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本屋の時間

2026.01.15 公開 ポスト

第184回

八丁の子ども辻山良雄

暮れも押し迫った12月28日の朝。漫画家のバロン吉元さんのお宅に、お茶会に招かれた。その数日前まで、代表作『昭和柔侠伝』の原画展を2階のギャラリーで開催していたので、慰労会も兼ねてのことだったと思う。

 

この十年のあいだ、ご自宅の前を偶然通りかかることはあっても、中に入るのははじめてだ。人目を惹く洋風の建物と扉。ここから入ってもよいのだろうかと迷っていると、扉のほうが勝手に開いた。中にいた娘のエ☆ミリー吉元さんが、招き入れてくれた格好だ。

 

思い返せばこのエ☆ミリーさんとはじめてお会いしたのも、店が開店した2016年、ある日の遅い時間だった。エ☆ミリーさんによれば、手塚るみ子さんや赤塚りえ子さんらが中心となって活動している漫画家二世の会があるようで、「あなた、近くに本屋が出来たんだったら、挨拶くらいしてきなさい」と言われたという。わたしは漫画、特にバロンさんが得意としていた劇画のジャンルには疎く、その時は「バロン吉元」と言われても正直ピンと来なかった。

だが、バロンさんに正面切って名乗られた記憶はないが、それから何年かのあいだに、道でバッタリお会いすると挨拶する間柄くらいにはなっていたと思う。その頃バロンさんは80歳を越えていたが、junaidaや酒井駒子の本格的な画集を、目にしたそばからぽんと買っていかれたから、随分思い切りのいいかただなと思っていた。

時は過ぎ2025年の春。店で開催した、「昭和の絵師」と呼ばれた劇画家の上村一夫さんの原画展初日、バロンさんがわたしのところまでやってきた。バロンさんは静かにわたしを見つめ、「上村一夫と私は親友だったんですよ。それでいま上村の娘の汀さんと、私の娘のエミリーも親友です」と、きっぱりと言った。わたしはその断固とした口調に、「下手なことをすれば承知しないぞ」といった気迫を感じた。バロンさんは柔道の漫画を描くだけあって、小柄だが姿勢がよく、体幹もピンと通っているから、実際よりも大きく見えるのだ。

『昭和柔侠伝』原画展の前日、会場を設営しながらエ☆ミリーさんとこの辺りの話になった。むかし有名人の誰それが住んでいた、芸人のあの人ならたまに店に来る、Kさんの息子は女優の○○と結婚している……。そんな話だ。

その時ふと、会場に貼られたパネルに目が留まった。それはエ☆ミリーさんが書いたエッセイで、この場所がまだ本屋になる前、「立花家」という鶏肉屋があった頃の話だった。

「(Titleの)開店まもない頃に伺ったとき、“ああ、初めてとりにくやさんの中に入ることができた”と、胸が高鳴ったのを覚えています。

もしご存命であれば、今回の展示を、とりにくやさんにも見ていただきたかった」

「とりにくやさん」とは、竹内さんという恰幅のよいおじさんのことで、粋でお洒落なかただったという。「粋でお洒落」というところが、バロンさんとは気が合ったのかもしれない。わたしがお茶会のとき「十年経ってようやくこの扉の中に入ることができた」と感慨にふけったように、エ☆ミリーさんのほうでもこの建物の中に入るまでには、長い時間が必要だったのだ。

 

会期中のある日、エ☆ミリーさんは店の奥にあるカフェで、展示に訪れた方たちと歓談していた。彼らのオーダーする声が、壁越しに訥々と聞こえてくる。

「うーん、ぼくはTitleブレンドかな」

「ぼくも同じもの。あなたは?」

店で出しているコーヒーには、深煎りのTitleブレンドと浅煎りの八丁ブレンドがある。八丁とはこの辺りにあった今川氏の屋敷に由来する地名で、店の前にある交差点にその名前を留めている。エ☆ミリーさんは少し考えたあと、次のようにあかるくこたえた。

「わたしは八丁ブレンドにします。だって、八丁の子どもですから」

わたしはそれを聞き、無性に泣きたい気持ちに駆られた。この場所で原画展ができてほんとうによかった――そのように思えた瞬間だった。

今回のおすすめ本

日本一番美しい県は岩手県である』三浦英之 柏書房

生きるのに厳しい環境であるからこそ、その地では〈生〉が煌めいている。震災を経て、なおも歩み続ける人びと。現代の「イーハトーブ」。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2026年1月10日(土)~  2026年2月2日(月) Title2階ギャラリー

本屋Title10周年記念展「本のある風景」

本屋Titleは、2026年1月10日に10周年を迎えました。同日より2階のギャラリーでは、それを記念した展示「本のある風景」を開催。店にゆかりのある十名の作家に「本のある風景」という言葉から連想する作品を描いていただきました。それぞれの個性が表れた作品は販売も行います。本のある空間で、様々に描かれた〈本〉をご堪能ください。
 

【『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売中です】

本屋Titleは2026年1月10日で10周年を迎えました。この度10年の記録をまとめたアニバーサリーブック『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になりました。

各年ごとのエッセイに、展示やイベント、店で起こった出来事を詳細にまとめた年表、10年分の「毎日のほん」から1000冊を収録した保存版。

Titleゆかりの方々による寄稿や作品、店主夫妻へのインタビューも。Titleのみでの販売となります。ぜひこの機会に店までお越しください。
 

書誌情報

『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』

Title=編 / 発行・発売 株式会社タイトル企画
256頁 /A5変形判ソフトカバー/ 2026年1月10日発売 / 800部限定 1,980円(税込)

 

◯【寄稿】

店は残っていた 辻山良雄 
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)

 

◯【お知らせ】NEW!!

養生としての〈わたし〉語り|〈わたし〉になるための読書(8)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄

今回は、話すこと、そしてそれを通じて自分自身を考えさせられる3冊の本を紹介します。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

幻冬舎plusでできること

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