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魔法律学校の麗人執事

2025.12.27 公開 ポスト

#3 この3年で36人の執事がクビになった。誰も1ヶ月ともたない新川帆立

『このミス』大賞(『元彼の遺言状』)、山本周五郎賞(『女の国会』)受賞作家・新川帆立の最新作は、恋と魔法の学園ファンタジー『魔法律学校の麗人執事』!

12月24日『魔法律学校の麗人執事3 シーサイド・アドベンチャー』の発売を記念して、試し読みを全12回でお届けいたします。

*   *   *

 

 一頭や二頭ではない。見渡す限り三十頭以上いるように見えた。

 図鑑で見たことがある。だが当然、一般地区で実物を目にすることはない。魔法特区ですら、絶滅危惧種に指定されていたはずだ。

 まさに幻獣の王者。

 それが何十頭も、眼前に並んでいる。

「うっわあ、条ヶ崎家って、どんだけすごいの?」

「静かに」と老婆は言って、あごで外に出るように指示した。

 老婆に続いて、廐舎から出た。

「ペガサスは音や匂いに敏感なんだ。仔馬がやっと寝たところだから、部外者に入ってこられちゃ困る」

「すみません」と謝ってから、契約書を見せ、事情を説明した。

 みるみるうちに、老婆は人のよさそうな笑みを浮かべた。私の心はほんの少しほぐれた。この人は味方になってくれそうだという直感があった。

「そうか。今日からか」

 耳が遠いのか、老婆の声は大きかった。顔は大きくて皺だらけだ。節くれだった手がずんと伸びて、私の手を握った。力の強さに驚く。左手の小指にはめた金色の指輪があたって痛い。

「よろしく。私はこの屋敷で何十年も働いている。困ったことがあったら聞いてくれ。みんな私を『ばあや』と呼ぶよ」

 ばあやは、黄ばんだ歯を見せてヒヒッと笑った。

「あんた、魔法は使えるんだっけ?」

 私が首を横に振ると、「やっぱりね。噂は本当だったのか」とばあやが言った。

「一般地区の人間を雇い入れるなんて。旦那様はどうかしてる。この屋敷だってね、色んな魔法が張りめぐらされていて、部外者のひとり歩きは危ないんだよ」

 そのときちょうど、遠くから、獣のうなり声のようなものが響いてきた。背筋が冷えた。

「とりあえず、安全なところに入ろう。こっちだよ」

 大股で歩き出す老婆を慌てて追った。

 屋敷の裏手に回り、古い木戸から中に入る。

 洞窟のように暗い廊下がまっすぐ伸びていた。ばあやが足を踏み入れた途端、パッと明るくなった。目を細めて見ると、等間隔に松明が並んでいた。ワイン色の絨毯が炎に照らされて、ちろちろと輝いていた。

 あの灯りは一体どういう仕組みなのだろう。人感センサーと着火装置は、どう接続されているのか。

 感応式の照明を自作して、修道院に取り付けたことがある。あれは八歳のときだった。赤外線LEDと赤外線受光モジュールを用意して、簡単なプログラムを書けばできた。だが電気をつけるのではなく、火をつけるとなるとハードウェア上の工夫が必要になりそうだ。

「炎に手を触れないように。ただの火傷じゃすまないよ」

 ばあやがこちらに背を向けたまま言った。

 私は目を覚ますように頭を横に振った。

 そうだ、ここは魔法特区、魔法の世界なんだ。科学なんていう前時代的なものに頼らずに暮らしているのだ。

 ランドリールームの前を通り、厨房の前を通った。顔の横を何かが通った。とっさによける。

 紙飛行機のようなものが廊下の奥へ飛んでいった。

「怖がらなくてもいい。飛行手紙(エア・メール)だ。召使のあいだで連絡をとるときに使う」

 訳も分からず、へえ、とつぶやいた。きっとすごいものなのだろう。

 一旦中庭に出た。色とりどりのバラの花が咲き誇るイギリス式の庭園だった。華やかな香りに包まれながら小道を抜け、アーチをくぐり、再び屋敷に入った。

「ここは倉庫なんだがね」

 吹き抜けの空間が一斉に松明に照らされた。三階建てくらいの高さがあった。壁沿いに階段が伝っている。ぽつぽつと輝く橙色の炎は、天に立ちのぼるランタンのようで、壮観だった。

「えーっと。使用人用の魔法道具はどこだったっけ」

 ばあやは奥へと進み、木製の戸棚の一つを開いた。手を突っ込んで、ガサガサッと中をかきまぜたかと思うと、こちらを振り向いた。

「法杖(ほうじょう)を渡しておくよ」

 ばあやの手には、一メートルほどのステッキが握られていた。手で握る部分は黄金色に輝き、柄の部分は黒光りしている。お金持ちの老人、あるいは古風なマジシャンが持っていそうな代物だった。

「法杖って、何ですか?」

 と尋ねると、ばあやは虚を衝かれたような顔をした。

「ああそっか、あんたは一般地区育ちだから知らないのか。法杖ってのは、魔法律家が使うステッキだよ。何百年も前のヨーロッパでは、法杖は法律家のシンボルだったらしい。それがどういうわけか、今では、魔法律家の魔法道具になっている」

「魔法に使うんですか?」

「まあ、普通に、棒だから。寄りかかれば歩行補助にも使えるし、振り回せばチャンバラもできるけど。魔法を使うときにも色々便利なんだよ。例えば、『一振りすれば火が出る』というふうに、よく使う魔法を仕込んでおけるから。悪魔との契約でそう定めておけばいい」

「ショートカットキーみたいなものですか?」

 と尋ねると、ばあやは眉をひそめた。

「ショート、なんだって?」

「いや、大丈夫です」

 そうだ。魔法特区の人たちはほとんど科学に頼らずに生きているのだった。パソコンなんて使わないだろうし、ショートカットキーを知っているわけがない。

「契約書に書いておくことで、法杖を使って素早く魔法を発動できるってわけですね」

「そうそう。そういうこと」ばあやは満足そうにうなずいた。「学園に入学する生徒はみんな自前の法杖を用意しているはずだよ。あんたはとりあえず、これを使ってくれ」

 ばあやは一本の法杖をそっと差し出した。

「私のお古で悪いけど」

「いえ、とんでもないです」

 うやうやしく両手で法杖を受け取った。お古であっても、私のために魔法道具を手配してくれたことが嬉しかった。

「あと本当は、印章指輪(シグネット・リング)も必要なんだけど」

 と言って、左手の小指にはめた金色の指輪を目の前にかかげた。

「こういうものだよ。指輪の上部が平べったくなっているだろう。細かい模様が刻んである。これを契約書に押しつけると署名押印の代わりになるんだ。使用人のぶんはご主人様が用意することになってるんだ……けれども申し訳ない。マリス様は気難しくって。まだ用意してないみたいだ」

 マリス様――という名前を聞いて、先ほどの冷酷な青年を思い出した。心底私を見くだしている様子だった。問答無用で吹き飛ばしてくるんだから、気難しいどころの話ではない。

 うなだれるように頭をさげるばあやに、胸が締めつけられた。

「いいんです」と慌てて言う。「私、どうせ魔法は ――」

 言葉が続かない。どこまで何を話していいのか分からなかった。

「印章指輪がなくても、左手の親指に朱インクをつけて拇印を押す方法もある。ちょっと面倒だし、安全面を考えると、望ましくないのだけど。マリス様の機嫌が直るまでしのいでくれ」

 そういえば、隅田川沿いでおじさんと契約したときも「まだ印章指輪を持っていないのか。仕方ないから、拇印でいいよ」と言われた気がする。

 法杖と印章指輪。

 この二つは、魔法律家の基本装備のようだ。

 ばあやは深いため息をついてから、口を開いた。

「実はね、この三年で三十六人の執事がクビになった。誰も一カ月ともたないんだよ。新しい執事はもうこないだろうって、もっぱらの噂だった。でもマリス様の学園入学に、ぎりぎり間に合ったようだね。私は旦那様から事前に聞いていたけど、他の使用人たちは知らされていなかったんだろう」

*   *   *

この続きは書籍『魔法律学校の麗人執事1 ウェルカム・トゥー・マジックローアカデミー』でお楽しみください。

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新川帆立

1991年生まれ。米テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち。東京大学法学部卒業後、弁護士として勤務。第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、2021年に『元彼の遺言状』でデビュー。他の著書に『先祖探偵』『令和その他のレイワにおける健全な反逆に関する架空六法』『縁切り上等!』『ひまわり』『目には目を』などがある。『女の国会』で第38回山本周五郎賞受賞。

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