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大本営発表

2020.03.27 更新 ツイート

大本営発表は今なお続く日本の病理【再掲】辻田真佐憲

公文書の改竄(かいざん)、捏造(ねつぞう)を行ってきた現政権。かつて、日本軍の最高司令部「大本営」も、太平洋戦争下に嘘と誇張で塗り固めた公式発表を繰り返し、「大本営発表」は信用できない情報の代名詞となりました。当時の軍部は現在に置き換えると政権。政治の中心でなぜ、情報の改竄、捏造、隠蔽が起きるのか? そしてそれはどういった結末を迎えるのか? 

2016年に発売された辻田真佐憲さんの『大本営発表~改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争~』は、正確な情報公開を軽視する政治の悲劇、悲惨さを教えてくれます。太平洋戦争下の大本営発表は終わりましたが、この日本の病理は終わったとは思えません。

 八月十五日の大本営報道部

日本放送協会の本部が置かれた内幸町の放送会館。太平洋戦争の開戦と敗戦はここから発表された。現在は小さな「放送記念碑」が残っている。

八月十五日の午前七時二十一分。日本放送協会の館野守男は、再びスタジオのマイクの前に立っていた。館野は、太平洋戦争開戦の臨時ニュースを読み上げたアナウンサーである。

「謹んでお伝え致します。畏きあたりにおかせられましては、この度、詔書を渙発あらせられます。畏くも天皇陛下におかせられましては、本日正午おん自ら御放送遊ばされます。洵まことに畏れ多き極みでございます。国民は一人残らず謹んで玉音を拝しますように」

いわゆる「玉音放送」の告知である。昭和天皇の録音は前日に済んでいた。当日はただそれを放送するだけだった。ただ、クーデター派の軍人がどこに潜んでいるかわからない。現に、放送局に押し入る軍人の姿もあった。正午まで放送局には緊張が続いた。

一方、大本営報道部の会議室には、栗原悦蔵副長以下四人の海軍将校だけが席についていた。陸軍側の報道部員は、報道部の統一後も主に市ヶ谷の陸軍庁舎で勤務していたため、この日も姿を見せなかった。これに対し海軍側の報道部員は、霞が関の海軍庁舎が五月の空襲で半壊したため、ほかに行くところもなかった。

しばらくの沈黙ののち、栗原が時計を見てつぶやいた。

「放送は正午だね」

居合わせた高瀬五郎大佐は嗚咽を漏らし、松岡謙一郎(元外相・松岡洋右の長男。のち全国朝日放送副社長)と戸崎徹の両主計大尉は唇を嚙んで俯(うつむ)いた。栗原の目にも光るものがあった。開戦の日と異なり、この日報道部は完全に蚊か帳やの外だった。

そして正午──。

アナウンサーの和田信賢がマイクに向かって厳かに告げた。

「只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様御起立願います」

そして下村宏情報局総裁の言葉のあとに、「君が代」が放送され、「玉音放送」がはじまった。

「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾なんじ臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言(引用者註、ポツダム宣言のこと)を受諾する旨通告せしめたり──」

こうして太平洋戦争の終わりは告げられた。開戦のときと異なり、そこに勇ましい大本営発表は存在しなかった。

ちなみに、玉音放送前最後の大本営発表は、次のようなものだった。

 

【大本営発表】(八月十四日十時三十分)
我航空部隊は、八月十三日午後鹿島灘東方二十五浬に於て航空母艦四隻を基幹とする敵機動部隊の一群を捕捉攻撃し、航空母艦及巡洋艦各一隻を大破炎上せしめたり

 

これよりのち、大本営発表は六回だけ行われた。いずれも敗戦処理に関する内容だった。そのうち四回は政府との合同発表で、「大本営及帝国政府発表」という形式を取った。

したがって、最後の大本営発表は次のものとなる。

 

【大本営及帝国政府発表】(八月二十六日十一時)
本八月二十六日以降実施予定の連合国軍隊第一次進駐日程中、連合国艦隊相模湾入港以外は、夫々四十八時間延期せられたり

 

太平洋戦争がはじまってより八百四十七回。大本営発表の最後は、連合軍の進駐についてだった。誰がこんな結末を想像しえただろうか。これ以降「帝国政府発表」はあっても、「大本営発表」は行われなかった。

かくして一九三七年十一月にはじまった大本営発表の歴史は寂しく幕を閉じたのである。

(辻田真佐憲『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』「第六章 埋め尽くす「特攻」「敵機来襲」「大本営報道部たちの戦後」へ続く。どうぞ本書をお読みください。)

 

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関連書籍

辻田真佐憲『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』

信用できない情報の代名詞とされる「大本営発表」。その由来は、日本軍の最高司令部「大本営」にある。その公式発表によれば、日本軍は、太平洋戦争で連合軍の戦艦を四十三隻、空母を八十四隻沈めた。だが実際は、戦艦四隻、空母十一隻にすぎなかった。誤魔化しは、数字だけに留まらない。守備隊の撤退は「転進」と言い換えられ、全滅は「玉砕」と美化された。戦局の悪化とともに軍官僚の作文と化した大本営発表は、組織間の不和や、政治と報道の一体化に破綻の原因があった。今も続く日本の病理。悲劇の歴史を繙く。

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辻田真佐憲

一九八四年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。単著に『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。また、論考に「日本陸軍の思想戦 清水盛明の活動を中心に」(『第一次世界大戦とその影響』錦正社)、監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。

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