昭和100年目の2026年、二人の時代の目撃者が〈激動の昭和〉と〈混沌する今〉を射抜いた新書『一寸先は闇』を緊急出版。これまで以上に、予測不能かつ瞬時に変貌する世界情勢の中で、変わらぬもの、変わるべきものとは何か。本書からその一部をご紹介します。
戦時の社会は秩序正しく引き締まる
佐藤 戦時の社会がどうなるかは、いまのモスクワを見るとわかる気がします。ロシア-ウクライナ戦争(2022年2月24日~)が始まってから2年半後の2024年8月に行ったのですが、モスクワの街は以前とはすっかり変わっていました。見渡しても、広告がまったく見当たらないんです。
五木 ほう。広告がない? 社会主義時代と違って、いまのロシアは商業主義的になっているのかと思ってました。むしろ、広告だらけになりそうなものですけどね。
佐藤 社会主義だったソビエト時代でさえ、アエロフロート(当時はソ連航空)の広告がありましたけどね。どっちみち旅客機はアエロフロートしかないんだから、宣伝なんか不要だと思うんですけど(笑)、それでもあったわけです。ところが、いまのモスクワは広告がひとつもない。戦争を始めてから、プーチン大統領(1952年~)が全部、取り去ったのです。広告で消費者を刺激する商業主義的な経済と決別したわけです。
五木 戦時体制的な手法になったわけですね。
佐藤 そのとおりです。少なくとも経済的にはそれが成功しました。ウクライナとの戦争によって、社会が豊かになっているんですよ。すべて国産品に切り替えた結果、値段が安くていいものができているんです。ロシア産のパンは3日ぐらいでカビるんですが、それでもロシアの市民は「国産のほうがいい」というんですね。「いままでは欧米のパンで薬(添加物)漬けにされていた。天然食のほうが健康にも環境にもいい」というわけです。
モスクワは、渋滞もなくなりました。非常に細かい計算をして、交通量をコントロールしているんです。バスの半分が電気自動車でした。戦争前とは、全然違う世界になっていますよ。生活水準は東京よりも高くなっています。
五木 つまり、いまのロシアは戦時体制になっているということですね。それは戦中の日本と、どこか似ています。戦時中のほうが、世の中はある意味でピシッと引き締まるんですよ。ですから日本でも、その時代にノスタルジーを抱く人が少なからずいるんです。
実際、「いまの社会は乱れている」とか「最近の若い連中は年長者を敬わない」などと世を嘆く老人はいっぱいいるでしょ? 新宿の歌舞伎町に集まる「トー横キッズ」を見て、「戦争中の日本には、あんなふしだらな奴らはいなかった」と顔をしかめる。統制の取れた、秩序ある時代のほうが好きな人もいるんですよ。いまのロシアもそうなのかもしれません。
佐藤 まさに戦時体制です。ロシアの前、2024年7月にはイスラエルにも行ったので、本当に戦争が身近なところに迫っていると感じました。
国家と国民の「一体感」があった戦前・戦中
五木 たしかに僕自身、少年時代を過ごした昭和の世の中には、ある種の緊張感と充実感がありました。もちろん、「だから昔は良かった」とノスタルジーを感じているわけではありません。しかし当時は、子どもたちのあいだにも民族的一体感が広がっていて、「自分はひとりじゃない」「皇紀2600年の、この日本の歴史の中に生きている」と本気で思えたんですね。
軍隊に対する恐怖心や反発心もありませんでした。当時は訓練のために連隊が街へやって来ると、一般人の家庭で2泊ぐらいすることがありましたが、みんな大歓迎でね。「今夜は兵隊さんたちが来るよ」と聞かされると、子どもたちはみんなそれを心待ちにしていたものです。そもそも呼び方が「兵隊」ではなく「兵隊さん」ですから。ときには将校が泊まることもあって、誇らしい気持ちになったものです。
そういうことも含めて、あのころは国家と自分たちの暮らしのあいだに国民的な一体感がありました。自分という個人が、日本の国土や歴史と固くつながっている一体感があったのです。そのせいか、小・中学生の自殺なんてほとんど聞かなかったと思いますね。いま小・中学生の自殺が話題になるのは、やはり孤立感があるからでしょうね。
佐藤 いまのロシアも、国民の一体感は強いです。しかも、みんな楽しそうなんですよ。レストランやカフェが夜中の2時ぐらいまで開いていて、ワイワイと飲み食いしていました。日本より、ずっと活気がありますよ。
ロシア人に聞くと、「戦争が始まってから活気が出てきた」といいます。世界中から経済制裁を受けたので、「自分たちでやるしかない」と思ってちゃんと働き始めたら、自国の経済に好循環が起きたというんですね。たぶん戦中の日本人も、「人に頼らないで自分たちでやるしかない」という意識が強かったのでしょう。

五木 そこが違うよね。当時の日本には一種の悲壮感が背後にありました。ですから、誤解を恐れずにいえば、中学1年で終戦を迎えるまでの少年時代は、むしろ非常に充実した日々を送っていました。戦争の実情も知りませんから。ニュースといえばNHKのラジオから流れる大本営発表しか聞けなかったわけで。
佐藤 五木さんがおられた平壌でも、朝鮮放送協会を通じてNHKの放送を聞けましたからね。当時の朝鮮は、生活水準が高かったでしょう?
五木 内地(日本本国)に比べると多少は高かったと思います。満州のほうから、いろんなものが入ってきましたから。ハルビンあたりからチョコレートが来たこともありました。ですから、時々、内地へ帰って田舎に行くと、何とも野蛮なところに来たと思いましたね(笑)。大連のホテルには戦前から水洗トイレがあったけど、内地にはほとんどなかったし。
佐藤 南満州鉄道の特急「あじあ号」なんか、クーラーがついていましたからね。
五木 そうそう、ドイツ製のエアコンがついていました。
佐藤 コーヒーを初めて飲んだのは朝鮮時代ですか?
五木 初めてかどうかはわからないけど、ソウルの三越のレストランで飲んだ記憶がありますよ。ソウルでいちばんモダンで大きなショッピングセンターは三越でしたから。
佐藤 平壌より京城(現在のソウル)のほうが賑やかだったんですか?
五木 平壌はそれなりに大きな町でしたけど、古い都の面影を残す町でした。モランボン(牡丹峰)という高台があって、それは朝鮮の人たちにとって大切な景観なんです。日本でいえば、大和三山のひとつである畝傍山みたいな存在かな。日本人は牡丹台と呼んでました。それも含めて、「古都・平壌」という雰囲気でした。それに対して、朝鮮総督府のあるソウルは新興都市という感じです。
少年飛行兵や少年戦車兵への憧れ
佐藤 平壌から京城まで、当時の列車で1時間半ぐらいですか。
五木 どうだろう、もうちょっとかかった気がしますけどね。でも鉄道のことは強く印象に残っています。小学生のころ、よく線路の上をトコトコ歩いてました。「このままずーっと歩いて行けば、満州、シベリアを通ってヨーロッパまで行けるんだ」なんていいながらね(笑)。世界とつながっているという実感がありました。そういう意味でも、僕の少年時代には、まだ日本がどんどん坂道を上昇していくという実感があったのです。
だから厭戦的な考えは持たなかったし、反体制的な意識もなかったですね。あのころの日記を見ると、「国のために命を捨てる」という覚悟をなんべんも自分で確認して、それに自己陶酔しているような感じです。
佐藤 五木さんは陸軍と海軍、どっちに憧れました?
五木 僕は陸軍ですね。陸軍へのコースもいろいろあって、幼年学校から陸軍士官学校に進むのがエリートの出世コースなんですが、僕は早く戦地で活動したかったから、陸軍の少年飛行兵になろうかな、などと考えていました。あるいは少年戦車兵とかね。あれは中学1年か2年で受験できたんですよ。僕は中学1年で終戦を迎えましたが、もっと戦争が続いていたら戦車兵になったかもしれない。
佐藤 でも五木さんは背が高いから戦車には不向きですよ。戦車の中は狭いので、世界的に見ても戦車兵は背が低い。150センチ以下だとものすごく有利なんです。だからどの国も背の低い兵隊を集めてくる。
五木 へえ、150センチなら、ぼくでもなれたな。ちなみに司馬遼太郎(1923年~1996年、小説家)さんは、陸軍の戦車兵として満州に配属されていたんですよね。そう小柄でもなかったけど。
ただ僕は飛行機が大好きだったので、いちばん憧れたのは少年飛行兵です。当時は飛行機の専門雑誌があって、熱心に購読していました。いまでいえば『カーグラフィック』(1962年~)みたいな雑誌です。「隼」とか新しいタイプの戦闘機が紹介されると、気分が高まったものです。その前の九七式戦闘機は固定脚だったので、引込脚を採用した「隼」の登場にはすごくビックリしましたね。三式戦の「飛燕」もよく覚えています。アメリカのムスタングを模倣した液冷戦闘機でした。
佐藤 平壌は飛行場が多かったんですよね。
五木 ええ。ですから僕らはよく飛行場に見物に行って、「あれだ」「これだ」と騒いでいました。空冷エンジンと液冷エンジンの音の違いを聞き分けられるぐらい、飛行機には詳しくなりました(笑)。敵国ではありますけれど、アメリカやイギリスの飛行機にも憧れて、写真をコレクションしたり。「イギリスのスピットファイアとドイツのメッサーシュミットはどっちが速いか」などと話し合ったものです。
佐藤 それは当然の成り行きとして、少年飛行兵を目指したくなりますね。
五木 そう。僕のひそかなアイドルは新司偵という偵察機だった。飛行機好きの少年は、自然とそういう方向に行っちゃうんです。
※次回は4月11日(土)公開予定です。
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一寸先は闇

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