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あなたの知らない「君が代」

2015.08.26 公開 ツイート

第5回

「君が代」斉唱はこうして強制されてきた 辻田真佐憲

明治初期に誕生して以来、波乱の歴史を歩んできた「君が代」の知られざるエピソードを明かしてきた本連載。最終回は、戦後から現在まで続く、「政府から要請された『君が代』斉唱の歴史」を振りかえります。新書『ふしぎな君が代』では「君が代はなぜ『面倒くさい歌』に成り果ててしまったのだろうか」とありますが、その背景が端的に見えてきます。


「要請」で終わるわけがない

 下村博文文科相は2015年6月、国立大学学長に対して、入学式や卒業式における「国歌斉唱」の取り扱いについて「適切な判断」を行うように求めました。事実上、入学式や卒業式で「君が代を斉唱せよ」と求めたものだといえます。

 単なる「要請」だからいいのではないか、と思われる方もいるかもしれません。しかし、これは文科省の常套手段です。同省は、公立学校の「君が代」斉唱についても、はじめ「要請」を行い、次第に切り崩して、最終的に「強制」に近づけていきました。それゆえ、今回も「要請」で終わるという保証はまったくありません。

 では、文部省が戦後どのように「君が代」斉唱の「強制化」を進めてきたのでしょうか。以下、簡単にその経緯をたどってみましょう。


復活ののろしをあげた「天野談話」(1950年)

 アジア太平洋戦争の敗戦後、学校儀式で「君が代」は斉唱されなくなりました。戦時中に「天皇讃歌」だと教えられていた「君が代」は、国民主権を原則とする「日本国憲法」の精神と合わないと考えられたからです。

 そんななか、1950年5月に文相に就任した天野貞祐は、学校行事で「国歌を斉唱することもまた望ましい」とする談話を発表、「君が代」復活ののろしを上げました。あくまで「望ましい」という見解を述べたにすぎませんが、これこそ文部省が戦後「君が代」を推進する重要なきっかけとなりました。

 

「学習指導要領」改訂(1958〜1960年)

「学習指導要領」は、小中高校の教育課程や教育内容を定めたものです。文部省は、1958年および1960年に小中高校の「学習指導要領」改訂を告示。ここで初めて、「国民の祝日」などにおいて儀式を行う場合には、児童生徒に「『君が代』をせい唱させることが望ましい」と、「君が代」について言及しました。さらに、1977、1978年にはこの規定を「国歌を斉唱させることが望ましい」と改めました。

 戦前には、祝祭日に学校で催される儀式で「君が代」が歌われていました。「学習指導要領」の規定は、この戦前の儀式を意識したものでしょう。もっとも、この時点では文部省も「望ましい」などと控えめでした。


「徹底通知」(1985年)と強制化のはじまり

 ところが、1980年代から文部省の「強制化」が強まってきます。1985年、文部省は公立学校の入学式と卒業式における「君が代」斉唱の実施率を調査。その結果、卒業式では、小学校で72.8%、中学校で68.0%、高校で53.3%しか「君が代」が斉唱されていないことが判明しました。

 平均値を取るとそこそこの数値ではありますが、長野県、京都府、沖縄県のようにほとんど実施されていない自治体もありました。

 これを受け文部省は、初等中等教育局長の名前で「入学式及び卒業式において、国旗の掲揚や国歌の斉唱を行わない学校があるので、その適切な取り扱いについて徹底すること」という通知を出しました。いわゆる「徹底通知」と呼ばれるものです。

 さらに、文部省は1989年にまたもや「学習指導要領」を改訂。従前の表記を「国歌を斉唱するよう指導するものとする」と改め、斉唱の場面も「入学式や卒業式などにおいて」と、より明確に定めました。ここでついに「望ましい」という態度が放棄されたのです。

 

「国旗国歌法」成立(1999年)

 卒業式における「日の丸」「君が代」の取り扱いをめぐって広島県の高校校長が自殺したことをきっかけに、1999年8月に「国旗国歌法」が成立しました。同法は第2条で「国歌は、君が代とする」と定めています。

 当時の小渕恵三首相も、野中広務官房長官も、「国旗国歌法」は国民に対してあらたな義務を課すものではないと繰り返し説明しました。ただ、「国旗国歌法」はその後各自治体で「君が代」斉唱を進める際の有力な根拠のひとつとなりました。例えば、「君が代」は法律で「国歌」と定められているのだから、これに抵抗するのは非常識である、などという具合です。「国旗国歌を尊敬できない人は、日本国籍を返上して頂きたい」と発言した県知事さえいました。

 抵抗する教職員に対する懲戒処分が行われたこともあり、1990年代に入って、公立学校における「君が代」斉唱の実施率は急激に上昇し、2000年代初頭にほぼ完全実施を達成するに至りました。

「国旗国歌法」に掲示された「君が代」の楽譜。


国立大学に「君が代」斉唱を「要請」(2015年)

 この間、東京都で国旗国歌に関して独自の通達が出されたり、大阪府市で「国旗国歌条例」が制定されたりしました。これはこれで重要なできごとではありますが、ここでは国の動きを中心に見ているため、地方の例は割愛します。

 さて、2015年に戻っていました。下村文科相は先の要請に関して、国立大学学長に対して次の点を踏まえるようにと述べています。

① 「国歌斉唱」が長年の慣行により国民の間に定着していること
② 1999年に「国旗国歌法」が施行されたこと

 何の義務も課さないはずの「国旗国歌法」が、ここでも都合よく利用されていることがわかります。

 文部省(2001年以降は文科省)は、公立学校では「要請」から初めて徐々に「強制」へと持っていきました。そして次は、これを既成事実として国立大学に「君が代」斉唱を「要請」するに至りました。文科省の手口はきわめて巧妙です。

 こうした歴史を踏まえれば、国立大学への「要請」が「要請」のまま終わるとは思えません。また、私立学校についても「私学助成金が出ている」などを理由にして切り込んでくるかもしれません。

 国立大学は「学習指導要領」に縛られない分、小中高校に比べて立場が強いはずです。また、そもそも「君が代」の扱いに関しては大学生や大学関係者が各自で考えるべきことです。文科相から「要請」があったからといって、唯々諾々とこれに従うようなことにならないことを望みたいと思います。

 

 

 

お知らせです!

 

 

2015年8月26日に『ふしぎな君が代』刊行記念イベント開催します! ゲストは元・一水会顧問の鈴木邦男さんです。

辻田真佐憲 × 鈴木邦男
政治と芸術に正しい関係は存在するか?
──『ふしぎな君が代』(幻冬舎新書)刊行記念

日時:2015年8月26日 19時~21時(開場18時)
場所:ゲンロンカフェ

http://genron-cafe.jp/access/

お申込み等詳細は下記サイトからどうぞ。
http://genron-cafe.jp/event/20150826/

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辻田真佐憲

一九八四年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科を経て、現在、政治と文化・娯楽の関係を中心に執筆活動を行う。単著に『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』(幻冬舎新書)、『愛国とレコード 幻の大名古屋軍歌とアサヒ蓄音器商会』(えにし書房)などがある。また、論考に「日本陸軍の思想戦 清水盛明の活動を中心に」(『第一次世界大戦とその影響』錦正社)、監修CDに『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ!』(キングレコード)、『みんな輪になれ 軍国音頭の世界』(ぐらもくらぶ)などがある。

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