
佐原ひかりさんの長編小説『夜の海をゆく人よ』は、佐原さんにとって紛れもなく新境地となる一作です。この世界に生きる人々を真新しい角度から見つめる視線は確実に、佐原さんならではのもの。執筆の裏側についてうかがいました。(前後編の後編。前編はこちらから)
(小説幻冬9月号より転載)
* * *
──自分とどこか似ている他者を見る、という経験は、自分を振り返ることにもなりそうですよね。
むつみの同僚の男性・松下の存在は、さらに直接的に彼女を揺さぶります。仕事の打ち上げがてら二人で飲みに行き、真央以外の人物に、久しぶりに春臣のことを話すこととなる。ずけずけものを言う松下の無神経発言が、むつみの視野を切り開いていくんです。彼は「僕は間違っても、誰かを助けて死なない」「僕は僕を待つ人のところに無事帰ることを優先しますよ。這ってでもね」と言ってのける。春臣とは全く違う価値観の持ち主ですね。
松下がこの作品のキーパーソンになるなとは思っていました。春臣は妊婦さんを助けることによって、妊婦さんのためになることはしたけれど、自分のことを好いてくれている人のためにはなっていないわけじゃないですか。
自己犠牲と利他って、紙一重のところがあると思うんです。その部分って見落とされがちだし、そこを言うのってモラル的に問題があることだから、普通は飲み込んでおくべきことなのかもしれない。でも、みんなが共感できるような考えではなく、その周りに存在している小さな、細かい声を書けるのが小説のいいところだと思うんです。
──小説はさまざまな他者の、さまざまな価値観を書くことができるし、並立させられる。
そう思っています。コロナ禍以降、「利他」というワードがトレンドになりましたよね。私も人文書などで「利他とは何か?」について提示される本をいろいろ読んだんですが、利他の周りというか、利他の概念からは取り残されていくものがあるなと感じました。それを小説で書いてみたい、という思いが最初から強くありました。
あと、他人のために動けなかった時の記憶って、頭に残っちゃうんですよね。会社員をしていた時に、通勤途中の駅の階段で、サラリーマンっぽい男の人がうずくまっていたことがあったんです。遅刻できない日だったし、酔っ払いかもしれないと思ってちょっと怖くて、素通りしてしまった。その時の景色がずうっと、今も頭に残っている。同じような感覚を持っている人って、少なくないんじゃないかと思うんですよ。
利他的な振る舞いができなかった記憶を引きずっていたり、そのことで自分を責めてしまう人に向けて、私はこの小説を書いたのかなという気がしています。

──さきほどはむつみと真央の関係性について「スリリング」と表現したんですが、実は物語全体にもスリルの感触が入り込んでいます。佐原さんの小説は読んでいると必ず「えっ、そっち行くの!?」という意外な展開が訪れるんですが、今回も驚かされました。
スリリングなものにしたい、最後まで油断できない話にしたいとは思っていました。一般論として、善い行いをした人が必ずしも、どんな局面でも善い人とは限らないじゃないですか。妊婦さんをかばって死んだ人にだって、影の部分はあるはずですよね。一人の人間の持つ複雑さを描くという意味で、そういう二面性は必ず書きたいと思っていました。
やろうと思えば、もっと派手な話にできた気もするんです。例えば四年前とかじゃなくてごく最近、春臣が人をかばい通り魔に刺されて亡くなって、SNSとかで英雄視されて、英雄のほころびが見つかって炎上して……という様子をリアルタイムで書いていくやり方もあった。でも、それってどっかで読んだ話すぎる(苦笑)。
事件から四年後というなんとも言えない時期に設定することで、事件そのものではなく、事件をきっかけに周囲の人々の中に現れた細かいいろいろな感情を、たくさん描くことができるんじゃないかと思ったんです。
──小説の後半に登場する、むつみのモノローグが心に残っています。
四年という月日を経て、ゆうべ私は歯車を回そうと試みたが、あえなく失敗した。ただ、こびり付いていた錆は落ちたような気もした。
読者もこの物語を通して、心の中の硬直した部分、「錆」の部分を落とすことになるのではと思います。
この作品の中で、「答え」のようなものは書いていないつもりです。それもあって読者の方からどういう感想が上がってくるのか、今までで一番わからない作品になりました。
ただ、「もう一度ここをこういうふうに考えてみてもいいんじゃない?」と探っていく手がかりみたいなものを、たくさん書いていった感覚はあるんですよね。それはもしかしたら、読者さんにとっての「錆」を落とすことに繋がっていくのかもしれないなと思っています。
取材・構成/吉田大助 撮影/米玉利朋子(G.P.FLAG)












