職場の人間関係で、なぜか自分だけが消耗してしまう――その原因の多くは「裏表がありすぎる人」にあります。なぜ裏表のある人は、上司に本質を見抜かれにくく、評価されやすいのか。
彼らの心理メカニズムと行動原理、そして心をすり減らさずに対処するための具体策を示した、『裏表がありすぎる人』。本書から、一部をご紹介します。
* * *
はっきり言わないけど察してくれといった感じのキレ方
自己主張の激しい同僚にふだんから見苦しさを感じている遠慮深い人が、上司に裏切られたという気持ちになり、突如として上司に対して感じの悪い態度を取ることがある。上司からすれば、いつも遠慮深く謙虚な人が、何が不満でこんなことになるのか理解できないかもしれない。
これは、典型的な「甘え型攻撃性」の発露であり、我慢しすぎの結果とも言える。
このようなケースの場合、こちらが自己主張を控え、地道に頑張っていれば、上司はそれを評価し、こっちの意向を汲み取って、いいように取り計らってくれるはず、といった期待をもっていたのに、その期待が裏切られた、というような構図になっている。
たとえば、上司がこちらの希望を汲み取って人事異動をいいように取り計らってくれるはずと信じていたのに、なんで自己主張の激しい同僚の希望が通って、自己主張せずに与えられた仕事を忠実にこなして貢献してきた自分の希望は通らないんだ、なんでこんなことになるんだ、という思いが込み上げ、感情爆発につながっていく。
あるいは、新たなプロジェクトが立ち上がることになり、実績からしても自分が適任だと思い、メンバーに選ばれると思っていたのに、実績もなく能力的にイマイチの後輩が立候補し、そちらが選ばれ、自分が選ばれなかったことにショックを受け、上司に対する怒りが込み上げ、感情爆発につながっていく。
このようなケースに共通するのは、はっきり言わなくても日頃の働きぶりやかかわりを通してこちらの思いは伝わっているはず、なぜこちらの貢献に報いてくれないのか、なぜこちらの意向を汲み取ってくれないのか、といった思いが攻撃的な感情を生じさせるという構図である。
はっきり言わなくてもわかってくれるはず、こちらの思いを汲み取ってくれるはずという甘えがあり、その期待が裏切られたときに攻撃的な感情が湧いてくる。それが甘え型攻撃性である。
それはプライベートでもしばしば生じる。
たとえば、自分は職場の愚痴を家族にこぼすのは格好悪いと思うし、愚痴を聞かされる側も嫌な気分になると思うから、家では何も言わないという人が、こちらから何も言わなくても、妻はこちらの様子から会社で大変なことがあるんだと察してくれるはずといった期待を抱いている。
ところが、職場のことは何も聞かされていない妻は、夫の事情がわからないため、とくに仕事のことには触れない。
それに対して夫の方は、労をねぎらってくれたっていいじゃないか、こちらの疲れた様子を見てわかってくれたっていいじゃないか、といった不満を募らせ、感情爆発につながっていく。
あるいは、恋人とのデートの前日から体調が悪かったのだが、せっかくのデートだからと無理をして出かけた。昼頃から体調が悪化し、食事もけっこう残したのに、午後の予定を変えようとしない相手に次第にイライラしてくる。
相手は体調不良について何も聞かされておらず、とくに体調に関心を向けていないため、いつもより食欲がないかなと思いつつも、予定変更までは思い至らない。
そうした状況において、本人の中では、恋人ならこちらの様子にもっと気づいてくれてもいいのに、なぜ気づいてくれないの、といった不満が膨れあがり、感情爆発につながっていく。

甘え型攻撃性とは
このような構図には、日本独自とされる甘えの心理が深くからんでいる。それが、すねたりひがんだりして、相手に嫌みを言ったり無視したりといった攻撃的態度につながっていく。いわゆる甘え型の攻撃性である。
甘え理論の提唱者である土居健郎は、甘えの心理的原型は乳児期に求められ、「甘えの心理は、人間存在に本来つきものの分離の事実を否定し、分離の痛みを止揚しようとすることであると定義することができる」(土居健郎『「甘え」の構造』弘文堂)という。
つまり、親と子といえどもけっして一心同体ではなく、切り離された別々の個体だという厳然とした事実を受け入れがたく、一体感の幻想にすがろうとする心理が甘えの基礎になっているというのである。
土居は、乳房をくわえて放さないとか、それを咬むといった乳児の憤怒は、攻撃本能のあらわれには違いないが、単純な攻撃本能の発現ではなく、乳児が母親から拒絶されたと感じるために、その反応として攻撃本能が動員されるのだとする。つまり、乳児の憤怒は、依存欲求の不満に対する反応なのだという。
土居によれば、甘えたい気持ちがそのままに受け入れられないとき、「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」といった心理が生じ、そこに被害者意識が含まれる。
すなわち、素直に甘えさせてくれないから「すねる」わけだが、すねながら甘えているとも言える。その結果として、「ふてくされる」「やけくそになる」というようなことになる。
自分が不当な扱いを受けたと曲解するとき「ひがむ」わけだが、それは自分の甘えの当てが外れたことによる。
甘えないで相手に背を向けるのが「ひねくれる」だが、それは自分の甘えの期待に応えてくれなかったと感じることによる。
甘えが拒絶されたということで相手に敵意を向けるのが「恨む」である。
このように甘えが思うように通じないとき、すねたりひがんだり恨んだりすることになるが、そこには被害感情が含まれている。
こんなに頑張っているのにほめてくれない。同僚に差をつけられてこんなに傷ついているのに励ましてくれない。
このような思いが、「なんでほめてくれないんだ」「励ましてくれたっていいのに」などといった恨みがましい気持ちを生み、被害者意識を刺激する。そして、酷い人間だと相手を非難したり、悪評を流したりといった形で攻撃性を発揮することもある。
お互いに依存し合い、甘えを介してつながっている日本的な人間関係では、甘えが阻止されたときに、欲求不満による攻撃性が生じやすい。
甘えが拒絶されたことによって生じる怒りの反応である。それが甘え型攻撃性だ。
そこには、甘えと一見正反対の恨みが生じたりするが、じつはそれらは同じ根っこから生じているのである。
甘えが充足されるかどうかは相手次第であり、こちらの意のままにはならないため、甘えは傷つきやすさにつながる。
期待することや要求することがあれば、それをはっきり自己主張すればよい欧米人の場合と違って、自己主張を控えて、相手が汲み取り、それに応えてくれるのを期待して待つ日本人だからこそ、甘え型攻撃性を抱くのである。

高コンテクストの文化ゆえの感情爆発
このような甘え型の感情爆発は、日本特有のコミュニケーションのあり方を土台として発生する。
日本人の共感性の高さは、言葉にしない思いまでも察するという、日本特有のコミュニケーションによるものと言える。それは、遠回しな言い方、以心伝心、暗黙の了解、察し合いなどと言われる、言葉に頼らないコミュニケーションを可能にしている。
文化人類学者ホールは、意思の疎通を言葉に頼る文化と言葉に頼らない文化があることを指摘し、コンテクスト度(文脈度)という概念を提唱している。
コンテクスト度の低い文化とは、人々の間に共通の文化的文脈がなく、言葉ではっきり言わないと通じ合えない文化のことである。欧米のような言葉ではっきり伝えるコミュニケーションは、コンテクスト度が低い文化の特徴と言える。
一方、コンテクスト度の高い文化とは、人々が共通の文化的文脈をもち、わざわざ言葉で言わなくても通じ合う文化のことである。日本のようなはっきり言葉に出さないコミュニケーションは、コンテクスト度の高い文化の特徴ということになる。
私たち日本人は、とくに意識していないものの、ごく自然に高コンテクストのコミュニケーションを用いている。
以下の各項目が自分自身に当てはまるかどうか、ちょっと考えてみてほしい。
①相手の依頼や要求が受け入れがたいときも、はっきり断れず、遠回しな言い方で断ろうとする
②相手の意見やアイデアに賛成できないときも、はっきりとは反対しない
③はっきり言わずに、相手に汲み取ってほしいと思うことがある
④相手の出方を見ながら、自分の言い分を調節する方だ
⑤これ以上はっきり言わせないでほしい、察してほしいと思うことがある
⑥相手の期待や要求を察して、先回りして動くことがある
⑦相手の言葉から、言外の意図を探ろうとする方だ
⑧相手の気持ちを察することができる方だ
この8項目は、高コンテクストの文化におけるコミュニケーションを特徴づけるものであり、高コンテクストのコミュニケーションを自分が行っているかどうかを知るためのチェックリストとして、私が作成したものである。
当てはまる項目が多いほど、高コンテクストのコミュニケーションを習慣的に用いていることになる。
遠回しな言い方で断ろうとする。賛成できなくてもはっきりと反対しない。はっきり言わなくても汲み取ってほしい。相手の期待や要求を察して先回りして動く。
これらは低コンテクストのコミュニケーションを用いる欧米人などには、まったく意味不明であるに違いない。
一方、私たち日本人にとって、これらはごくふつうのことであり、ほとんどの項目が自分に当てはまるという人も少なくないのではないか。
このような高コンテクストのコミュニケーションに幼い頃から馴染んでいるせいで、私たち日本人の共感性は磨かれるのである。
* * *
人を見る目を養い、日々のストレスを軽くして心地よく暮らしたい方は、幻冬舎新書『裏表がありすぎる人』をお読みください。
裏表がありすぎる人

職場の人間関係は、ほんとうに面倒だ。なかでも厄介なのが、裏表の激しい人の存在である。そうした人物は相手によって態度を使い分け、本性を見せる人と見せない人を選ぶため、被害の実態が周囲に伝わりにくい。しかも皮肉なことに、そういう人ほど上には気に入られ、出世する。そんな人物が身近にいると、ストレスが溜まる一方で、心がすり減ってしまう。そこで本書では「裏表がありすぎる人」の心理メカニズムと行動原理を読み解き、彼らへの対処法を提示する。人を見る目が一段と深まり、神経の消耗が激減する一冊。











