『このミス』大賞(『元彼の遺言状』)、山本周五郎賞(『女の国会』)受賞作家・新川帆立の最新作は、恋と魔法の学園ファンタジー『魔法律学校の麗人執事』!
12月24日『魔法律学校の麗人執事3 シーサイド・アドベンチャー』の発売を記念して、試し読みを全12回でお届けいたします。
* * *
一頭や二頭ではない。見渡す限り三十頭以上いるように見えた。
図鑑で見たことがある。だが当然、一般地区で実物を目にすることはない。魔法特区ですら、絶滅危惧種に指定されていたはずだ。
まさに幻獣の王者。
それが何十頭も、眼前に並んでいる。
「うっわあ、条ヶ崎家って、どんだけすごいの?」
「静かに」と老婆は言って、あごで外に出るように指示した。
老婆に続いて、廐舎から出た。
「ペガサスは音や匂いに敏感なんだ。仔馬がやっと寝たところだから、部外者に入ってこられちゃ困る」
「すみません」と謝ってから、契約書を見せ、事情を説明した。
みるみるうちに、老婆は人のよさそうな笑みを浮かべた。私の心はほんの少しほぐれた。この人は味方になってくれそうだという直感があった。
「そうか。今日からか」
耳が遠いのか、老婆の声は大きかった。顔は大きくて皺だらけだ。節くれだった手がずんと伸びて、私の手を握った。力の強さに驚く。左手の小指にはめた金色の指輪があたって痛い。
「よろしく。私はこの屋敷で何十年も働いている。困ったことがあったら聞いてくれ。みんな私を『ばあや』と呼ぶよ」
ばあやは、黄ばんだ歯を見せてヒヒッと笑った。
「あんた、魔法は使えるんだっけ?」
私が首を横に振ると、「やっぱりね。噂は本当だったのか」とばあやが言った。
「一般地区の人間を雇い入れるなんて。旦那様はどうかしてる。この屋敷だってね、色んな魔法が張りめぐらされていて、部外者のひとり歩きは危ないんだよ」
そのときちょうど、遠くから、獣のうなり声のようなものが響いてきた。背筋が冷えた。
「とりあえず、安全なところに入ろう。こっちだよ」
大股で歩き出す老婆を慌てて追った。
屋敷の裏手に回り、古い木戸から中に入る。
洞窟のように暗い廊下がまっすぐ伸びていた。ばあやが足を踏み入れた途端、パッと明るくなった。目を細めて見ると、等間隔に松明が並んでいた。ワイン色の絨毯が炎に照らされて、ちろちろと輝いていた。
あの灯りは一体どういう仕組みなのだろう。人感センサーと着火装置は、どう接続されているのか。
感応式の照明を自作して、修道院に取り付けたことがある。あれは八歳のときだった。赤外線LEDと赤外線受光モジュールを用意して、簡単なプログラムを書けばできた。だが電気をつけるのではなく、火をつけるとなるとハードウェア上の工夫が必要になりそうだ。
「炎に手を触れないように。ただの火傷じゃすまないよ」
ばあやがこちらに背を向けたまま言った。
私は目を覚ますように頭を横に振った。
そうだ、ここは魔法特区、魔法の世界なんだ。科学なんていう前時代的なものに頼らずに暮らしているのだ。
ランドリールームの前を通り、厨房の前を通った。顔の横を何かが通った。とっさによける。
紙飛行機のようなものが廊下の奥へ飛んでいった。
「怖がらなくてもいい。飛行手紙(エア・メール)だ。召使のあいだで連絡をとるときに使う」
訳も分からず、へえ、とつぶやいた。きっとすごいものなのだろう。
一旦中庭に出た。色とりどりのバラの花が咲き誇るイギリス式の庭園だった。華やかな香りに包まれながら小道を抜け、アーチをくぐり、再び屋敷に入った。
「ここは倉庫なんだがね」
吹き抜けの空間が一斉に松明に照らされた。三階建てくらいの高さがあった。壁沿いに階段が伝っている。ぽつぽつと輝く橙色の炎は、天に立ちのぼるランタンのようで、壮観だった。
「えーっと。使用人用の魔法道具はどこだったっけ」
ばあやは奥へと進み、木製の戸棚の一つを開いた。手を突っ込んで、ガサガサッと中をかきまぜたかと思うと、こちらを振り向いた。
「法杖(ほうじょう)を渡しておくよ」
ばあやの手には、一メートルほどのステッキが握られていた。手で握る部分は黄金色に輝き、柄の部分は黒光りしている。お金持ちの老人、あるいは古風なマジシャンが持っていそうな代物だった。
「法杖って、何ですか?」
と尋ねると、ばあやは虚を衝かれたような顔をした。
「ああそっか、あんたは一般地区育ちだから知らないのか。法杖ってのは、魔法律家が使うステッキだよ。何百年も前のヨーロッパでは、法杖は法律家のシンボルだったらしい。それがどういうわけか、今では、魔法律家の魔法道具になっている」
「魔法に使うんですか?」
「まあ、普通に、棒だから。寄りかかれば歩行補助にも使えるし、振り回せばチャンバラもできるけど。魔法を使うときにも色々便利なんだよ。例えば、『一振りすれば火が出る』というふうに、よく使う魔法を仕込んでおけるから。悪魔との契約でそう定めておけばいい」
「ショートカットキーみたいなものですか?」
と尋ねると、ばあやは眉をひそめた。
「ショート、なんだって?」
「いや、大丈夫です」
そうだ。魔法特区の人たちはほとんど科学に頼らずに生きているのだった。パソコンなんて使わないだろうし、ショートカットキーを知っているわけがない。
「契約書に書いておくことで、法杖を使って素早く魔法を発動できるってわけですね」
「そうそう。そういうこと」ばあやは満足そうにうなずいた。「学園に入学する生徒はみんな自前の法杖を用意しているはずだよ。あんたはとりあえず、これを使ってくれ」
ばあやは一本の法杖をそっと差し出した。
「私のお古で悪いけど」
「いえ、とんでもないです」
うやうやしく両手で法杖を受け取った。お古であっても、私のために魔法道具を手配してくれたことが嬉しかった。
「あと本当は、印章指輪(シグネット・リング)も必要なんだけど」
と言って、左手の小指にはめた金色の指輪を目の前にかかげた。
「こういうものだよ。指輪の上部が平べったくなっているだろう。細かい模様が刻んである。これを契約書に押しつけると署名押印の代わりになるんだ。使用人のぶんはご主人様が用意することになってるんだ……けれども申し訳ない。マリス様は気難しくって。まだ用意してないみたいだ」
マリス様――という名前を聞いて、先ほどの冷酷な青年を思い出した。心底私を見くだしている様子だった。問答無用で吹き飛ばしてくるんだから、気難しいどころの話ではない。
うなだれるように頭をさげるばあやに、胸が締めつけられた。
「いいんです」と慌てて言う。「私、どうせ魔法は ――」
言葉が続かない。どこまで何を話していいのか分からなかった。
「印章指輪がなくても、左手の親指に朱インクをつけて拇印を押す方法もある。ちょっと面倒だし、安全面を考えると、望ましくないのだけど。マリス様の機嫌が直るまでしのいでくれ」
そういえば、隅田川沿いでおじさんと契約したときも「まだ印章指輪を持っていないのか。仕方ないから、拇印でいいよ」と言われた気がする。
法杖と印章指輪。
この二つは、魔法律家の基本装備のようだ。
ばあやは深いため息をついてから、口を開いた。
「実はね、この三年で三十六人の執事がクビになった。誰も一カ月ともたないんだよ。新しい執事はもうこないだろうって、もっぱらの噂だった。でもマリス様の学園入学に、ぎりぎり間に合ったようだね。私は旦那様から事前に聞いていたけど、他の使用人たちは知らされていなかったんだろう」
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魔法律学校の麗人執事

「私が男のふりをして、男子寮で暮らすんですか!?」
男装したヒロインと、オレ様系男子による恋と魔法の学園ファンタジー、開幕!
新川帆立の新境地!
ライトノベルシリーズ始動。










