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魔法律学校の麗人執事

2025.12.30 公開 ポスト

#6 契約は絶対。新しい執事を追い返したくても、追い返せない。新川帆立

『このミス』大賞(『元彼の遺言状』)、山本周五郎賞(『女の国会』)受賞作家・新川帆立の最新作は、恋と魔法の学園ファンタジー『魔法律学校の麗人執事』!

12月24日『魔法律学校の麗人執事3 シーサイド・アドベンチャー』の発売を記念して、試し読みを全12回でお届けいたします。

*   *   *

 

「俺はこの家、向いてないと思ってさ」兄は寂しげに笑った。「お前がいれば十分だろう」

 向いているとか、向いていないとか、考えたことはなかった。条ヶ崎家の子供は、世界を統べる皇帝となるべく生まれ、育てられる。自らの境涯は受け入れるほかない。

 結局のところ兄は逃げたのだ。兄の弱さが憎かった。

 兄が家を出たことで、正式に俺が条ヶ崎家の跡目となり、十五歳の誕生日にサラマンダーとも契約した。悪魔の中でもただでさえ精霊は珍しい。その頂点に立つ四大精霊のうち二つを一人の使い手が保有するのは、じつに三百年ぶりらしい。

 ニュースは斯界を駆けめぐった。

 条ヶ崎マリスは魔法の天才。皇帝マリス。

 人々は臆面もなく俺に追従し、言葉を尽くしてほめそやした。

 世界各国から贈り物が届き、名だたる令嬢たちから恋文がきた。夏の休暇になれば、年頃の女の子を連れた魔法律家たちが、次々に別荘にやってきた。少しでも俺がその気を起こして、自分の娘が気に入られる可能性に賭けているのだ。

 風を吹かせて遊ぶ仔猫を飼っているだけなのに、この扱い。バカバカしいと思いながらも、あえて抵抗しなかった。誰に対しても深入りせず、如才なく立ち回るくらい、造作もないことだ。

 俺は兄とは違う。役目から逃げたりしない。

 シルフィードが嬉しそうに喉を鳴らしながら、俺の肩に乗って頬ずりをした。かと思うと飛びあがり、一回転して俺の脚にじゃれついてくる。

「学校では大人しくしてろよ」他の人に聞こえないような小さい声で言うと、シルフィードは《ンニャア》と短く鳴いた。

 悪魔はいい。契約でつながっているから安心できる。契約以上のものを求めてこないし、俺も求めない。

 屋敷に残してきたペガサスやドラゴンたちのことを思った。手ずからマメに世話をしてきた。事細かに指示を残してきたが、使用人たちは守るだろうか。少しでも手を抜いたら許せない。

 父に忠誠を誓う使用人も、俺の命令は軽んじることがある。面従腹背で、表面上はこびへつらうくせに、裏では「坊ちゃんはわがままだなあ」などとニヤニヤした顔でもらす。力で脅さないと言うことを聞かない。

 さっきの御者もそうだ。ペガサスは匂いに敏感だ。香水をつけてはならないとあれほど注意したのに、ベルガモットの香水をぷんぷん漂わせて御者席に座っていた。

 中途半端な仕事は許せない。注意したにもかかわらず、過ちを繰り返す愚鈍。即刻クビにするべきだと考えた。

 それなのに。何なんだ――あいつは。

 先ほど椿につかまれた手首を見つめる。跡が赤く残っていた。まだ少し痛みがある。

 (どんだけ馬鹿力なんだよ)

 あのまま突っぱねたら、手首を折られたかもしれない。ほんの一瞬だけ、脅威を感じた。そりゃ、魔法を使えばどうにでもなることだ。しかし――。

 俺をにらみつける目を思い出して、むかっ腹が立った。

 素手で立ち向かいやがって。魔法も使えないくせに。

 手首をつかまれたときの衝撃、振り払おうとしても、頑としてなびかない気迫を前に、思い出したくもない記憶が頭をかすめた。

 あんなふうにつかまれて、投げ飛ばされたことがある。

 三年前、十二歳のときだ。母に決闘を申し込んだ。戦場に出向く母を止めるためだった。我が母ながら容赦のない人だった。俺はボコボコに殴られ、頭から地面に落ちた。すぐに治癒魔法で傷を癒してくれたものの、トラウマになるような強烈な拳だった。

 母ほど強い人はいないと思っていたが、あの執事の怪力は母に肉薄しかねない。

 身体の内側をなでられるような、ざわざわとした気持ちになった。くすぐったくて落ち着かない。怒りでもない。苛立ちでもない。嬉しくもなければ、悔しくも、悲しくもない。それならこの気持ちは一体何なのだろう。

 自分の心が波立っていることが、しかもあんな男のせいで落ち着かない気持ちになっていることが、許せなかった。

 あの椿とかいう男は目障りだ。

 男のわりに可愛い感じの顔をしているのも、俺の手首を握った手が妙に柔らかく、熱を帯びていたのもムカついた。

 (あんな執事、さっさと追い出してしまおう)

 ネックとなるのは、父と椿が結んだ雇用契約だ。

 父は俺を代理する権限を持っている。父と俺の親子契約上、そう定めてあった。父は代理人として、俺に代わって適法に契約をした。俺と椿のあいだでは有効に、雇用契約が成立していることになる。

 契約は絶対だ。成立した以上、反故にするわけにはいかない。

 新しい執事を追い返したくても、追い返せない。

 だけどきっと大丈夫だ。どんなにもっても、あいつは一カ月が限界だ。これまでの執事たちだって一カ月経つ頃には辞めることになった。椿もどうせそうなる。

 どうしてだか、胸がちりちりと痛んだ。心の中がすごく乾いていた。荒涼とした砂漠に立っているみたいだ。俺はこの砂漠の皇帝で、願いはすべて叶うはずなのに。財宝も美食も女も、地位も名誉も何だって手に入る。大げさではなく、本当に手に入る。

 でもだから、何だっていうんだ? 

 すべてを手に入れて、それでどうする? 

 湧きあがる心の声を無視した。

 俺は逃げない。それだけだ。

「マリス様……」

 脇から声がかかって我に返った。椿が遠慮がちに、こちらを見ていた。

「入学式の会場はあちらですよ」通りすぎかけた大講堂を指さして言う。

 ああ、と答えながら、平静を装って踵を返した。

 講堂の中に入ると、女子生徒の一団に行きあった。

「また同じ学園に通えるなんて嬉しいです」「高等部でもよろしくね」「しかも高等部からは全寮制だもん。ドキドキしちゃう」などと、頭のてっぺんから出したような高い声で言っている。

 俺の姿を目にとめた途端、キャッと歓声をあげて、

「マリス様、ごきげんよう」

 と口々に挨拶をした。

「ああ、しばらくだな」

 俺が微笑んでみせると、女の子たちの表情は一気に華やいだ。

「高等部の制服もよくお似合いです」「あら、マリス様の法杖、トマス・ベーカー社の特注品ではないですか」「さすが条ヶ崎家。法杖一つとっても、格が違いますね」

 ちょうど目の前を、花の妖精〈フラワー・ピクシー〉が通りすぎた。薄紫色の燐光を散らしながら、誘うように俺を見ている。ひゅっと口笛を吹いてやると、フラワー・ピクシーは嬉しそうに、色とりどりの花びらを散らした。

 女子生徒たちは突然の花吹雪に「わあっ!」と目を輝かせた。「すごいわ、マリス様、花の魔法も使えるなんて」

「春のおすそ分けだ」

 口元だけで笑うと、話はこれで終わりとばかりに歩き出した。名残惜しそうな視線を感じながら女子生徒のあいだを抜けた。一階中央の新入生席は埋まりつつある。一階の両脇や二階席には、二年生、三年生、大学で研究をしている学生らが徐々に座り始めていた。

 講堂の中央後方に、ひときわにぎやかな人だかりができていた。

 そこには、三人の生徒が悠々と腰かけていた。いつもつるんでいるメンツだ。他の大勢の生徒たちは、三人を取り囲むように立ち、しかし話しかけるのもためらわれるらしく、様子をうかがっている。

 近づいていくと、

「おう、マリス。遅かったじゃん」

 三人のうちの一人が顔をあげて言った。

*   *   *

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新川帆立

1991年生まれ。米テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち。東京大学法学部卒業後、弁護士として勤務。第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、2021年に『元彼の遺言状』でデビュー。他の著書に『先祖探偵』『令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法』『縁切り上等!』『ひまわり』『目には目を』などがある。『女の国会』で第38回山本周五郎賞受賞。

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