\『コテンラジオ』『ゆる言語学ラジオ』出演で話題/
九州で生まれ育ち、キューバでの在外研究やコロンビアの日本大使館での勤務を経て、各地のフィールドワークに取り組んできた文化人類学研究者の室越龍之介さん。40歳を目前に上京しますが、「東京」という街に戸惑いを覚えます。
「箱根の向こう」のさらに向こう側、化外からやってきた「九州男児」の文化人類学研究者が、東京に暮らし、歩き、奇妙なまなざしを浴びながら、東京を人類学の視点から描く新感覚のエッセイ!
前回は東京で「鬼」とまなざされ戸惑っていた「九州男児」の室越さんでしたが、今回はキューバで研究中にピザ屋のおじさんから投げかけられた印象的な言葉から「世界システム」について思いを馳せたようで……?
* * *
2014年の1月、僕はキューバ共和国のハバナ特別市にいた。
当時、文化人類学の博士課程をやっていた僕は、研究ために断続的なフィールドワークをハバナで行っていた。それまでのフィールドワークでスペイン語がある程度わかるようになっていた僕は、ハバナの家に着くなり荷物を放り出して、気軽にセントロ・ハバナ(旧市街と新市街の間にある人口密集地区)の街に出ていった。
古いアメリカ車に積まれたエンジンからでる排ガスの匂い。そこかしこでふかされる煙草の匂い。どこかの家で誰かがサルサを聞いている。カリブ海の風が街区を通り抜ける。
キューバに戻ってきたと思った。
ハバナは、大航海時代、スペインが植民地を防衛するために建設した都市だ。現在でも要塞が残されているし、往時は城壁に取り囲まれていた。貿易船が出入りする港湾都市でもあって、ハバナの市街地の北側はカリブ海に面している。絶えずカリブの波が打ちつけ、水飛沫がかかる海岸通りはマレコン通りという。マレコン通りから内陸部に伸び、セントロ・ハバナとベダード(新市街)を分ける道をインファンタ通りという。
僕が下宿をしていた家は、このインファンタ通りにあった。大学が近く、交通の便がよい。旧市街にも新市街にもハバナを出て、他の都市にも比較的行きやすい。
インファンタ通りに出てみると、前年の滞在にはなかったピザ屋ができていた。2014年のキューバは、国策の観光客誘致とヨーロッパや中国からの投資が来たこと、それまで規制されていた自営業の許可が緩和されたことで、レストランや観光客向けの民宿が増えていた。
ピザ屋に入ると、椅子はなく、立ち食いスタイルだった。ハバナの街には、ベンターナ(窓)と呼ばれる簡易なピザ屋がたくさんある。民家の窓から、一人前のピザやスパゲッティ、お菓子なんかを買うことができる。1ペソ(当時4円ほど)のコーヒーには砂糖がこれでもかというほど溶かし込んであり、刺すような日差しでバテていても、これを飲むと元気になる。そういった店では、買ったピザを店の前で立ったまま食べるのが普通だった。
ちょっとした店構えがあっても、基本的なサービスは変わらないということだろうと察して、僕は、ハムの乗ったピザとTuKola(キューバ国産のコーラ)を頼んだ。
テレビに映ったニュース番組をなんとなく眺めながら、コーラを飲んでいると、カウンターの奥に陣取っていたおじさんに突然話しかけられた。キューバでは突然話しかけられることが、珍しくない。
「どこから来た?」
「日本」
「何しに?」
「キューバを見に」
「日本みたいな第一世界から? キューバに見るものなんてないよ! ようこそ! 第三世界へ!」
とおじさんは言った。
「ようこそ、第三世界へ」
第三世界という言葉は、もはや聴き馴染みのない言葉かもしれない。冷戦時代に、アメリカ率いる自由主義・西側諸国(第一世界)でも、ソビエト連邦率いる社会主義・東側諸国(第二世界)でもない、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの植民地から独立した国々を指していた言葉だ。
おじさんの言い振りは、政治的に単に第三極だったというだけではなく、貧しい、発展途上国であるというニュアンスを含んでいるように聞こえた。裕福な国から来たチーノ(中国人という意味だが、広くアジア人を指すときにも使われる)が、15ペソ(60円ほど)のピザを食べ、TuKolaを飲みながら、「キューバを見に来た」という。
おじさんが嫌味の一つも言いたくなる気持ちもなんとなく僕にもわかった。
キューバは、1980年代まで社会主義の理念を体現したような豊かな国だった。
しかも、それは、1959年にフィデル・カストロや日本でも有名なチェ・ゲバラに率いられた革命軍がアメリカ合衆国の傀儡政権を倒したことで手に入れた豊かさだった。傀儡政権下のキューバはギャンブルや売春、麻薬などが産業化し、アメリカ人富裕層や観光客向けの一大歓楽街と化していた。そんな、祖国を革命軍は取り返し、少しずつ国を豊かにした。
だが、その豊かさは、実はソビエト連邦の経済支援への依存によって成立していた。1991年にソビエト連邦が崩壊すると、経済危機がキューバを襲った。この時期には、「猫を食べたらしい」とか「雑巾を食べた」といった話を聞く。それほどの飢えが襲うほど、経済が破綻してしまったわけだ。
2014年はその衝撃も随分と和らぎ、経済が成長に向かっていく局面だった。
そんな中、能天気な観光客面をしたチーノが、地元民向けのピザ屋でぼさっととコーラなど飲んでいる。キューバ人の経験した苦境も知らず、「キューバを見に来た」などという。
先進国のお坊ちゃんの物見遊山。
まさに、「第三世界へようこそ!」だ。
僕は、咄嗟に返事ができなかった。
「どこで、スペイン語を勉強した?」とおじさんは続けた。
「去年、ハバナ大学で」と僕は返事をした。
前年に1年間、ハバナ大学に通ってスペイン語を勉強していたことを話すと、おじさんの態度は少しずつ打ち解けて行った。物見遊山の観光客には嫌味を言うが、勉強をしに来た学生には、親切にいろいろ教えてくれる。
僕がピザを食べ終わって、店を出ようとすると、「悪い奴に気をつけろよ」とおじさんは言った。
僕は「そうするよ!」と返事をしてから店をでた。
1月のインファンタは半袖だと少し肌寒いぐらいだった。
さて。
このエピソードを僕たちはどのように考えたらいいだろうか。インファンタのピザ屋のおじさんは「第一世界」と「第三世界」に序列を見出していた。富める世界と貧しい世界を分け、僕を富める側、自分を貧しい側に置いた。
このことをもう少し複雑に、歴史的経緯を踏まえながら考えた人がいる。アメリカ合衆国の社会学者イマニュエル・ウォーラーステインだ。
ウォーラーステインは、人間の社会を考える上で、ある国家の内部の分析だけでは足りないと考えた。なぜなら、僕たちは、しばしば国家の枠組みを超えて、地理的に離れた地域で、原料が産出されたり、加工されたりする生産物を流通させて暮らしている。そして、この生産物を流通させる仕組みは、しばしば地理的に固定されている。
例えば、今日、日本で産出された原料が、明日はナイジェリアで、明後日はオーストラリアで産出されたりすることはない。同じように、今日中国で加工されている商品が、明日はトルコで、明後日はアルゼンチンで加工されたりすることもない。
大体、特定の場所で原料が産出され、また別の特定の場所で加工され、さらに別の場所で消費される。
つまり、これらの地域は、商品の流通過程で分業体制を持っていて、経済的に相互に依存関係にある。ウォーラーステインは、このように地域を超えて、分業体制が敷かれている社会を、「世界システム」と呼んだ。
世界システムには、大きく三つの地域がある。
一つ目は、高賃金・高技術・資本集約的生産を担う商品の最終消費地になる「中央」。もう一つは、低賃金・単純労働・原料生産を担う「周縁」だ。周縁地域は、しばしば、プランテーション、農奴制のような強制的な労働編成が現れる。そして、最後が中央と周縁を結ぶ「半周縁」で、双方の性質を併せ持つ。
世界システムの一つの形態として例に挙げられるのは、古代ローマ帝国だ。首都ローマやイタリア半島を中央として、ヨーロッパや北アフリカ、中東の属州を周縁として保持していた。属州の穀物やオリーブオイル、ワインなどは帝国内部に流通して、一つの経済圏を築いた。
歴史的に、広大な領域を支配して、似たような世界システムを構築した例はいくつかあるが、例外的な存在が16世紀のヨーロッパで起こった世界システムだ。イギリスやフランスなど、北西ヨーロッパを中央として、東欧やアメリカ大陸、アフリカ、アジアの植民地を周縁化しながら拡大して行った。
それまでに現れた世界システムは官僚制度を発達させ、軍事的な征服を伴うことで、経済的な統合に加えて、政治的な統合も行われた「世界=帝国」であったのに対し、16世紀のヨーロッパ生まれの世界システムは経済的な統合が行われたものの、政治的な統合が起こらなかったという点でちょっと変わっている。こちらは、「世界=経済」と呼ぶ。
ちょっと説明が長くなった。要するに、僕が言いたいのは、インファンタのおじさんの、世界には「富める中央」と「中央に収奪された貧しい周縁」が存在している、という理解は、ウォーラーステインによって歴史的なメカニズムの帰結として論証されているということだ。
僕は、おじさんに話しかけられる前からウォーラーステインを知っていた。
だけれども、「第三世界へ、ようこそ!」と話しかけられたとき、咄嗟に浮かんだのは「そんなではない」という感情だった。
地方の文系博士なんてものは肩身が狭い。稼ぎはないし、金はかかる。別段尊敬もされないし、同級生たちには「長すぎるモラトリアムを謳歌している」と思われている。おまけに、当時は高学歴ワーキングプアなんて言葉も出てきていて、まったく、世界の落伍者と自認をしていた。
だから、おじさんに「収奪する側」と置かれたことがいまいち納得できなかったわけだ。
だが、冷静に考えると実際にはそうだ。
ウォーラーステインの言う通り、キューバはサトウキビを生産するプランテーション的なモノカルチャー経済だ。先立っては、言わなかったが、ソビエト連邦は東側諸国の貿易圏でキューバを優遇する代わりに、キューバの工業化を阻害していた。キューバが自前の自動車を作るのをやめさせて、自分たちの自動車を送り込んでいた。
そして、ソビエト崩壊以後は、アメリカを中心としたグローバルな自由市場経済の周縁として、否応なく組み込まれた。
対して日本は、往時の勢いは無くなったものの、世界有数の経済規模を持つ中央の一つ。「第一世界」なのだ。
その証拠に、僕は貧乏学生ながらキューバに長期滞在ができ、おじさんは日本に長期滞在ができない。パスポートやビザの取得に高額な費用がかかることを考えれば、航空券や滞在費以前の問題だ。
僕は、否応なく「収奪する側」として、ピザ屋のカウンターに立たざるを得なかった。
おじさんは別段僕のことを糾弾したり、告発したりしたわけではない。
ほんのジョークを言ったにすぎない。
でも、まったくその通りだった。
「中央」と「周縁」。
ウォーラーステインが自分の考えをまとめた『近代世界システム』が出版されて半世紀が経つ。「中央」と「周縁」の議論はちょっと使い古された感もあり、研究はもっとずっと先に進んでいる。
「中央」と「周縁」、「東京」と「地方」、「男性」と「女性」、「富者」と「貧者」、「収奪する者」と「収奪される者」……。
だが、僕は時々この二つの概念の間に佇んでしまうのである。
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