「海ノ向こうコーヒー」で働く田才さんが今回紹介するのは、パプアニューギニア東ハイランド州・アサロ地方のコーヒー農園。
“マッドマン(泥男)”の伝説が息づくこの土地には、その血を受け継ぐ者が丁寧に育てる、特別なコーヒーがありました。
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僕たち海ノ向こうコーヒーは、世界30か国以上のコーヒーを扱っている。ただ売るだけではなく、そのコーヒーの背景を伝えることも大切にしてきた。
今回は、そのなかでも、特にユニークなストーリーをもつコーヒーを紹介しようと思う。
舞台は、パプアニューギニア東ハイランド州のアサロ地方。この地域には、「マッドマン(Mudman/泥男)」の伝説が存在する。

昔、アサロの村が敵対する民族に攻め込まれ、村人たちは追い詰められた。逃げ場がなく、もはや抵抗も難しくなったとき、村人たちは体中に泥を塗り、近くの泥沼に身を潜めることにした。
息をひそめながら敵が通り過ぎるのを待とうとしたが、敵が泥沼のそばにやって来た瞬間、「今なら意表を突くことができる!」と泥の中に隠れていた村人たちは一斉に姿を現した。全身が灰色の泥に覆われ、その顔はまるで泥が固まってできた仮面のよう。目の部分だけが黒くくぼみ、口元は無表情に固まっている。その異様な姿を見た敵は、「精霊だ」「不吉な存在だ」「泥のお化けだ!」と恐れて逃げ出し、村人たちは戦いに勝利した。
この出来事が、のちに「マッドマン」として伝統的な泥仮面のルーツになったとされている。仮面は白みがかった土で作られ、角や牙のような飾りが付けられることもある。現在も祭りで使われ、地域の文化を象徴するアイコンとなっているのだ。

僕たちは、この地で栽培されたコーヒーを、「マッドマンコーヒー」と名付けて販売している。育てるのは、シウェット・プランテーションという農園。設立は1953年で、農園主のピーターさんはマッドマンの血を引く民族の出身だ。
「土地の所有者は周囲に土地を分けないと争いになる」というこの国独特の慣習を背に、強いリーダーシップをもって約6,000人ものスタッフをまとめ、緻密な農園管理を続けている。自らナタを持って働き、丁寧に木を植え、雑草を借り、緑肥を施し、農園を拡大させてきた。

アサロの伝説、そしてピーターさんと農園の魅力を日本へ伝えたい。そんな思いから、「マッドマンコーヒー」は生まれた。豆の麻袋にはマッドマンのデザインが施され、そのストーリーをまといながら、日本の僕たちのもとへやってくる。

僕たち海ノ向こうコーヒーには、大切にしている考えがある。それは、「コーヒーは、生産地の歴史や文化、そして人の営みまで含めて“味わうもの”である。品質はもちろん大事だけれど、価値のすべてではない」ということだ。
世界には、驚くような風習や、ユニークな農園主の哲学、コーヒーとともに語り継がれてきた物語が無数にある。生産地を歩き、コーヒーの香りに包まれながら聞いた小さな逸話や、その土地でしか見られない景色。それらを「面白い」と感じる好奇心こそ、僕たちが世界の産地を自分たちの足で訪問し続ける理由だ。
僕たちが届けたいのは、品質のいいコーヒーであることはもちろんだが、「語りたくなるコーヒー」。
誰かに話したくなる、ストーリーに満ちた一杯は、知らない土地へ導いてくれる地図のようだと思う。
マッドマンコーヒーも、そんなコーヒーのひとつだ。たしかなボディと甘い余韻を残す味わいに、泥の中から立ち上がった村人たちの知恵と勇気の物語が、厚みを与えている。
ただ“豆を売る”のではなく、“物語を届ける”。
コーヒーを通じて世界を知り、その面白さにもう一歩踏み込もうとする人たちが増えたらいいなと思う。
幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ

──元・国連職員、コーヒーハンターになる。
国連でキャリアを築いてきた田才諒哉さんが選んだ、まさかの“転職先”は……コーヒーの世界!?
人生のドリップをぐいっと切り替え、発展途上国の生産者たちとともに、“幻のコーヒー豆”を求めて世界を巡ります。
知ってるようで知らない、コーヒーの裏側。
そして、その奥にある人と土地の物語。国際協力の現実。
新連載『幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ』、いざ出発です。










