体力も気力も大きく変わる「80歳の壁」。そんな壁を軽やかに超え、現役で活躍し続ける人たちがいます。高齢者医療のカリスマ・和田秀樹が“80歳超えのレジェンド”たちと対談した内容を収録した『80歳の壁を超えた人たち』は、老いへの不安を希望に変える一冊です。
食事、運動、医療との距離感、意欲の保ち方まで、“老けない人”から幸せに長生きする秘訣を引き出した本書から、一部をご紹介します。
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市川寿猿(いちかわ・じゅえん)
1930年東京都浅草生まれ、95歳(2026年1月時点)。主に立役(男役)。屋号は澤
屋。女歌舞伎の坂東勝治に入門。二代目市川猿之助や三代目市川猿之助に師事。1975年、二代目市川寿猿を襲名。旧ソ連での歌舞伎公演やスーパー歌舞伎の初演にも参加する。現役最高齢ながら、現在も歌舞伎座や新橋演舞場を中心に年間100回近く舞台に立ち続けている。
失敗したから今がある。だからクヨクヨと考えない
和田 歌舞伎界最高齢、そんな方とお話しするのはさすがに緊張しますね(笑)。
寿猿 役者に年はないって言いますけどね(笑)。僕は3歳の時が初舞台ですから、もうずいぶん長いことやってますね。
和田 90年以上もお芝居をされているのだから、すごい。
寿猿 お客様にもね、知られているみたいですね。7月の歌舞伎座『鬼平犯科帳』のセリフでも「じいさん、おめえいくつになった?」と聞かれるので「95になりました」とやったら大きな拍手が起きて。もうすっかり、化けの皮がはがれちゃった(笑)。
和田 今日は寿猿さんに、元気で長生きの秘訣をお聞きしたくて来ました。
寿猿 へえー。それでわざわざ来てくださったの? ありがとうございます。でも、長生きの秘訣って、何か話せることあるかなあ。僕は長生きなの?
和田 はい、十分に(笑)。
寿猿 自分ではね、そう感じないんです。今でも舞台に立てているわけを話すなら、失敗のことも話さないといけませんね。小さな失敗じゃなくて、大きな失敗です。
和田 ほう。歌舞伎で?
寿猿 はい。失敗をしたおかげで「失敗は成功のもと」だとわかりましてね。それがなかったら、僕は歌舞伎役者として認めてもらえなかったと思うんです。
和田 なるほど。
寿猿 ジェスチャーを交えないと、わかりにくいのでね。一緒にやってくださる?
和田 えっ! 僕もやるの(笑)。
寿猿 『勧進帳』ってご存じ? 義経と弁慶の物語でね。話を説明すると長くなるのでやってみましょう。あなたは弁慶の役。ちょっとここに座ってくださいな。実際は三代目段四郎さんが弁慶で僕は後見をしてたんです。その時の大失敗なんですけどね。
和田 後見って、黒衣みたいな人ですか? 役者さんの側にいて衣裳をパパッと替えたり、道具を渡したりする。
寿猿 そうです。でね、弁慶がこうやって「先達、お酌にまいって候」って言うんです。ちょっとやってみてください。
和田 「先達、お……」
寿猿 いや、セリフは言わないでいいです。形だけで。
目の前のことに夢中。我が道を行く
寿猿 左膝を立てて座って、右手はすっと前に出す。お顔を左側に向けるの。
和田 こんな感じですか。
寿猿 もっと腰をキュッと上げて背筋は伸ばす。右手は前、左手は後ろ。それでこんなふうに、足を少しずつ左に動かしながら身体を左に向けていきます。
和田 これ、なかなか……。きつい(笑)。で、寿猿さんは何を失敗したんですか。
寿猿 弁慶の右手にね、本当はあるはずの中啓(註:扇)がなかったの。その前の場面で盃を放る動作があるんですが、その時に扇も放っちゃったんですね。
和田 なるほど。後見の寿猿さんはさっと気づいてフォローしなきゃいけなかった?
寿猿 そう。それなのに次の段取りに気を取られて気づかなかったんです。周りの人がね、小声で「おい、後見、後見」って一斉に僕を見てるんです。「これは弁慶に何かあったな」と気づいて、弁慶を見たら扇がない。舞台の先端のライトのところに落ちてるんです。
和田 大変だ(笑)。弁慶は取りに行けませんよね。
寿猿 だけど僕もすぐに取りに行ける場所じゃない。弁慶はそのままの体勢で構えているから、囃子方が「いよぉ、いよぉーう」という声で繫いでくださって。そうして、ようやく扇を手にしたのに、今度は渡し方がよくなかったから受け取ってくれない。これが僕の大失敗です。
和田 えー。でもそれって、扇を飛ばしちゃった弁慶の失敗ですよね(笑)。だけどそのエピソードひとつにしても、主役を支える人の存在がいかに重要かわかりますね。
大きな声は若さの秘訣。前頭葉が刺激を受ける
和田 それにしても寿猿さん、声がいいですね。それに身体もよく動く。僕はさっきの動きだけできつかったです(笑)。
寿猿 声だけは3階席まではっきり届けないといけないと思ってるんです。
和田 声を出すっていうのは、老化予防にも一番いいと僕は思っていましてね。認知症になっても、声を出す人はあまり進まないんです。僕の患者さんもそうなんですけど。
寿猿 え、あなた先生なの?
和田 はい、医者なんです(笑)。僕の患者さんに詩吟の先生がいるんですが、その人はやはり認知症の進行が遅い。声を出す職業の人はすごいなと思いますよ。
寿猿 僕は声を出してるほうが楽でね。芝居を続けるからには声が出て、自分の足で動けないといけませんからね。舞台で失敗しないようにと考えてると、おのずと気が引き締まります。
和田 そこに長生きと元気の秘訣があるんですね。
寿猿 そうかもしれませんね。声の大事さを知ったのは『伽羅先代萩』という芝居の時でした。一昨年亡くなられた旦那(三代目猿之助)が細川勝元を演じて、僕は外記の役でした。先生、このお芝居はご存じ?
和田 いえ、知りません。どんなお話ですか?
寿猿 伊達家のお家騒動の話です。乗っ取りを企む側と守る側がいましてね。旦那はそれを裁く名奉行・勝元の役。僕は伊達家を守る老臣の渡辺外記左衛門の役でした。普通はね、やらせてくれないんですよ。
和田 でも抜擢された?
寿猿 はい。で、外記が短刀で腹を刺される場面があるんです。僕は手負いになった爺さんのつもりでセリフを言ったんですよ。そうしたら旦那から注意をされたんです。
和田 なるほど。
寿猿 「お客さんは爺さんが手負いでしゃべってるのはわかっている。あんたがそれ以上を見せようと思うと、お客さんに声が聞こえない。声が聞こえなかったら、あんたがいくらうまくやってもダメなんだよ」と。「とにかくあんたは自分の声でやってちょうだい」と言われましてね。それで僕は、その通りやりました。すると知っている人がね、「寿猿さん、3階まで声が通っていたわよ」と言ってくださった。
和田 いいですね。
寿猿 その時に僕は思ったんですよ。ああ、やっぱり爺さんの役でもケガをしている役でも、声だけは歌舞伎座の隅々まで、はっきり通さないといけないんだなと。その時から僕はどんな役をやっても声を張っているんです。今も3階席まで声が通ります。
和田 すごいですね。声を出すことは前頭葉を刺激できて、元気の素になるので、とてもいいことだと思います。声を出す練習は稽古場とかでするんですか?
寿猿 いえ。うちでやります。
和田 へえー。おうちはにぎやかそうですね?
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80歳の壁を超えて、生き生きと人生を満喫する秘訣を知りたい方は、幻冬舎新書『80歳の壁を超えた人たち』をお読みください。
80歳の壁を超えた人たち

80歳、90歳を過ぎても驚くほど若く、元気に活躍し続けている人がいる。本書では、高齢者医療のカリスマ・和田秀樹が、養老孟司氏、草野仁氏、宮内義彦氏、市川寿猿氏ら〝80歳を超えてなお現役のレジェンド〟から、いつまでも老けない極意を引き出す。「食べるのは肉? 魚?」「医者にはかかる? かからない?」「運動はやっている?」「意欲を持ち続ける秘訣は?」――そんな疑問に答える、実体験から生まれた“幸齢【こうれい】習慣”が満載。不安いっぱいの老後が、幸せに満ちた黄金期へと変わります!













