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暮らすホテル

2026.06.02 公開 ポスト

田んぼに浮かぶホテルで 晴耕雨読の時を過ごす  ショウナイホテル スイデンテラス越智月子(作家)

最上川下流域に広がる庄内平野。日本有数の米どころとして知られるこの地に「水田の中に建つホテル」があると聞き、即座に「行きたい!」と思った。スイデン……。もう、その響きだけで気持ちがほぐれる。なぜなのだろう。海や山のような広がりがあるわけではない。絶景というほどの華やかさもない。それでも、水田がかくも人の心を惹きつけるのは、自然と人の営みの両方を映し出す場所だからではないだろうか。人が田を耕し、水を引き、苗を植え、自然の力を借りながら実りを待つ。めぐる季節と日々繰り返される営みがもたらす安心感は何ものにもかえがたい。

件のホテル「スイデンテラス」を手掛けたのは世界的建築家、坂茂(ばんしげる)氏。サスティナビリティを意識したその建築には不思議な控えめさがある。内と外との境界が心地よいほどに曖昧で、けっして建物が前面に出ることはない。「スイデンテラス」も例外ではない。庄内空港からバスに揺られること20分。のどかな田園風景が続く中、水田の先にひょいと「ショウナイホテル スイデンテラス」が見えてくる。「建っている」というより、もうずっと前からそこに「在る」かのように浮かんでいた。

「建つ」よりもり「浮かぶ」という表現したくなる。

バスを降りると、すぐに入口が見つかる。「SUIDEN TERRASSE」と田園風景が描かれた看板。うん? よく見ると、看板はミラーガラス製。そこに映りこんでいたのはホンモノの青空だった。長い歩道を進み、2階フロントでチェックイン。渡された木製の鍵には「G」の文字が。「スイデンテラス」の客室棟はG棟、H棟、Y棟から成るという。なぜ、ABCでもGHIでもなくGHYなのか。ヒントは山形が誇る霊山「出羽三山」。G棟=月山(Gassan) H棟=羽黒山(Hagurosan) Y棟=湯殿山(Yudonosan)。それぞれの頭文字なのだ。なるほど、由来を知れば水田の向こうに見える山々への愛着も沸いてくる。

日々変わる庄内の自然を映し出す看板。
水田にかかった橋のような渡り廊下。

G棟へと続く渡り廊下をゆっくりと進む。窓枠の存在をほとんど感じさせないので、水田の中を歩いているような気分になる。角を曲がって、さらに曲がり、本日の客室へ。木目のドアを開けると、拍子抜けするほどシンプルなたたずまい。過度な装飾はいっさいなし。色数も最小限に抑えられている。視界に入ってくるのは、インテリアではなく、窓の外に広がる瑞々しい五月の色彩。水鏡のように空を映し出す水田、広がる樹々、出羽三山の稜線……庄内の豊かな自然がそこに息づいている。そして、気づくのだ。窓の大きさ、ベッドや机の高さ、照明の位置。この部屋の何もかもが目前に広がる風景を味わうために整えられていることに。

この余白がクセになる。
ベッド脇の紙管(しかん)は板氏の建築を象徴する意匠。
部屋でも晴耕雨読な時間が愉しめる。

窓の外の風景は刻々と変わっていく。かすかに日が翳ってきた。そろそろ、ひとり館内ツアーにでも行ってみるか。「スイデンホテル」が掲げるコンセプトは「晴耕雨読」。共用棟はじめ館内の至るところで本が読めるようになっている。向かったのはG棟内にあるライブラリー。「一冊一献」「整える」「Farm to Table」「地域の暮らしの今昔」など7つのテーマの本が並ぶ。木のぬくもりを生かした居心地よい空間でじっくり腰を据えて読書するのもよし、湯上りに心地よいソファに背を預け、たらっとページをめくるもよし。ラウンジ近くの階段に腰をおろして読むのもまたよし。どこに身を置いても、田んぼの気配を感じられ、思い思いの晴耕雨読が愉しめる。

「SAKE BAR&SAKE LOUNGE」ものぞいてみよう。庄内地方は個性豊かな酒蔵が揃う酒どころでもある。日本酒はもちろん、日本酒カクテル、クラフトウィスキー、ワイン、地ビールなど左党にはたまらないラインナップ。もちろん窓の外には水田が広がる。ここでもまたテーブルの高さや窓の位置が計算され、桃のカクテル片手に窓の外を眺めていると、テラスにいるような錯覚に陥る。気がつけば、水田の色も浅葱色から薄墨色へ。風も吹いてきた。さざ波のように水紋が広がっていく。刻々と変化するその形で風の行方がわかる。ただそれだけのことなのに、目が離せない。

中庭の意匠として使っているのは熊本大地震で倒壊した屋根の瓦。中庭ごとに異なるデザイン。
水田にそのままつながるようなライブラリー。
上り下りも愉しくなる木目の階段。
室内なのに「風」を感じるSAKE LOUNGE。

翌朝。お愉しみの時間がやってきた。朝ごはんだ。80%以上の料理に庄内産の食材を使用したブッフェ。ささっと早足でレストラン「MOONTERRASSE」へ行き、テラス席を確保。遠くに雪を抱いた月山が見える。空の色を映す水面がきらきらと輝く。天気も気分も五月晴れ。前菜のごとく爽やかな風が美味しい。ごはん党の私が何より愉しみにしていたのは地元農家による特別栽培米「つや姫」「雪若丸」「つや姫玄米」の食べ比べ。いやはや口福。瑞々しい米を引き立てる「塩納豆」(麹と昆布を混ぜた庄内の伝統食)や「むきみそ」(蕎麦の実を丸ごと茹で出汁で食べる鶴岡の郷土料理)といったローカルフードがまた……♡ 毎日食べたい、ずっと食べていたい。

私は食い散らかしたのでモデルのような友人の朝食を撮影。
鳥も遊びにやってくるテラス。

「スイデンテラス」は非日常を競うホテルではない。春には空を映し、夏には緑に染まり、秋には黄金色に輝き、冬には雪化粧する水田。その移ろいを暮らすように愉しみながら、本を読み、湯に浸かり、美味しいものを食べるために存在する。共用部、ライブラリー、レストラン、温泉サウナ、館内の至るところに高い建築技術や意匠がさりげなく施されている。すべてはその風景のために。そう、主役はあくまでも水田。「スイデンテラス」は名脇役よろしくそっと佇んでいる。

窓枠が額縁のように景色を切り取る。
食後に畦道を歩く幸せ。

 

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暮らすホテル

遠くへ出かけるよりも、自分の部屋や近所で過ごすのが大好きな作家・越智月子さん。そんな彼女が目覚めたのが、ホテル。非日常ではなく、暮らすように泊まる一人旅の記録を綴ったエッセイ。

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越智月子 作家

1965年、福岡県生まれ。2006年に『きょうの私は、どうかしている』でデビュー。他に『モンスターU子の嘘』『帰ってきたエンジェルス』『咲ク・ララ・ファミリア』『片をつける』『鎌倉駅徒歩8分、空室あり』『鎌倉駅徒歩8分、また明日』など。

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