高校を卒業する間近に出会った男は女性の生足を「美しくない」と絶対に許容しなかったらしい。十代で同棲してハタチで結婚して二十三で離婚するまで、一日も欠かさず家の中でストッキングを履いていたというその人が、ある朝起きて、横に寝ている彼の横顔をまじまじと見つめると、そこに寝ていたのは五年間毎日なんて素敵な人なんだろうと思ってきた男と同一人物とは思えない、気の抜けたコーラみたいな魅力のない男だった。

「はて、私は一体なぜこの人に言われるままに毎日きつくて破けやすいストッキングを履いているのだっけ」と思い、その日の内に家を出る決意をした。昨日まで世界一素敵だと疑わなかった男は、一夜にして世界一どうでもいい、少なくとも横に寝たいとは思えない男に早変わりした。喧嘩をしたわけでも彼の浮気が発覚したわけでも彼女の方に好きな人ができたわけでもなかった。
彼は今で言えば在野の研究者のような、学者の卵のような作家の卵のような、要は収入は翻訳の下訳のバイトなどかなり少ない立場の人だった。彼女は関東の外れにある町医者の娘で、出会った頃には医学部受験を控えていたが、それを一旦放棄し、家事の合間には近くの不動産屋の経理のパートやレジ打ちで彼を支えた。
生活は楽ではなく、畳の二間しかないアパートには彼の大量の蔵書があって実質一間で暮らしたらしいので、彼女はその畳の一間の中で毎日欠かさずストッキングを履いていたということになる。多くの人が恋心や愛と呼ぶものの中に実際には含まれる、見栄や男の条件を求める邪な心や打算や、そういうものからは一切自由な、純粋に恋のできる女性だった。
多くの結婚は複雑な感情や計算や生活や子どもや世間などいわば不純物によって骨格や表層や時には土台が作られているので、中心にある愛のようなものが消えたところでそう簡単に消えはしない。形骸化したり歪な形になったりしながら、その時々の不純物の配合によって寝室を分けるとかご飯を作らないとかいう工夫を凝らして延命する。
でも彼女の場合、そんな純度100%な恋だからこそ、そしてその粋な恋心だけで作った結婚生活だからこそ、彼に惚れている心が陰ったら本当に蝋燭の火のように跡形もなくふっと消えた。性格の良い彼女はくだらない男のために五年も無駄にしちゃった、という、性格の悪い私が大体人生の半分くらいについて考えているようなことは考えないが、その後の彼がどうなったか、といった興味は皆無なようで、さっさと関東の外れの、あまり仲のよくない親元に戻り、奨学金をとって医学部に入った。
私は純粋に恋して純粋に冷めた女性の潔さにいいぞいいぞという気持ちで憧れるのだけれど、それよりその、長くはないにせよ私的には短いとは言えない結婚生活でずっとストッキングを履いていたという部分が気になって仕方がない。この話は今から五十年ほど前の話で(彼女は私の母の同窓生だったから)、ストッキングの性能だって今とは比べものにならないくらい悪かっただろうに、畳の狭い一間で朝から晩までストッキングを履いて生活をしていた。むれるし、きついし、お金もかかる。男がセックスの度にそれを破いていたかどうかは知らないが(セックスの時にストッキングをご所望の男というのは割と普通に存在する)、破かれていたにせよ脱いでいたにせよ、おそらくした後にまたストッキングを履いていたのだろう。
滅多にストッキングなんて履かないし、葬式なんかで履かざるを得ない時でも帰ってきたらトイレでパンツを下ろすついでにすぐに脱ぎ捨てる私からすると考えられない。ちなみに彼はブラジャーも必ずつけているように指示していたらしい。その時代にナイトブラとかルームブラとかが存在したとは思えないのでそれも苦行でしかないが、以前この話を人にしたら、家でもブラジャーを付けている人が多いことを知って驚いた。私はブラジャーも帰宅後は手を洗うのと同時くらいにはずす。
純度の高い恋愛を基礎とした彼女の結婚生活においては、居心地の良さのようなものを追求する観点はなかったのだろうと勝手に推測する。あるのは燃えている彼への想いであって、その彼が求める姿になることは自然であったかもしれないし悦びであったかもしれない。
とはいえストッキングもブラジャーも嫌いな私だったらたとえ光り輝く才能的な何かがあってちょっと惚れていたとしてもその男とは絶対住めないし、彼の方だって絶対に私のように半裸で平気でほっつき歩く女のことなんて嫌いだろう。ストッキングを強要するならせめて自分も同じくらいキツキツのスキニーパンツを片時も離さず着ていて欲しいと思うが、どうせそういう男は着流しでくつろいでいたに違いない。美的感覚はさておき、相手が苦しいだろうとかちょっとは想像しなかったのだろうか、と会ったこともない、後に何冊も本を出したその男に遠隔でイラっともする。
付き合ったその月に妊娠したデキ婚勢ではあるものの、こういう相手じゃなかったらさすがに結婚はしなかっただろうという相手の条件はそれなりにある。私の趣味の一つに旅行や出張先のホテルを決めたりエアチケットを比較したりする、いわゆる旅の計画というのがあるが、たとえ惚れた男であってもそういうシーンで自己主張してくる男はイヤだ。自分で主導権を握りたい男とも合わないだろうし、こちらに決めさせておいて文句を言うやつなんて言語道断。
AというホテルとBというホテルで本気で悩んでいる時くらいは一応、「どっちがいいと思う」と聞くこともあるが、「わー僕はBが魅力的に思えるけどどっちでももちろん素敵だよ」以上のことはあんまり言ってほしくない。そしてBの方がちょっとよさげと言われてもAにすることもある。そしてもちろん、家にいる時のだらしない格好についても文句を言われたくはない。ストッキングを履いたら、なんて言われたらその場では聞こえないふりをしてもちろん実行はしないし、速攻で親友に彼への呪いをLINEし、最近あんまり使っていない旧ツイッターでキモイと呟いて共感を集める。
そういう主導権は必ずしも人間関係の主導権や人生の主導権と一致するわけではないものの、とりあえずここでの主役を譲ってくれる、みたいな人とでなければ私は、デキようが、双子がデキようが、五つ子がデキようが結婚しなかっただろうとは思う。結婚しなかった元カレ群の中にはもちろん、若い私が「かっこいい♡」とか「すごい才能♡」とか思って自分との相性は度外視で選んだ、全くサイズの合わないピンヒールのような男が混じっていて、彼らとは途中から非常に悪い関係性になり、最後は嫌いあっていがみ合って別れて、もうもちろん連絡をとってもいないし道で会わないことだけを願って生きている。
母の友人自身が結構ストッキングが好きだったかどうかはわからないが、相手選びで相手自体の魅力を優先するか、彼といる時の自分の在り方を優先するかは重要な問題だと思う。どちらにしても後悔はあるだろうし、苦痛もあると思う。若い時にはどちらかといえば前者が多いだろうし、歳をとったり結婚生活を前提に考えるようになったりした時にはある程度後者への転向組が増えるだろうが、結婚を考えたとて、相手の社会的な立場や収入をまず気にするとしたらそれは前者の考えに近いものなのかもしれない。
それによって自分の生活の基盤ができるのであれば単に顔や才能に惹かれていた若い時とは違うかもしれないが、とはいえ豊かな生活を保障してくれる相手が、自分がこうありたいと思える自分を受け入れてくれるかどうかはわからない。すっごい金持ちと結婚してほしいものはなんでも買えるというのも羨ましい限りだが、その相手が「爪はあんまり長くしないほうがいいんじゃないかな」とか言ってくる人だとしたら羨ましさは地の底に落ちる。
男を好きなのか、その男といる時の自分が好きなのか、は、過去の恋愛を色分けしてみても二分されるところであると思う。そして個人的にはその男がものすごく素敵ということよりも、その男といる時の自分の在り方が好きか、少なくとも嫌ではないかということは結構重視しているのだと思う。というか、四十年生きてようやくそれが大事だということに気づいたとも言う。ものすごく好きなミュージシャンと付き合えたとしても、その人といる時の自分が卑屈だったり嫉妬ぶかかったりすると関係を継続するのは難しい。ソファに足をあげてカップラーメンを食べる、みたいな自分の好きなスタイルを否定されるのはもっとわかりやすく苦痛だ。そんなことに気づくのに私は随分と青春を削り、変な男と寝た気がする。
ちなみにキャバクラに飲みに来る男だって、本気で指名の女にぞっこんという人もいるが、キャバクラでお金を使って心地よくちやほやされている自分が好きで女なんて実は対して好きじゃないという人も多い。どっちでも好きにしたらいい。が、キャバクラに来ている自分は好きだけど女なんて大して好きじゃないタイプは見栄のためにお金を使うが、その逆は女との関係性のためにお金を使うので、支払っている対価に対して目的が達成されないという文句はぞっこんタイプに多い。
居心地の良さや相性を重視した方が生活のストレスは少ない気がするが、では相手の才能や魅力を重視しているタイプと比べた時にどちらのほうが女として気合が入っているかというと勿論、ストッキングを一日中履ける方に軍配があがる。別にいまさらラストコールみたいな気合で化粧も服選びもしようとは思わないが、たとえ相性重視のカップルだとしても、相手にとって少しは魅力的であろうという努力はあまり放棄すると、単に相手にやや冷たくされ始めるというのと、ストレッチパンツにパーカーのようなファッションに落ち着いてしまって非常によくない、と最近気づきだしている。
瀬戸際の花嫁の記事をもっと読む
瀬戸際の花嫁

人気連載「夜のオネエサン」シリーズが帰ってきました! 妻になり、母になることになった鈴木涼美さんが、人生の思いがけない展開にときに戸惑い、ときに喜びながら、「夜のオネエサン」たちの結婚・出産について思いをはせます。










