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80歳の壁を超えた人たち

2026.02.07 公開 ポスト

95歳で年100回舞台に立つ男 歌舞伎役者・市川寿猿の“脳を衰えさせない”生き方和田秀樹

体力も気力も大きく変わる「80歳の壁」。そんな壁を軽やかに超え、現役で活躍し続ける人たちがいます。高齢者医療のカリスマ・和田秀樹が“80歳超えのレジェンド”たちと対談した内容を収録した『80歳の壁を超えた人たち』は、老いへの不安を希望に変える一冊です。

食事、運動、医療との距離感、意欲の保ち方まで、“老けない人”から幸せに長生きする秘訣を引き出した本書から、一部をご紹介します。

*   *   *

市川寿猿(いちかわ・じゅえん)

1930年東京都浅草生まれ、95歳(2026年1月時点)。主に立役(男役)。屋号はおもだか屋。女歌舞伎の坂東勝治に入門。二代目市川猿之助や三代目市川猿之助に師事。1975年、二代目市川寿猿を襲名。旧ソ連での歌舞伎公演やスーパー歌舞伎の初演にも参加する。現役最高齢ながら、現在も歌舞伎座や新橋演舞場を中心に年間100回近く舞台に立ち続けている。

撮影:杉田裕一

失敗したから今がある。だからクヨクヨと考えない

和田 歌舞伎界最高齢、そんな方とお話しするのはさすがに緊張しますね(笑)。

寿猿 役者に年はないって言いますけどね(笑)。僕は3歳の時が初舞台ですから、もうずいぶん長いことやってますね。

和田 90年以上もお芝居をされているのだから、すごい。

寿猿 お客様にもね、知られているみたいですね。7月の歌舞伎座『鬼平犯科帳』のセリフでも「じいさん、おめえいくつになった?」と聞かれるので「95になりました」とやったら大きな拍手が起きて。もうすっかり、化けの皮がはがれちゃった(笑)。

和田 今日は寿猿さんに、元気で長生きの秘訣をお聞きしたくて来ました。

寿猿 へえー。それでわざわざ来てくださったの? ありがとうございます。でも、長生きの秘訣って、何か話せることあるかなあ。僕は長生きなの?

和田 はい、十分に(笑)。

寿猿 自分ではね、そう感じないんです。今でも舞台に立てているわけを話すなら、失敗のことも話さないといけませんね。小さな失敗じゃなくて、大きな失敗です。

和田 ほう。歌舞伎で?

寿猿 はい。失敗をしたおかげで「失敗は成功のもと」だとわかりましてね。それがなかったら、僕は歌舞伎役者として認めてもらえなかったと思うんです。

和田 なるほど。

寿猿 ジェスチャーを交えないと、わかりにくいのでね。一緒にやってくださる?

和田 えっ! 僕もやるの(笑)。

寿猿 『勧進帳』ってご存じ? 義経と弁慶の物語でね。話を説明すると長くなるのでやってみましょう。あなたは弁慶の役。ちょっとここに座ってくださいな。実際は三代目段四郎さんが弁慶で僕は後見をしてたんです。その時の大失敗なんですけどね。

和田 後見って、黒衣くろごみたいな人ですか? 役者さんの側にいて衣裳をパパッと替えたり、道具を渡したりする。

寿猿 そうです。でね、弁慶がこうやって「先達、お酌にまいって候」って言うんです。ちょっとやってみてください。

和田 「先達、お……」

寿猿 いや、セリフは言わないでいいです。形だけで。

目の前のことに夢中。我が道を行く

寿猿 左膝を立てて座って、右手はすっと前に出す。お顔を左側に向けるの。

和田 こんな感じですか。

寿猿 もっと腰をキュッと上げて背筋は伸ばす。右手は前、左手は後ろ。それでこんなふうに、足を少しずつ左に動かしながら身体を左に向けていきます。

和田 これ、なかなか……。きつい(笑)。で、寿猿さんは何を失敗したんですか。

寿猿 弁慶の右手にね、本当はあるはずの中啓ちゆうけい(註:扇)がなかったの。その前の場面で盃を放る動作があるんですが、その時に扇も放っちゃったんですね。

和田 なるほど。後見の寿猿さんはさっと気づいてフォローしなきゃいけなかった?

寿猿 そう。それなのに次の段取りに気を取られて気づかなかったんです。周りの人がね、小声で「おい、後見、後見」って一斉に僕を見てるんです。「これは弁慶に何かあったな」と気づいて、弁慶を見たら扇がない。舞台の先端のライトのところに落ちてるんです。

和田 大変だ(笑)。弁慶は取りに行けませんよね。

寿猿 だけど僕もすぐに取りに行ける場所じゃない。弁慶はそのままの体勢で構えているから、囃子方が「いよぉ、いよぉーう」という声で繫いでくださって。そうして、ようやく扇を手にしたのに、今度は渡し方がよくなかったから受け取ってくれない。これが僕の大失敗です。

和田 えー。でもそれって、扇を飛ばしちゃった弁慶の失敗ですよね(笑)。だけどそのエピソードひとつにしても、主役を支える人の存在がいかに重要かわかりますね。

撮影:杉田裕一

大きな声は若さの秘訣。前頭葉が刺激を受ける

和田 それにしても寿猿さん、声がいいですね。それに身体もよく動く。僕はさっきの動きだけできつかったです(笑)。

寿猿 声だけは3階席まではっきり届けないといけないと思ってるんです。

和田 声を出すっていうのは、老化予防にも一番いいと僕は思っていましてね。認知症になっても、声を出す人はあまり進まないんです。僕の患者さんもそうなんですけど。

寿猿 え、あなた先生なの?

和田 はい、医者なんです(笑)。僕の患者さんに詩吟の先生がいるんですが、その人はやはり認知症の進行が遅い。声を出す職業の人はすごいなと思いますよ。

寿猿 僕は声を出してるほうが楽でね。芝居を続けるからには声が出て、自分の足で動けないといけませんからね。舞台で失敗しないようにと考えてると、おのずと気が引き締まります。

和田 そこに長生きと元気の秘訣があるんですね。

寿猿 そうかもしれませんね。声の大事さを知ったのは『伽羅先代萩めいぼくせんだいはぎ』という芝居の時でした。一昨年亡くなられた旦那(三代目猿之助)が細川勝元を演じて、僕はの役でした。先生、このお芝居はご存じ?

和田 いえ、知りません。どんなお話ですか?

寿猿 伊達家のお家騒動の話です。乗っ取りを企む側と守る側がいましてね。旦那はそれを裁く名奉行・勝元の役。僕は伊達家を守る老臣の渡辺外記もんの役でした。普通はね、やらせてくれないんですよ。

和田 でも抜擢された?

寿猿 はい。で、外記が短刀で腹を刺される場面があるんです。僕は手負いになった爺さんのつもりでセリフを言ったんですよ。そうしたら旦那から注意をされたんです。

和田 なるほど。

寿猿 「お客さんは爺さんが手負いでしゃべってるのはわかっている。あんたがそれ以上を見せようと思うと、お客さんに声が聞こえない。声が聞こえなかったら、あんたがいくらうまくやってもダメなんだよ」と。「とにかくあんたは自分の声でやってちょうだい」と言われましてね。それで僕は、その通りやりました。すると知っている人がね、「寿猿さん、3階まで声が通っていたわよ」と言ってくださった。

和田 いいですね。

寿猿 その時に僕は思ったんですよ。ああ、やっぱり爺さんの役でもケガをしている役でも、声だけは歌舞伎座の隅々まで、はっきり通さないといけないんだなと。その時から僕はどんな役をやっても声を張っているんです。今も3階席まで声が通ります。

和田 すごいですね。声を出すことは前頭葉を刺激できて、元気の素になるので、とてもいいことだと思います。声を出す練習は稽古場とかでするんですか?

寿猿 いえ。うちでやります。

和田 へえー。おうちはにぎやかそうですね?

*   *   *

80歳の壁を超えて、生き生きと人生を満喫する秘訣を知りたい方は、幻冬舎新書『80歳の壁を超えた人たち』をお読みください。

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80歳の壁を超えた人たち

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和田秀樹

1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。『80歳の壁』『70歳の正解』『マスクを外す日のために』『バカとは何か』『感情バカ』(すべて幻冬舎新書)など著書多数。

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