\『コテンラジオ』『ゆる言語学ラジオ』出演で話題/
九州で生まれ育ち、キューバでの在外研究やコロンビアの日本大使館での勤務を経て、各地のフィールドワークに取り組んできた文化人類学研究者の室越龍之介さん。40歳を目前に上京しますが、「東京」という街の奇妙さに戸惑いを覚えます。
東京と地方、中央と周縁、階級と競争、フェミニズムとの出会い……。
「箱根の向こう」のさらに向こう側、化外からやってきた「九州男児」の文化人類学研究者が、東京に暮らし、歩き、戸惑い、奇妙なまなざしを浴びながら、東京を人類学の視点から描く新感覚のエッセイ!
第1回は、箱根の向こうに住むという「鬼」と「階層」について。
* * *
「箱根の向こう」側には鬼が住むという。
子どもの時分に、それを聞いた僕は、坂東とは恐ろしいところだと思った。
そういえば、「坂東武者」という言葉もある。領地を切り取り御免の時代、荒々しい武士が戦い合っている未開の土地……。
対して、僕は九州の出身である。魏志倭人伝に現れるように、もっとも早く中華文明を摂取した土地だ。おまけに神話を紐解けば、神々の住む高天原から、天照大神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降り立った高千穂の峰もある。
全くの文明の土地に生きている。おまけに明治維新を成し遂げた薩長土肥はすべて西日本の諸藩だ。京洛の都を守り、東京を作り上げたのも九州人であろう。
飯を食えば美味く、気候も穏やかだ。
鬼の住む東京やなんかは、外国のようなものだ。話に存在は知っているが、そこに住んだり、暮らしたりということは思考の範疇外である。
大学も九州島内に進学した僕は、ひょんなことから文化人類学という学問を勉強するようになった。大学に進学にするときに、このように考えた。
僕は、あまり人と社交するのが得意でも好きでもない。仕事はできれば、なるべく人と会わないようなものが良い。自分一人でできる仕事であればいうことがない。
そんな動機であれば、大学などへは行かず、灯台守りになったり、土地を買って山奥で暮らしたりすればよかったのだが、そこは世間知らずの18歳。「哲学者になればよいのでは?」と考えた。どこかで小耳に挟んだ「竹林の七賢」という竹やぶの中に住む隠者のイメージをそのまま哲学者に敷衍してしまった。どうやら、哲学者というやつらは、本ばっかり読んで論文を書いていれば暮らしていけるようだ。それは理想の生活ではないか。
ローマ帝国時代の哲学者・セネカも言っている。「真の自由を手にするために、あなたは哲学に仕えなければならない」。
さあ、哲学を勉強するぞ、と勢い込んで大学に行ったはいいものの、授業をとってみると哲学がそれほど面白いものと思われない。それもそのはずだ。大学に入る前に僕が好んでいたのは、当時お茶の水大学の教授だった土屋賢二さんの著作だ。それも哲学書よりユーモアエッセイを読みまくっていた。哲学書というものは読んだら笑えるものだと思っていた。そんなことはい。ぐねぐねと小難しいことが書いてある。戯れに本を開いてみるものの、とても読めたものではい。
困ったものだ。それでも、哲学をやるのか、別のことをやるのか考えなければならない。なぜなら、大学2年生になる前に、配属される研究室を決めるよう大学に求められたからだ。しかも、成績によって希望の研究室に配属されないこともある。一応希望は聞いてくれるが、それが通るとは限らない。同級生たちは、人気の研究室だの、不人気の研究室だのを調べて、頭を捻って戦略を練った。
僕といえば、大して友達がいなかったので、その辺りの勘所に皆目検討がつかなかった。
どうしようもないので、自分が取った授業で一番面白い先生のところに行こうと思った。それが比較宗教学の研究室だった。
比較宗教学というからには、キリスト教だの仏教だのといった、宗教をやるに違いない。宗教の研究というのは、聖典・経典を紐解くような座学になろうから。誰とも会わずに勉強できるようになると思った。日が昇るとともに聖書を読み、日が暮れるとともに仏典を読む。素晴らしい生活だ。宗教学研究室斯くあれかし。
しかし、これはあまりに軽薄な勘違いであった。
研究室に配属されたのち、一発目のオリエンテーションで言われることには、「我が比較宗教学研究室では、方法論としての文化人類学を用いる。みなさんにも是非フィールドに出てもらう」。
文化人類学⁉ と僕は思った。
1年生の教養の講義で確かに習った。「未開人(と現在の文化人類学では決して言わない。当時19歳の僕はモノを知らなかったのである。)」の村に行って、一緒に生活し、彼らの生活を眺める学問……。
その研究手法はフィールドワークと参与観察、つまり、人々の生活の中に入って、人々と暮らすというものだ。そして、先生は今、目の前で人々の中に分け入っていけ、と言っている。
後悔先に立たず。
誰にも会いたくなくて、大学に進学したのに、つねに人と会い続ける学問を選んでしまった。文学部の研究室では、そんな分野こそ少数派だ。失敗した。
そういうわけで、僕は文化人類学を専攻することになった。
正直、文化人類学の勉強は楽しかった。相変わらず、人間に会うのは心理的なハードルがあるけれども、なんとかかんとかフィールドワークも楽しめるようになった。あちこちの街で、見知らぬ人々に可愛がってもらった。
飯を食わせてもらい、酒を飲ませてもらい、家に泊めてもらった。
話を聞かせてもらい、珍しいものを見せてもらい、仲間として扱ってもらった。
ありがたいことである。
その後、なんだかんだと13年もの間大学にいた。
色々なことがあり、大学を逃げるように出ていったけれども、仕事がない。しょうがないから、様々な職業を転々とした。
どうにも食い詰める段になって、近しい人々から「なんでもいいからとにかく東京に出てくるように」とアドバイスをもらうようになった。
東京に出て行ったら何かがどうにかなるかと聞いてみても、皆返答は要領を得ない。「とにかくどうにかる街だから」「そのまま九州にいてもどうせお前なぞが働くクチなどないのだから」などと言う。
東京は箱根の向こう側である。鬼がいる街だ。気は進まない。進まないが、さりとて、ここに留まっても仕事もない。食うに困って。仕方がなく、特段なんの見当も算段もないまま、東京に出てくることになった。
初めは友人の家に居候をして仕事を探した。そのうちに、非常に良くしてくれる人があり、いろいろな人を紹介してくれた。そのうちに、本当に仕事をくれる人が現れて、どうにか部屋も借りられて、結果、なんとなく食べている。
東京は僕が住んだ6番目の街だ。そして、どことも似ていない。東京に出てきて、2年が経つが、まだ、あまり好きにはなれていない。
歳のせいだろうか。新しいことに馴染めないだけかもしれない。
満員電車、大量の人が歩く横断歩道。
そこかしこに広告が溢れ、一体何千人が働いているのかわからないような巨大な高層ビルがトコロ狭しと並んでいる……。
しばらく東京に住んでみて、気がついたことがある。
東京(もしくは東京近郊の関東)の人々はやたらと住んでいる街を聞いてくる。初めは人間と人間が落ち合う都合上聞いているのかと思った。東京の公共交通システムがいくら発達していると言っても、やはりある駅から行きやすい駅、行きづらい駅がある。人々は、移動の易難を測るのにどうしようもなく聞いているのだろう、と。
だが、様子を眺めているとどうも違う。
この辺りの人々は、街(というより駅を起点とした領域)にそれぞれ性格を与えている。そして、街の連続としての電車や地下鉄の路線にも性格を与えている。
例えば、○○線は労働者が多く、××線はおしゃれな中産階級が多いというように。
どの沿線、どの街に住むかということが、その人の「階層」を表すようだ。
「階層」とは、所得、学歴、職業威信といった社会的資源の多寡によって人々を連続的に順位づける序列的概念のことだ。
実際に、街ごとにおおよその家賃があり、その路線がどこに繋がっているかが分かれば、だいたいどのような企業で働く、どのような収入の人であるかがわかるということでもあるだろう。
そこに、赤提灯が多いとか、おしゃれでモダンなカフェが多いとか、古本屋が多いとか、それぞれの趣味を分けるような街の色がある。
となると、その住民の趣味も自ずと知れてくる。
つまり、住んでいる街を聞く、というのは、その人の階層や趣味をそれとなく割り出す仕草でもあるわけだ。
東京都は「階層」的都市だ。
もちろん、日本の地方都市でも「階層」は存在するだろう。
だが、僕の知る限り東京に置いてほど、日常的に階層を意識させる都市は他にはあるまい。街中の、広告はその街に住む購買層を想起させ、スーパーの価格帯もまた然りだ。
どこのスーパーで買い物をし、どんなブランドの服を着て、どういった街に住むのか。
すべてが、「階層」を表すインディケーターとして、読まれてしまう。
僕は、ふと研究室の先生の最終講義を思い出した。先生は、こういったことを言った。
「九州とはとても良い土地であり、そこに住む人々もまた素晴らしい人々だ。九州で生活した17年、大変楽しかった。だが、九州から出たことがない学生諸君に言いたい。是非東京を知ってほしい。東京を知って、九州に戻ってきてほしい」と。
東京を知るとはどういうことだろうか。先生の真意は、まだ僕のような人間には読み解くことができない。だが、東京は「階層」を見せてくれた。
コモディティと消費行動が人々を序列づける都市。
そして、確かに、この都市で定められた序列が、地方に染み出している。
どのような映画を見て、どのような作家の本を読み、どのような音楽を聴くことが格好良いのか。
どのようなブランドを着て、どのような場所に旅行し、どのようなインテリアの中で暮らすことが素敵なことなのか。
東京という街には「階層」をめぐる熾烈な闘争がある。その闘争の結果は雑誌の特集に反映され、SNSの“バズ”となり、やがて地方都市にも波及していく。
それは、つまり、「モノの価値」が東京によってあらかじめ決められていることを意味する。
僕が知らないだけかもしれないが、この逆はほとんど起こらない。
これはタイヘンなコトだ。
とある雑誌の編集者がSNSで、ある地方都市を取り上げて、「この町には美術の美の字もない」と呟いたことがある。その呟きは大炎上した。炎上を受けて、当の本人は、「東京という美術の中心ど真ん中にいる自分」には、その地方都市には「美術の美の字もない」ように見えるのだと弁明した。
僕の理解では、彼は、その町に「美しさがない」と言ったのではい。何が「美術」で、何が「美術でない」かを決められる、「中心」つまり、権力が存在しない、ということを含意していたように思う。例え、その町に「美術的なるもの」があったとしても、それを美術か美術でないかは東京が決めるということだ。
ところで、とある落語家のマクラを聞いていたときに、「京女と結婚してはいけない」という場面に出くわした。「箱根の向こうには鬼がでるから」と。
僕はびっくりした。
箱根の向こうとは、こちら側。つまり、西側だったのだ。
この言葉は、江戸の人間が西国の人間を指すのに使う言葉だった。
人間の思い込みとは恐ろしいものである。ちょっと考えればわかるはずだ。「箱根の向こう」というのがこちら側だと。
僕こそは、箱根も、不破の関はおろか、京も大坂も、関門海峡すら超えて向こう側、江戸の人間からしてみれば想像も絶するほどの化外の地からやってきたのである。
鬼は僕の方であった。
一匹の鬼が、東京を見た。
そこには「階層」があり、序列がある。
鬼にはその呼吸がいまだによくわからない。わからないまま、狼狽するその様子が人々に滑稽に思われているのである。
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