心理的に入れない神社

新宿歌舞伎町の大久保公園前で、立ちんぼが急増したことが社会問題になって久しい。
そうした状況を受けてか、高市早苗首相は今年11月、売春に対して「買う側」にも罰則を設けるべきか、制度の見直しの検討を法務大臣に指示したという。これまでの売春防止法では売る側のみ処罰されてきたが、今後は買う側の責任を問う仕組みが議論される可能性があるということだ。
歌舞伎町といえば「トー横キッズ」と呼ばれる若者が、東宝ビル周辺やシネシティ広場にたむろしており、中高生を含む未成年が野外でオーバードーズをしたり、飛び降り自殺をするケースが相次いでいる。ホス狂いによる飛び降りも多く、自殺の名所として知られるビルもあるほどだ。
もっとも、このような若年層が目立つようになったのは、令和以降のことである。それまでは、30代を中心としたサラリーマンが金を落とす「大人の街」というイメージが強かった。
大きな転換点は、2003年に石原慎太郎都知事のもとで実施された「歌舞伎町浄化作戦」だろう。それ以前の治安の悪さは、今とは比較にならない。
2002年には喫茶店「パリジェンヌ」の店内で、住吉会系組員がチャイニーズマフィアに射殺される事件が発生。1994年には中華料理店「快活林」でチャイニーズマフィア同士の抗争が勃発し、1人が青龍刀で殺害された。また2001年には、麻雀店やセクシーパブの入った雑居ビルが放火され、44人もの命が奪われた。
写真家界隈では、スナップ写真を撮ることすら危険視され、年配者から「カメラを持って路地には入るな」と忠告されていたほどだ。
そんな街をクリーンにしようというのが、「歌舞伎町浄化作戦」である。これにより、違法風俗店が取り締まられ、路上での客引き行為が禁止された。同時期、暴力団対策法の改正も進み、暴力団を社会から締め出す体制が強化された。
あれから20年以上がたち、今となっては多くの外国人観光客で賑わい、誰もがカメラを持って街を歩いている。
だが、質の違いがあるだけで、治安の悪さは変わらない。
違法薬物が市販薬のオーバードーズに変わり、ヤクザが半グレに変わり、違法風俗店が立ちんぼに変わっただけだ。
結局、どれだけ法整備を進めても、歌舞伎町がクリーンになることはないのだろう。
街そのものが、危険なものを吸い寄せる磁場を持っており、行き場のない人々はその隙間を探して集まってくるものなのだ。
そんな‟眠らない街”歌舞伎町において、ほどよいスペースでありながら、なぜか人が足を踏み入れない場所というのがある。おそらく歌舞伎町に詳しい人なら、誰もが薄っすら気づいていながら、深く考えたことはないのではなかろうか。
そう、「歌舞伎町弁財天」だ。
私は約四半世紀にわたり、ほどほどの距離から歌舞伎町の様子を眺めてきたが、この弁財天だけは、繁華街の中心部にありながら、いつ通っても不自然なほど人の気配がないのである。
比較するために、まずは歌舞伎町のメインストリート、「ゴジラロード」の昼の賑わいを見てみよう。

まあまあな混雑ぶりである。
正面にそびえるのが、多くの観光客がカメラを向ける「東宝ビル」だ。その一つ手前の路地を右に曲がったところに、その弁財天はある。

いかにもたまり場になりそうな立地だ。
隣には、老舗の店舗型ヘルス「11チャンネル」があり、反対隣には、歌舞伎町の歴史を映す1964年竣工の「王城ビル」がある。また、はす向かいには、黒服やホストなど歌舞伎町の住人御用達の「つるかめ食堂」が店を構えている。
周囲をぐるりと見渡せば、キャバクラや飲み屋、風俗案内所がひしめき合い、夜になれば人通りも多い場所だ。
トー横キッズのたまり場は、約200メートル先で「すぐそこ」というレベル。約400メートル先には、立ちんぼのいる「大久保公園」があり、しかも夜間は施錠され立入禁止だ。
さらに、靖国通りに向って約400メートル進めば「花園神社」があり、昼夜問わず人でにぎわう人気スポットとなっている。深夜は街灯も少なく薄暗いため、2012年には境内で男性がハンマーで殺害される事件も起きた。
かたや、「歌舞伎町弁財天」はどうだろう。
入口はふさがれておらず、周囲は低いパイプ柵でぐるりと囲われているだけ。腰かけるのにちょうどいい階段や石があり、ゴミ箱も完備され、手水舎まである。これだけの条件が揃っていれば、「ワル」のたまり場になっていてもなんら不思議ではない。
それもかかわらず、キッズも立ちんぼもホス狂いも、黒服もホストも、ヤクザもサラリーマンも、誰もこの場所には来ないのである。せいぜい、パイプ柵をベンチ代わりにして外側から座っている人がいる程度だ。
そのためか、物騒な街の中心部にありながら、境内で凶悪事件が起きたことはない。周囲の雑音を遮るように、異質なほど静まり返っている。
一体、この現象は何なのだろう。
私には、人の動きをコントロールするほどの、強力な結界が張られているように思えてならない。
かくいう私も、これまで何度もこの弁財天の前を通っているが、一度も中に入ったことはない。なんとなく外から眺め、「ここはいつ見ても人がいないよなあ」とぼんやり思っていただけだ。それどころか、長らく封鎖されているものだと思い込んでいた。
しかし、一般に解放されている弁財天なのだから、本来「入ってはいけない」と考えるほうが不自然である。
というわけで、この現象を検証すべく、ある日曜の午後、私はついに「歌舞伎町弁財天」に足を踏み入れてみることにした。
いざ侵入。

ふむ。物理的な抵抗感はない。
しかもその日は、平たい石の上に座って談笑する2人組がいるではないか。
「人いるじゃん」と思うなかれ。
彼らは風貌からして、歌舞伎町の住人とは違う。むしろ「休日に神社を訪れる客層」だ。
2人はしばらくすると、なにごともなかったように立ち去ってしまった。
私はひとりポツンと佇み、あたりを見回した。なんだか落ち着かず、早く出たくなるのは気のせいか。死角がないので安全性は高いが、ビル陰のため薄暗いというのはあるだろう。
この弁財天は、歌舞音曲と商売繁盛の神様を祀っており、街の歴史を伝える歌舞伎町の守護神として、1963年に再建されたらしい。
とはいえ、肝心の本殿は鉄の扉で封鎖され、厳重にカギがかけられている。

手水舎は金網で覆われており、蛇口をひねったら水が出ると思われるが、なんだか手を出しにくい。

平たい石は、腰を下ろすのにちょうどよく、酒盛りの跡もあるが、あまり長居しているようには見えなかった。

また、ご神木らしき場所のすぐ後ろにはゴミ箱が置かれ、周囲にゴミが散乱していたが、おそらく通りを歩く人が投げ入れたのだろう。
総じて、境内で談笑する人はいるのかもしれないが、短時間で切り上げるか、あるいはポイ捨てで終わる程度の行為にとどまっている印象だ。
さて、こうして私が境内にいる間にも、神社巡りをしていると思しき中高年の男性グループがやってきた。スポーティな格好で、弁財天の歴史などを語り合っている。
やはり、この場所に来る者は、歌舞伎町の住人とは明らかにタイプが異なる。
では、夜はどうなのか。時間帯を変えて、私はもう一度来ることにした。

日が暮れると、ゴジラロードはネオンが輝き、人通りも一層激しい。

その中にあって、やはり弁財天はひっそりとしたままだ。
先客で一人ポツンと佇む青年がいたが、やはりそれは紛うことなき「ポツン」。何をするわけでもなく、しばらくすると出ていってしまった。
昼も夜も、たまり場になっていないことは明らかだ。
ひとつ気になるとすれば、先述した通り、本殿が鉄の扉でしっかりと閉ざされているところだろう。お堂には立派な龍も描かれているが、シャッターが降りていて、外界から遮断されている。
手前には石造りの賽銭箱もあるが、鉄壁を前にするとなんだか神との距離がありすぎて賽銭を投げる気にはなれない。
非公開であることは自体は珍しくないが、あまりにも厳重なため、拒絶感を与えるのだ。

そして、ふいに思った。
私はずっと、「なぜこの弁財天には人が来ないのか」とばかりを考えていたが、ひょっとすると弁天様のほうが人々を避けているのかもしれない。
そもそも、歌舞伎町の守護神なのだから、多くの住人から愛されていてもよさそうなものだ。だが、両者の間には越えがたい壁があるのである。
私はここで、歌舞伎町の歴史を振り返った。
ぼったくり、悪徳ホスト、風俗に沈められる女性たち――、資本主義に飲まれ、金のために魂を売る者が次々とやってくる街だ。この歪んだ繁栄を、弁天様が認めているとは思えない。
私たちは、「歓迎されていない」ことを魂レベルで感じとり、参拝にふさわしい者だけが足を踏み入れられるよう、選別されているのではなかろうか。
そう考えると、あまりにも合点がいく。
静寂の弁財天を訪れ、
それが、人間

写真家・ノンフィクション作家のインベカヲリ★さんの新連載『それが、人間』がスタートします。大小様々なニュースや身近な出来事、現象から、「なぜ」を考察。










