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終戦直後の社会科教科書『民主主義』が熱い!

2016.02.18 公開 ポスト

第3回

「言論の自由」は、民主主義を守る「たて」西田亮介

  終戦直後の1948~53年に、中学・高校社会科教科書として使われた『民主主義』。日本人が最も真剣に民主主義に向き合った時代の、高い理想と熱い志に溢れた教科書『民主主義』が、社会学者・西田亮介さんの編集により復刊されました。
 幻冬舎新書『民主主義――〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』より、読みどころをお届けする第3回目です。
 多数決の弊害を防ぐためには、どうしたらいいのか。何が、民主主義を「多数派の横暴」から守る「たて」となるのでしょうか?

* * *

 多数決の方法に伴なうかような弊害を防ぐためには、何よりもまず言論の自由を重んじなければならない。言論の自由こそは、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守るたてであり、安全弁である。したがって、ある一つの政党がどんなに国会の多数を占めることになっても、反対の少数意見の発言を封ずるということは許されない。幾つかの政党が並び存して、互に批判し合い、議論をたたかわせ合うというところに、民主主義の進歩がある。それを、「挙国一致」とか「一国一党」とかいうようなことを言って、反対党の言論を禁じてしまえば、政治の進歩もまた止まってしまうのである。

 だから、民主主義は多数決を重んずるが、いかなる多数の力をもってしても、言論の自由を奪うということは絶対に許さるべきでない。何事も多数決によるのが民主主義ではあるが、どんな多数といえども、民主主義そのものを否定するような決定をする資格はない。

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 民主主義を独裁主義から守る「たて」となる「言論の自由」。ですが、ちゃんと「たて」として機能するためには、発信する側の自由が認められるだけでなく、受け手側の懐疑・批判・検証の姿勢が不可欠です。教科書『民主主義』が使われたのは、まだテレビもインターネットもない時代。でも、そこで書かれていることは、当時以上に、私たちに求められているのではないでしょうか。

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 新聞や雑誌やラジオは広告にそのおもな財源を求めているから、なるべく多くの広告を得ようとして競争する。広告を得るために、特に努力しないでも、広告主の方から広告を頼みに来る大新聞や大雑誌ならば、わざと広告主のごきげんを取るようなことをする必要はないが、そうでない場合には、大広告主の気に入るような編集をしたり、その感情を害するような記事を載せることを恐れたりすることもありうる。そういう新聞や雑誌だと、広告主が集まってこれらの宣伝機関に圧力を加え、自分たちにとって不利な法律案が議会を通ることをさまたげるように、論文や記事の書き方についていろいろと注文をつけることができる。その法律案の悪い点を大きく取り上げたり、その支持者の悪口を書いたりさせる。そういう技巧によって、何も知らない読者の気持を動かしてしまうことは決してむずかしいことではない。

 一方また、小さい雑誌や地方新聞の中には、土地の有力者を、不利な事実を書くぞと言って脅迫し、それを書かないことの代わりに多額の金を出させる者などもある。他方には、自分にとって有利な記事を載せさせるため、それらの雑誌や新聞にたくさんの金をそそぎこむ候補者もいる。そういう悪徳記者や、ずるい候補者がいると、有権者はそれにまどわされて、よい人に投票せず、不適任な人物を選んでしまうということになりがちだ。

 新聞記事にはそんな事情でうその書かれることが多いとすれば、それをきびしく監督し、政府が前もって検閲して、そのような弊害を防止すればよいと思うかもしれない。しかし、それはなお悪い結果になる。なぜならば、そうすると、こんどは政府がその権力を利用して、自分の政策のために不利なような論説や記事をさしとめ、その立場にとって有利なことだけを書かせるようになるからである。それは、国民を盲目にし、権力者が宣伝機関を独占する最も危険なやり方である。言論機関に対する統制と検閲こそ、独裁者の用いる一番有力な武器なのである。

 だから、民主国家では、必ず言論・出版の自由を保障している。それによって、国民は政府の政策を批判し、不正に対しては堂々と抗議することができる。その自由がある限り、政治上の不満が直接行動となって爆発する危険はない。政府が、危険と思う思想を抑圧すると、その思想は必ず地下にもぐって、だんだんと不満や反抗の気持をつのらせ、ついには社会的、政治的不安を招くようになる。政府は、国民の世論によって政治をしなければならないのに、その世論を政府が思うように動かそうとするようでは、民主主義の精神はふみにじられてしまう。

 政治は真実に基づいて行われなければならない。しかも、その真実は自由な討論によって生み出されるということこそ、民主主義の根本の原則なのである。甲の主張と乙の立場とを自由に討議させる。甲は宣伝によって国民の心をひきつけ、選挙でも多数の投票を得て、乙に対する勝利を占める。しかし、もしも甲の宣伝が真実でなかったならば、その勝利はいつまでも続くだろうか。国民が真実を発見する能力を持たなければ、真実を言った乙の立場はいつまでも浮かぶ瀬はないであろう。これに反して、国民にその力さえあれば、甲の人気はやがて地に落ちる。そうして、少数だった乙の立場の方が有力になって来る。いや、もしも国民がほんとうに賢明であるならば、初めから甲の宣伝に乗せられて判断をあやまることもないであろう。

 だから、自由な言論の下で真実を発見する道は、国民が「目ざめた有権者」になる以外にはない。目ざめた有権者は、最も確かな嘘発見器である。国民さえ賢明ならば、新聞がうそを書いても売れないから、真実を報道するようになる。国民の正しい批判には勝てないから、新聞や、雑誌のような宣伝機関は真の世論を反映するようになる。それによって政治が常に正しい方向に向けられて行くのだ。

 真実を探究するのは、科学の任務である。だから、うそと誠、まちがった宣伝と真実とを区別するには、科学が真理を探究するのと同じようなしかたで、新聞や雑誌やパンフレットを通じて与えられる報道を、冷静に考察しなければならない。乱れ飛ぶ宣伝を科学的に考察して、その中から真実を見つけ出す習慣をつけなければならない。

 要するに、有権者のひとりひとりが賢明にならなければ、民主主義はうまく行かない。国民が賢明で、物ごとを科学的に考えるようになれば、うその宣伝はたちまち見破られてしまうから、だれも無責任なことを言いふらすことはできなくなる。高い知性と、真実を愛する心と、発見された真実を守ろうとする意志と、正しい方針を責任をもって貫く実行力と、そういう人々の間のお互の尊敬と協力と──りっぱな民主国家を建設する原動力はそこにある。そこにだけあって、それ以外にはない。

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 次回最終回[英雄でも超人でもなく、「普通の人」を信頼する制度]は2月25日公開予定です。

 

*そもそも西田さんはなぜ、教科書『民主主義』を復刊しようとしたのか? 教科書『民主主義』は当時、どのように見られていたのか? 18歳選挙権が実現したいま、どのように活用できるのか? 西田さんの下記コラムもぜひあわせてどうぞ。

「民主主義の共通感覚」と『民主主義』--かつての中学、高校教科書『民主主義』復刊に寄せて
『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』の現代における批評性
現代の「18歳選挙権」用選挙教育教材と『民主主義』
■『民主主義 〈一九四八‐五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版』における幻の「はじめに」


 

 

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西田亮介

1983年、京都生まれ。東京工業大学大学マネジメントセンター准教授。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。(独)中小機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学特別招聘准教授などを経て現職。専門は情報社会論と公共政策。著書に『ネット選挙』(東洋経済新報社)、『メディアと自民党』(角川新書)、『開かれる国家』(共著、KADOKAWA)等がある。

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