の門を叩いた遅まきのスタート。しかし塩1粒、0.1度にこだわる圧倒的情熱で、修業時代から現在に至るまで不可能の壁を打ち破 ってきた。心を揺さぶる世界最高峰の料理に挑み続けるシェフ・米田肇のドキュメント。

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天才シェフの絶対温度

開店から1年5ヶ月の史上最速で、ミシュラン三つ星を獲得!
心揺さぶる世界最高峰の料理に挑み続けるシェフ・米田肇のドキュメント。

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石川拓治

1961年生まれ。早稲田大学法学部卒業。フリーランスライター。
2008年刊行のノンフィクション『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』が映画化され累計45万部のベストセラーに。
その他の著書に、『天才シェフの絶対温度 「HAJIME」米田肇の物語』(幻冬舎文庫)、『新宿ベル・エポック』(小学館)、『茶色のシマウマ、世界を変える』(ダイヤモンド社)など。

米田肇

1972年大阪府生まれ。大学卒業後、エンジニアを経て料理の道へ。「HAJIME」オーナーシェフ。「アジアのベストレストラン50」「100chefs au monde」に選出されるなど世界的な評価を得ている。

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