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魔法律学校の麗人執事

2025.12.28 公開 ポスト

#4「おい、お前、クビだ」新川帆立

『このミス』大賞(『元彼の遺言状』)、山本周五郎賞(『女の国会』)受賞作家・新川帆立の最新作は、恋と魔法の学園ファンタジー『魔法律学校の麗人執事』!

12月24日『魔法律学校の麗人執事3 シーサイド・アドベンチャー』の発売を記念して、試し読みを全12回でお届けいたします。

*   *   *

 

 そう言うと、ポケットから便箋のようなものを取り出して器用に折りたたみ、飛行手紙(エア・メール)をつくって宙に投げた。空中をすうっと飛んで、倉庫から出ていった。

「条ヶ崎家の家訓を知っているか?」

 しわがれた声が、埃っぽい倉庫に吸い込まれていく。

「『すべての魔法を支配する皇帝たれ』。条ヶ崎家は、海運系の悪魔を独占して、総合商社を中心とした一大財閥を築いている。五摂家の中でも頭一つ抜けて勢力が大きい。日本一、世界有数の魔法律グループだ。関連会社を含めると国家レベルの資産と人員を有している。条ヶ崎家に歯向かう者は日本を追われ、世界中を逃げ回ったすえに消される。条ヶ崎帝国などと揶揄する者もいる。マリス様はその皇帝となるべく育てられた。ただし、強い光には影がともなう。その影の部分を支えるのが、あんたの役目だ」

 国家レベルの資産、条ヶ崎帝国、皇帝マリス。

 どの単語もピンとこない。とにかくあの男が、大変な権力を持った名家の跡取りとして、高慢尊大に育ったということだけは伝わってきた。

「個人的には、あんたに期待しているんだ」ばあやはニイッと笑った。「だってほら、あのときも、引ったくりから鞄を奪い返してくれただろ」

「えっ?」と声をあげながら、ばあやをまじまじと見た。

 節くれだった手、左手の小指にはめられた金色の指輪、そういえば――。

「私がランニングしていたとき、引ったくりにあっていた、あのおばあさんですか?」

「悪いけど、試させてもらったよ。どこの馬の骨とも知れない男に、うちのマリス様を預けるわけにはいかないからね。しかも魔力が乏しい一般地区出身者だなんて。でも魔法の力だけがすべてではないよな。素手で引ったくりを捕まえるなんて、あんたはなかなか、骨がありそうじゃないか」

 倉庫の入り口から飛行手紙がするりと入ってきた。中を検めながら言った。

「他の使用人にもあんたのことは伝えておいた。みんな、新しい執事に興味津々だよ」

 飛行手紙を折りたたみ、ポケットに入れた。

「さあ、そろそろ出発の時間だよ。表に馬車の用意ができたらしい」

 

 屋敷の前に、使用人たちがずらりと並んでいた。屋敷の窓から顔を出す者もいる。

「あれが新しい執事なんだって」「大丈夫なのかしら」「でも、頑張ってもらわないと」

 ひそひそと交わされる声が、さざ波のように伝わってくる。

 正面には、ロシア式のドロスキー馬車が停まっていた。

 屋根なしの四輪で、御者のほかには二人しか乗り込めない。背を丸めた小柄な中年男が御者席に座り、白毛のペガサスの手綱を握っている。ペガサスの頭部には、凝った刺繡の入ったイヤーネットがつけられていた。音に敏感だと言っていたから、イヤーネットで音を遮断しているのだろう。

「これも魔法で動くんですか?」

 ばあやに訊こうと思って振り向くと、

「はあ? 誰に向かって口をきいているんだ?」

 あの男、マリスが立っていた。

 私は瞬きを重ねた。目の前の光景にあ然としていた。

 制服姿の彼は本当に凜々しかった。悔しくなるほどに様になっている。

 将校風の詰襟が尊大な顔によく似合っていた。光り輝く金髪の下から、射るような視線が向けられた。

 マリスはさっと前髪をかきあげると、

「おいド庶民。俺様のお通りだ」

 ぞっとするほど綺麗な顔で言った。

「どけよ」

 私は唇をかみしめながら脇にのいた。感情がごちゃごちゃになった。美しいものは美しいまま好きになりたいのに。彼の態度がそれを許さない。私のプライドがそれを許さない。

 (こんなやつに負けてたまるか)

 魔法の天才だから、皇帝だから、御曹司だからって、何? 

 すぐに笑顔をつくって言った。

「どこの国の王子かと思いましたよ。制服がよくお似合いで。お坊ちゃま」

 わざと、「お坊ちゃま」を強調した。しょせんあんたは、過保護に育ったお子ちゃまなんだよ、と暗に示すために。

 マリスは満面に自信をたたえて、天を仰いで言った。

「野良犬は威勢がいいな。弱い犬ほどよく吠える」

 余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべながら、私の前を通っていく。金色の髪を風になびかせ、ひらりと馬車に飛び乗った。

 くそっ絵になる、と思った。馬車と杖、王子様。童話の世界から抜け出してきたみたいだ。

 (でも、あんなやつ、嫌いだ)

 唇をかんで、にらみつけた。人を嫌いになることなんて、ほとんどないのに。どうしてこんなに苛立つのだろう。

「さ、お乗りなさい」ばあやが後ろからそっと声をかけてくれた。

 私は馬車に足をかけた。だが乗りなれていない、というか乗ったことがないせいで、身体のバランスを上手くとれない。よろめきながら何とか乗り込んだ。

 その様子を、マリスは冷ややかに見ていた。汚らしいものを目にしたかのように、口元をかすかに歪めている。馬鹿にされているのは分かっていたが、反応するのが腹立たしくて、あえて涼しい顔をした。

 座席には、ベルガモットのような甘い香りが広がっていた。マリスの冷たく整った横顔を盗み見る。美男子は匂いまで完璧なのだろうか。

 座席の側面に手をかけながら、腰をおろそうとしたら、

 ガタッ! 

 大きな音がして驚いた。マリスが御者席の背面を蹴ったのだ。

 くさいものでもかぐように顔をしかめながら言った。

「おい、お前、クビだ」

 一瞬、自分に言われたのかと思った。だが違ったようだ。

 御者が青い顔で振り向き、「クビだけはご勘弁を」と言った。

 ガタン! 

 再び、マリスが御者席を思いっきり蹴った。木くずが飛び散る。馬車に穴が開いていた。

「さっさと降りろ。それとも落とされたいか?」

「失礼しました」御者は頭をさげ、転がり出るように御者席から降りた。

「御者なんて本当はいらないんだよ」

 独り言のように低い声で言った。手にした法杖を前に差し出し「シルフィード、手綱を」とつぶやくと、手綱がひとりでに動き出した。

 馬車が宙に浮いた。

 うわ、と思いながら、私はとっさに座席の側面にしがみついた。

「マリス様、いってらっしゃい!」「いってらっしゃいまし!」「どうかお気をつけて!」

 屋敷の窓から手を振る使用人たちが叫んだ。誰かが指笛を吹いている。花吹雪が舞った。爆竹を鳴らす者もいる。マリスは屋敷を振り返り、いかにも愉快そうに「ハハハ」と笑った。使用人たちの忠義を確かめて悦に入っているのだろう。

 高度はどんどんあがった。下を見ると、すでに屋敷はミニチュアみたいに小さくなっていた。

 横目でマリスの様子をうかがった。彼は無表情のまま、まっすぐ前を向いている。視線を気どられると機嫌を損ねるかもしれない。すぐに視線を外した。

 なんて粗暴な人なんだ。

 気分一つで御者をクビにしてしまう。

 先ほど吹き飛ばされたときの驚き、恐ろしさ、肩の痛みを思い出して、身を縮めた。あのとき、突風は見えない手のように意思を持って吹きつけ、柱をつかんでいても飛ばされてしまった。あれも魔法なのだろう。今あの魔法を使われたら、私の身体はひとたまりもなく空に放り出される。

 地面に真っ逆さまに落ちて百パーセント即死だ。

 彼は条ヶ崎家の次期当主だ。横暴をとがめる者もいないだろう。執事が馬車から転落して死んでも、ただの事故としてすまされる。想像すると背筋が凍った。

 気配を消して大人しくしておいたほうがいい。分かっているのに。黙っているのはしゃくだった。言うべきことは、言わなくちゃいけない。相手が誰だったとしても。心を曲げたら私が私ではなくなってしまう気がした。

*   *   *

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新川帆立

1991年生まれ。米テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち。東京大学法学部卒業後、弁護士として勤務。第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、2021年に『元彼の遺言状』でデビュー。他の著書に『先祖探偵』『令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法』『縁切り上等!』『ひまわり』『目には目を』などがある。『女の国会』で第38回山本周五郎賞受賞。

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