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棺桶まで歩こう

2025.12.26 公開 ポスト

在宅看取りとは何か  緩和ケア医が語る"死を日常に戻す"という考え方萬田緑平(在宅緩和ケア医)

不健康寿命が延び、ムダな延命治療によってつらく苦しい最期を迎えることへの恐怖が広がる今、「長生きしたくない」と口にする人が増えています。先行き不透明な超高齢化社会において、大きな支えとなるのが、元外科医で2000人以上を看取ってきた緩和ケア医・萬田緑平先生の最新刊『棺桶まで歩こう』です。

家で、自分らしく最期を迎えるために、何を選び、何を手放すべきか。本書から、一部をご紹介します。

*   *   *

死は日常の延長にあります

30分後、寿実子から電話がありました。

「主治医と話しました。退院させられないって……」

「そんなはずないよ。病院は刑務所じゃないんだから。若い医者なの?」

「そう。でも主治医の先生は『娘さんの気持ちはわかる』って言ってくれてるのよ」

主治医は彼女に、「看護師と上司とも話したうえで、状態が悪いので動かしたら危ないから、病院としては倫理上退院させられない」と告げたそうです。

僕は彼女の気持ちをもう一度確認しました。もめごとにはしたくないという一方で、やはりお父さんを「家で看取ってあげたい!」とはっきりしています。

「じゃ、俺が交渉するよ。大丈夫、そんなはずないから。退院できるよ」と伝え、一旦電話を切りました。

たしかに、突然の退院は病院にとっては迷惑です。患者側のペースで、急いでいろいろな準備をしなければならないのは大変でしょう。さらに、病院の使命は「生かすこと」です。「看取るから家に連れて帰る」などという考えを、受け入れられない医療者もいます。僕がこの仕事を始めた17年前は、「すぐ家に連れて帰る」と言っても認められませんでした。

強引に退院させたり、説得したり、お互いに大変でした。でも、次第に病院側も退院を喜んで手伝ってくれるようになり、特に看護師たちは協力的になっていったのです。T看護師もその一人でした。僕の認知度も上がり、時代の流れもあります。もう10年以上「退院させられない」という話はなかったのですが……。

T看護師に電話すると、どうも経験の少ない若い医師なのでそんな話になってしまったとのこと。その後、寿実子のお父さんは無事退院OKとなりました。彼女に退院許可が出たことを伝え、K病院には15時に伺うと伝えました。

たまたまその日は時間があったので、どんどん話が進みました。僕の予定が埋まっていると、こんなスピード感はありません。ふだんは妻にマネジメントを頼むので、食い違いや勘違いも出てきますが、こうして自分で段どれると速い。しかも入院先の看護師やケアマネたちが仲間だというのもラッキーでした。みんな、5伝えれば、10わかってくれる仲間です。

その後K病院に向かい、主治医に病状を確認。滞在時間は10分。予定していた診察を終え、ちょうど15時半に無事家に到着しました。

広いリビングのど真ん中、庭に面した最高のポジションにベッドが入っています。それを確認した直後に、介護タクシーが到着。娘2人と孫娘2人、介護タクシー業者さんと6人でOさんをベッドに移し、「退院おめでとう!」と全員で拍手。すでにOさんは無呼吸が長くなっています。

お孫さんたちは、「よかったね~おじいちゃん」「もう大丈夫だよ~」と、呼吸が止まっているじいちゃんの顔にすりすりします。

「お茶なんかいらないよ、側にいてあげて」と家族に伝えました。もうじき呼吸が完全に止まるのはわかっています。娘、孫たちに「死」を経験させたいと思いました。

孫たちがじいちゃんに話しかけます。

「じいちゃん、今日はパーティーしよっか。じいちゃん、みんなで集まるの好きだったよね~」

すると、なんとじいちゃんが呼吸を再開!

「うご~っ」

いびきのような呼吸音。孫の呼びかけに返事をしているように思えます。

「じいちゃん、反応する! 聞こえてるよ!」孫たちが叫びます。

僕も「絶対に聞こえてるよ!」と口を出します。

「しらす」という白い犬が、じいちゃんのベッドに潜り込みます。じいちゃんの身体に乗っても誰も止めません。

この家庭で「看取り」はもちろん初めてのこと。けれど、すでに「死が日常の延長」になっているのです。すごい、と思いました。

海外に住んでいる孫とテレビ電話もしました。そのお孫さんが、「じいちゃん、ありがとうね~」とスマホ越しに伝えました。

瞬間、またもじいちゃん、「グオッ~!」と反応。家族が涙ぐんでいるのを見て、僕も涙が出ました。僕は呼吸が止まるのはもうすぐだろうと思いながら、寿実子の家を去りました。

死んでないから生き返るとは言いません

〈2日目〉

翌朝、寿実子にメールをすると、少し時間がたってから、こんな返事が来ました。

「じいちゃんも私も熟睡でした。昨日より呼吸がいいみたい」

あれまあ……。僕は、Oさんの予定表の「看取り往診マーク」を「訪問診療のマーク」に変更しました。

昼すぎ、彼女の家にうかがうと、家族のふだんの生活と、Oさんを看取るという、日常と非日常がみごとに同居していました。Oさんの呼吸は昨日より安定しています。認知症で施設に入居しているOさんの妻とリモート面会の時間が来ました。

「お母さん、お父さんが見える!?」

「お母さん、お父さんだよ!」

「随分歳とったねえ~」

「お~わかった、わかった!」

お父さんはしゃべれないだけで、聞こえているのかもしれません。2日目の夜は「餃子パーティー」。親戚が大勢集まって、Oさんの好きな「パーティー」でした。

 

〈3日目〉

午前10時頃、寿実子からの電話が鳴りました。僕はいよいよ亡くなったのだと思って出たら……。

「おじいちゃんが目を覚ましたの!」

「なに~!?」

「看護師さんが胸をおしてたら、『Oさん、目を開いてますよ』って。ほんとうに目をあけてたの! スポンジでビールを吸わせたら、チューチュー吸うのよ! どういうこと!?」

「すげ~!」

「生き返っちゃうのかな?」と寿実子。

「死んでないから生き返るとは言わないだろ!」

「どういうことなの?」という彼女の問いに、僕はこう答えました。

「医学でわかってることは、ほんのわずか。医学で全部わかっていれば、それは不思議なことだけど、そもそも解明できていないんだよ。だから……そんなもんなんだよ。俺の世界ではこういうこと、『あるある』なんだ」

「……でも、在宅ってすごいね」としみじみ。

「そうだよ。おもしろいだろ~? 俺はこれが日常だけど。今回はみものだな、ここまでおもしろいのは、そうはないぞ」

ほんとうにいろいろな例を見てきたが、Oさんほどすごい復活はめったにない。「おもしろい」なんて不謹慎だと思う方もいるかもしれませんが、当の家族である実の娘が「そーでしょ!」と笑っているのです。

夕方、寿実子の家を訪ねました。孫娘M子の髪がショートになっています。

「昨日の夜、みんなで喪服着てファッションショーしたのよ。じいちゃんに『これどう?』と見てもらったの。そしたら美容院行かなきゃってことになったってわけ」

看護師である長男の妻が合流。ここ2日間の報告を聞きながら、Oさんを観察していると、目が開いています。

「起きたよ!」

視線の動きも、表情もない。今のところ、目が開いているだけ。でも昨日、一昨日よりさらに「生きている」のです。みんなじいちゃんに近づく。

「おじいちゃん、おはよ~!」

「おじいちゃん、起きた~?」

帰る時、寿実子が複雑な表情で僕に聞きました。

「おじいちゃん、どこまで生き返るんだろう?」

家族は仕事を休んで、いつまでもみんなでじいちゃんにつきあっているわけにもいきません。

今後の予測が立たないと、家族の日常生活が成り立たないのはわかります。僕は、ふだん8割方余命が読める。

読めないのは、それは思ったより長くなるときです。思ったより短いことはめったにありません。

僕の経験から、傾向として一度余命がはずれると、その後もずっとはずれる。Oさんのように一度余命予測がはずれたら、その後はもう予測しないことが自分の中で鉄則になっています。だから今回の場合は……「余命はわかりません」。

がん患者でも死因は老衰と書きます

 

〈4日目〉

相変わらず30秒ほどの無呼吸があるが、今日は手を握り返すことが多く、顔を拭くとうれしそうに笑うそうです。

水をしみ込ませたスポンジは吸わず、舌で押し返す。それなのに、なんとビールのスポンジはチューチューと吸って、むせながらもゴクリと飲み込むらしい!

寿実子はいつまでも休めないので、明日から仕事に行くことにしたそうです。

 

〈5日目〉

意識低下。とうとう看取り態勢なのか……。

すると、Oさんのベッドから見える庭の正面に花火が上がったそうです。

「こんな3月の時期になんの花火だろう? じいちゃんが上げてるのかねえ」なんて話したそうです。

後から判明したことですが……。Oさんには、仲のいい施設仲間がいました。その息子さんが花火師になり、新人練習の花火だったようです。まさか、そんなつながりがあるなんて!

 

〈6日目〉

深夜に呼吸停止の連絡があり。朝8時過ぎに訪問しました。玄関をあけて、リビングに入るが誰もいません。そのうち、2人の孫娘が眠そうな顔で起きてきました。

Oさん、昨晩はずっと目をあけており、「じいちゃん、もう寝るね!」とみんな床についたそうです。

「明日は冷たくなってるんだろうね」と言いながら……。寿実子が深夜に起きたら呼吸が弱かったので、そろそろだと思ってみんなを起こしました。孫娘たちは、「あれ~じいちゃんまだ生きてたの~。待ってたの~?」と声をかけました。

みんなで、また息が戻ったらどうしようか、ったかな、逝ったかな、と見守りました。そして……「逝ったらしい?」という看取り。みんなが起きてきてから、3分くらいのこと。

「最期、顔がくしゃっとして……ありがとって感じで。ちゃんと最期は目を閉じました」。孫娘たちが看取りを報告してくれました。

寿実子も起きてきました。

「私たちも体力使い切ったよね。葬儀の後は大変だって聞いてるけど、きっと大変じゃないだろうね。『6日間の生前葬』って感じだった。最期はにっこり笑ってから目を閉じたのよ!」

するとM子が言う。

「お母さん、違うよ、目を閉じてから笑ったんだよ!」

こんな感じで、息を引き取った時の様子を楽しそうに報告してくれました。

それを聞きながら、死亡診断書を書いて渡します。僕は、「十分生きた」と家族が思えれば、がん患者でも死因は「老衰」にしています。Oさんはもちろん、「老衰」ということになりました。そう萬田診療所では、家族が死亡診断書の病名を決めるのです!

人は病気で死ぬのではありません。老化で死ぬのです。病気は老化の段階に名前をつけているだけで、治らないし、治療すれば死なずに済むわけではありません。病気にやられたわけでもない。誰もが老化して弱って死ぬのです。

それを認められれば、人は穏やかに逝ける。認められなければ、老化の治療にチャレンジして敗れる。死は「敗北」となってしまうのです。

*   *   *

最期まで自分らしく生きたい方、また“親のこれから”を考えたい方は、幻冬舎新書『棺桶まで歩こう』をお読みください。

関連書籍

萬田緑平『棺桶まで歩こう』

歩けるうちは、人は死なない 長生きしたくないという高齢者が増えている。 不健康寿命が延び、ムダな延命治療によるつらく苦しい最期は恐ろしいと感じるからだ。 著者は2000人以上を看取った元外科医の緩和ケア医。 「歩けるうちは死にません」「抗がん剤をやめた方が長く生きる」「病院で体力の限界まで生かされるから苦しい」「認知症は長生きしたい人にとって勝ち組の証」「ひとり暮らしは、むしろ楽に死ねる」など「延命より満足を、治療より尊厳を」という選択を提唱。 医療との向き合い方を変えることで、家で人生を終えるという幸せが味わえるようになる! 2000人の幸せな最期を支えた「在宅」緩和ケア医が提言 病院に頼りすぎない“生ききる力”とは?

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棺桶まで歩こう

体力も気力も衰えを感じる高齢期。「長生きしたくない」と口にする人が増えています。
不健康寿命が延び、ムダな延命治療によって、つらく苦しい最期を迎えることへの恐怖が広がっているからです。そんな“老いの不安”に真正面から応えるのが、元外科医で2000人以上を看取ってきた緩和ケア医・萬田緑平先生の最新刊『棺桶まで歩こう』です。

家で、自分らしく最期を迎えるために――いま何を選び、何を手放すべきか。
本書から、一部をご紹介します。

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萬田緑平 在宅緩和ケア医

「緩和ケア 萬田診療所」院長。1964年生まれ。
群馬大学医学部卒業後、群馬大学医学部附属病院第一外科に勤務。手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行う中で、医療のあり方に疑問を持つ。2008年から9年にわたり緩和ケア診療所に勤務し、在宅緩和ケア医として2000人以上の看取りに関わる。現在は、自ら開設した「緩和ケア 萬田診療所」の院長を務めながら、「最期まで目一杯生きる」と題した講演活動を日本全国で年間50回以上行っている。
著書に『穏やかな死に医療はいらない』(河出書房新社)、『家で死のう! 緩和ケア医による「死に方」の教科書』(三五館シンシャ)などがある。

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