性加害事件が次々と発覚し、無自覚な加害者が生まれる背景には、どのような構造があるのでしょうか。3月25日発売のハーバード大学医師、内田舞氏による『ジェンダー・ジャスティス 社会の無意識が生み出す性と権力の構造』は、個人を断罪するのではなく、社会を考える本として多くの方に読んでいただきたい本です。「第二章 パワーバランスが不均衡な関係で『同意』は可能か」から一部をご紹介します。
なぜ被害者が非難され、責任を負わされるのか?
犯罪や不正行為において、被害者がその原因や責任を問われることを「Victim Blaming(ヴィクティムブレーミング=被害者非難)」と言います。
性加害においても、ヴィクティムブレーミングが起きてしまうことは珍しくありません。
前述したように、松本人志氏の報道においても、告発した女性側が「そもそもそういった飲み会に参加するほうが悪い」と非難され、あげく松本氏にお礼のメッセージを送ったLINEの画像を公表されて、松本氏のファンたちからさらなる非難を受けました。
「そういった飲み会に参加するほうが悪い」「タレントとつながりたいから飲み会に参加したのだろう。だったら文句は言えない」「そもそもそんな飲み会に参加しなければよい」という非難は正しいのでしょうか。「なぜすぐに警察に行かないのか」「どうして訴訟を起こさないのか」と被害者に責任を問う場面もよくありますが、それは正しいのでしょうか。

たとえば、男性だったらどうでしょうか。
男性テレビプロデューサーが、「有名なお笑い芸人さんたちとの飲み会があるんだけど来ない?」と誘われて、「飲み会に参加することで、自分のキャリアにプラスになるかもしれない」と思って参加したとします。ところが、参加してみたらスマホを取り上げられ、「これからゲームをします」と言われて指示されたところに行ったら、そこに裸のお笑い芸人がいた。男性であってもものすごく怖いし、気持ちが悪いと思うのではないでしょうか。
しかし、ここでこの人たちによい印象を与えることができなかったら、自分の番組に出てもらえないかもしれない。そのお笑い芸人とセックスしたくないと思ったとしても、自分の尊厳をギリギリ守りながらできる限り満足させようと努めて、その場を去ろうとすることもあるのではないでしょうか。
なんとか自分の身を犯されずに帰ることができたとして、そこから警察に行くでしょうか。怖い体験をさせられた、自分の尊厳が傷つけられたことが事実であっても、「同意がない中で性的な関係を強要されそうになった」ということを示す物的証拠は一つもありません。大御所芸人さんを訴えたところで、警察に同情を得られるでしょうか、事件として取り扱ってくれるでしょうか。
職場の仲間に「こんなことがあったんだよ」と相談したとしましょう。もしかしたら、テレビ局では「あの人はしょっちゅうそういうことがあるらしいよ」「逃げられたからよかったじゃん」と受け流されることもあるかもしれません。もしかしたら、「自分の仕事にプラスになる関係を築きに、自ら行ったんでしょ」とまるで自業自得のように言われてしまうかもしれない。
そんなシナリオを一通り考えてみると、悔しいけれど、とにかく今の自分の仕事や立場を守るために、とりあえず「今日はどうもありがとうございました」とお礼のメッセージを送って、
関係性をできる限り悪くしないように、自分の職が奪われないようにしても、まったく不思議ではありません。
このように、男性に置き換えると共感できることですが、その対象を女性に戻すとどうでしょうか?
女性たちが飲み会に参加することで自分のキャリアに役立つことがあると期待したとして、そうした期待を持つこと自体が悪いことなのでしょうか。むしろ企業などでは男性同士が仕事上の関係性を築くために、飲み会に参加することを促される状況がありますが、女性のビジネスパーソンが同じ目的で飲み会に参加してはいけないのでしょうか。
それに、自分のキャリアのプラスにしたいと思って来た女性たちだからといって、性的なバウンダリーを侵していいことにもなりません。第一章で述べた医学生たちの飲み会と同じです。
さらに言えば、ヴィクティムブレーミングによる固定観念、無意識の偏見が社会に根付いていて、警察に行っても取り合ってくれないことが多々あるのは現実です。あるいは精神科医やセラピストに相談しても、ときには被害者側に問題があったと思われてしまうこともある。その結果、被害を訴えにくい構造がすでに世の中にできてしまっています。
ヴィクティムブレーミングはうっかりすると論理的に聞こえてしまうことがあります。だからこそ、一度立ち止まって、「この考え方、感じ方でいいのだろうか」とじっくり問い直してみないとなりません。
ジェンダー・ジャスティス

2026年3月25日発売『ジェンダー・ジャスティス 社会の無意識が生み出す性と権力の構造』(内田舞著)について











