AKB48、なにわ男子、日向坂46をはじめ、声優の内田彩、内田雄馬、小倉唯、千葉翔也、アニメ「テニスの王子様」「アイカツ!」、ゲーム「THE IDOLM@STER」「刀剣乱舞ONLINE」など、多彩なジャンルで唯一無二のメロディを提供する作曲家・小野貴光さん。音楽を仕事にすることのリアルを綴ったエッセイ『作曲という名の戦場』から一部抜粋・再編集してお届けします。
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「誰? これ、誰のアルバム?」
そう興奮気味に聞く僕に、彼がちょっと自慢気に教えてくれたのは、はじめて聞くアーティスト名だった。三人組で、キーボードを弾いているメンバーが曲作りをしていて、これがデビューアルバムなんだよ、と。
それがTMネットワークと僕の出会いだった。運命の出会いと言っていい。
八〇年代初頭、アメリカでMTVが設立され、音楽ビデオが続々と作られるようになった頃、日本では小林克也さんが司会の「ベストヒットUSA」でその多くを観ることができた。僕の環境では毎週チェックすることはかなわなかったが、それでも時々深夜にこっそり観る音楽ビデオから大いに刺激を受けていた。
「これ、ほとんど洋楽だよね」
TMネットワークのデビューアルバム「RAINBOW RAINBOW」には、確かにこれまで聴いてきた日本の音楽にはない風が吹いていた。僕はすっかり打ちのめされた。
このドラムの音はどうやって出すんだろう?
「おまえ、そんなの好きなのか」
当時はバンドブーム。少なくとも男子の間ではBOØWY、レッド・ウォーリアーズ、ザ・ストリート・スライダーズなど硬派なロックバンドが人気を博していて、どちらかといえばポップ寄りのTMネットワークは、女子がキャーキャー言っている印象が強かった。
でも、そんな空気を一変させたのがシングル「Self Control」(1987年)だ。
シンセサイザーでキャッチーなリフを重ねつつ、印象的なメロディでどんどん攻め込んでくるような傑作だった。はじめて耳にしたときは、感動を通り越してショックを受けたほどだ。これまでのTMネットワークにはなかったタイプの曲だったし、もちろん世界中のどの曲とも違った。

僕はますますこのユニットに夢中になった。彼らがはじめて「ミュージックステーション」に出演したときにはテレビにかじりつくようにして観たが、あまりのカッコよさに悶絶。そのとき僕の想いは確信に変わった。
この音楽は絶対に世界が知るべきだ!
世界といっても、中学生の世界はほぼ学校に集約されていたので、ごく小さなコミュニティのなかでの話ではあるが、僕は積極的に「布教活動」を行った。自分から「最近すごくいい曲があってさ」とグイグイ話しかけていくことはもちろん、友達が何気なく「何かいい曲ない?」なんて質問を僕に向けたが最後、そいつは哀れな子羊よろしく僕の熱いプレゼンを否応なしに受け止めざるを得なくなった。
そしてその結果、クラスの男子のほとんどがTMネットワークを自分のライブラリに加えるという、僕にとってこれ以上ないほどの素晴らしい成果を得たのだった。それは僕のクラスだけの局地的なムーブメントだったし、すごいのはTMネットワークなのであって僕ではないのはわかっていても、なんだかとても誇らしい気分だったのを覚えている。
そこまで熱狂すると、自分で生み出す音楽もまた「TMネットワークみたいな曲を作りたい」という方向に自然にベクトルが向いていく。
僕はピアノを習ったこともなければ、音楽理論もまったくわからなかったので、必死でお金を貯めて手に入れたリズムマシンRX21、シーケンサーQX5、そして小さいシンセサイザーだったけど安かったDX100を相棒に、とりあえずTMネットワークの曲をコピーして打ち込んで、どの程度再現できるのかという実験に時間を割いた。
ただ、当時のシンセは同時発音数がたったの八個。せーので八音しか出ないということだ。当然ながらあっという間に限度に達し、TMネットワークのような多彩なパートを再現することなんて不可能だった。
そこで僕はまたしても貧富の差を突きつけられるのだった。悔しかった。
でも諦めたくなくて、同じくTMネットワークにハマった友達がちょっとグレードの高いシンセサイザーのDX21を買ったというので、つながせてもらった。それによって八音増やせることになり、僕は嬉々として音を打ち込んだ。たかが倍、されど倍だ。
現在のプラグインでは同時発音数なんて気にする必要がないから、今の若者が当時の状況に陥ったらきっとパニックになると思う。
もちろん、当時の僕にとっては夢にまで見た環境だったから、不満は多少あっても自分の機材がある毎日はすごく幸せだった。ドラムもピアノも全然リアルな音じゃないし、MIDIの反応が悪くて音は遅れるしで、僕が生み出す音はショボすぎたけれど、それでも音を出すたびにとても興奮したし、音楽には無限の可能性が感じられた。

僕は今でも小室哲哉さんの話をすると、自分が中学時代に戻ったような気分になる。あれから世の中の音楽技術は四十年分進化し、作曲家になった僕の知識と経験も当時とは比べ物にならないわけだが、TMネットワークと小室さんの存在を超えることは一生ない。
きっと初恋みたいなものなんだろう。音楽性がどうこう、技術がどうこうじゃなく、その音楽に出会った体験そのものが僕の人生に深く刻まれているのだ。
その後、TMネットワークは解散し、小室哲哉さんはプロデューサーとして広くその名を知られるようになったが、僕はやはり、何より作曲家としてリスペクトしている。この人の書くメロディは本当にすごい。
Globe「DEPARTURES」(1996年)、華原朋美「I’m proud」(1996年)、安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」(1997年)などは、メロディが降りてきたとしか思えないほどの名曲たちだった。
僭越ながら作曲家目線で言えば、間違いなくメロディが先にあり、そこからコード進行が導き出されたものだろう。コードだけでは到底生まれない曲ばかりだと思う。
この作曲家の才能には当時から多くの人が気づいていただろうが、十二歳でそれに気づいた自分を、僕は今でも少し誇らしく思うのだ。
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書籍『作曲という名の戦場』の出版を機に、小室哲哉さんと小野貴光さんの対談が雑誌「GOETHE」12月号にて実現しました。動画もありますので、ぜひご覧ください。
前編 / 後編












