生きることを「続けたくない」と感じてしまう瞬間は、きっと誰の人生にも訪れるものです。
そんな揺れる心に寄り添い、そっと支えてきたのが、『17歳のビオトープ』『未来への人生ノート』で紡がれた人生先生の言葉でした。
今回は、訪問看護という過酷な現場で“生”と向き合い続ける方から届いた相談です。
助けようとした思いは正しかったのか——。
その戸惑いと痛みを抱えた声に、人生先生がいつもの穏やかなまなざしで耳を傾け、「正しさ」ではない新たな光を示してくれます。
あなたの胸の奥にも、そっと届く言葉がありますように。
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死にたいじゃなくて生きたくないと私も時々考えることがあります。その度に人生先生に貰った言葉を思い出します。
そんな私は訪問看護師をしていますが、先日自死を選ぼうとしたご利用者を助けてしまいました。生きていて欲しい気持ちと、それほど苦しいのなら止めない方が良かったんじゃという気持ち、助けてしまったのはエゴだったんじやないかと悩んでいます。人生先生から教わったこと、「生きていて良かった」その言葉が今の頼りです。でも本当に私の行動は正しかったのか、良かったと言っていいのか、モヤモヤが消えません。

日々、訪問看護師としてのお仕事を務めあげられているのですね。本当に大変な中、ご相談をしていただきありがとうございます。
私が想像もつかないような世界で働いているあなたが、私の言葉を大切に胸に抱いて日々仕事に向き合ってもらえていることをとても光栄に思います。
相談内容についてですが、私にも同じように、自分自身がした行動が相手にとって良かったのか、正しかったのか、と何度も考えてしまった出来事があります。ですが結局正しかったかどうかということについて考え続けても、答えは出ませんでした。なぜなら、その答えは自分の中ではなく、相手の中にあるからです。
さらに相手に尋ねてみても、真実を答えてくれないかもしれないし、相手も正解がわからないかもしれないし、もう答えを返してもらう機会すら存在しない場合もあります。
だからこそ、後になって振り返るべきは、「自分自身がどう思ったか」ということだけだと私は思います。脳裏に刻まれてしまうような大きな出来事については、どれだけ時間が経っても、後になってよくない憶測を何度も始めてしまうと思います。自分と関係の深い相手であれば尚更です。
ただ一つ言える事は、あなたがその極限の状態の中で、咄嗟にしたその行動は、「その時のあなたにとっての最大限の行動」だったと考えてよいのではないでしょうか。
少なくとも私はそう思います。自分自身の過去の行動に対してもそう思いたいです。
その過去をこれからもまた思い出す時があるでしょう。きっと忘れることはできません。でもそのままでいいと思います。たとえ間違っていたと思ってしまったとしても、あなたはあなたを責める必要はありません。あなたは紛れもなく、その時のあなたにできる最大限の行動をしたんです。
またこの言葉も、ふとした時に思い出してもらえれば幸いです。そしてあなた自身が日常の中でも、ふと仕事を離れた時にでも、穏やかで幸せな時間の中にいられることを心から願います。ご相談を、ありがとうございました。
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本連載では、人生先生へのご相談を随時受け付けております。
日々のちょっとしたモヤモヤから、胸の奥にある深いお悩みまで――。どんなことでも大丈夫です。お気軽にお送りください!
人生先生の相談室

『17歳のビオトープ』から生まれたキャラクター・平人生(通称:人生先生)が、あなたのお悩みやご相談に真摯に向き合います。
つまずいたとき、迷ったとき——。
人生先生はどんな言葉で背中を押してくれるのでしょうか。











