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探検家の日々ボンボン

2013.11.06 公開 ポスト

三大北壁と子供と母と男と女―

金原ひとみ『マザーズ』を読む角幡唯介

 結婚して山に行かなくなるのも、男の視点からではあるが、分からないではない。山に登る男と山に登らない女との間の議論に絶対に答えは出ないからだ。女は大体こういうことを言う。せっかくの休日なのに、なぜ二人で出かけずにあなたは山にばかり行こうとするの。結婚って二人の共同作業だし、一緒に感動を分かち合うことで関係性を高め合うことが結婚する意義なんだと私は思う。私たちは一緒なんだよ。結婚したんだよ。山に行くぐらいなら結婚なんてしなきゃよかったじゃない。あなたは結局あたしと一緒にいるより山に行ったほうが楽しいのよ。男はこう反論するだろう。どうしてそういうふうに言うわけ? 両者はどっちが好きかとか、そういう同じ天秤で価値を測れるようなものじゃないじゃないか。もちろんお前と一緒にいたほうが楽しいよ。楽しいけど、でもやっぱり山に登ることも重要なわけよ。山ってのは人生みたいなもんだし、自然の中には日常では感じられない刺激があるわけじゃないか。お前が言っているのは仕事と私とどっちが大事なのっていう聞き分けのない女のセリフと同じだぞ。山は仕事みたいなものなんだ。そう。仕事なんだよ。

 このやり取りを読んでも分かるように、お嬢さん、山男には惚れるなよという言葉は真実だ。山に登る男は山に登りたいばっかりに、理屈にもならない理屈をこねて妻を説得したり、騙したり、山以外の部分では積極的に妻に屈服して掃除をしてみせたり、アイスを食わせたり、便座に座って小便することを習慣化したり、色々おもねって山に行こうとする。だけどやはり口論は絶えない。クライマーの間では、妻の機嫌を損ねたまま山に行き、帰宅してみると激怒した妻が玄関の鍵を閉めてしまったため、中に入ることができず止むを得ず木を登って二階の窓から入った、なんて話はざらにあるのだ。だから多くの場合は結婚を機に山が縁遠くなる。アインシュタインが言うには、結婚とはたまたま起きてしまったことを長続きさせようとする虚しい試みであるそうだから、二人の関係を気まずいものにしないよう奥さん孝行に休日を使うようになり、結果的に山から足が遠のいていくのである。

 では、子供の場合はどうだろうか。私は今までこう理解していた。いくらなんでも育児をほったらかして自分だけ好きな山に行くのは人倫にもとる。妻のほうは育児ストレスでイライラしているし、「どうして私だけ子供の面倒をみなくてはいけないの? あなたばっかり好きな山に行って不公平じゃない」と糾弾されたら、駄々をこねるぐらいしか反駁できる言葉なんて見つかるわけがない。駄々をこねて育児を放棄したら、それはもう家庭崩壊寸前だ。従って普通は子供ができてしばらくの休日は育児に専念せざるを得ず、山に行くことはできない。

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探検家の日々ボンボン

冒険も読書も、同じ秘境への旅なのかもしれない――。探検家の、読書という日常のなかの非日常。

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角幡唯介

1976年北海道生まれ。早稲田大学卒、同大探検部OB。『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー渓谷に挑む』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』で講談社ノンフィクション賞を受賞。

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