AKB48、なにわ男子、日向坂46をはじめ、声優の内田彩、内田雄馬、小倉唯、千葉翔也、アニメ「テニスの王子様」「アイカツ!」、ゲーム「THE IDOLM@STER」「刀剣乱舞ONLINE」など、多彩なジャンルで唯一無二のメロディを提供する作曲家・小野貴光さん。音楽を仕事にすることのリアルを綴ったエッセイ『作曲という名の戦場』から一部抜粋でお届けします。
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僕の名前は小野貴光。職業は作曲家。
僕がこれまで世に出した作品は、主な音楽著作権管理団体に登録がある610曲(2025年9月現在)に加え、買い取りで提供した曲が100から150、合わせて約750曲ほど。アニメやゲーム音楽、アイドルやアーティストなど、さまざまなジャンルへの楽曲提供をしてきた。
アニメ「テニスの王子様」「アイカツ!」、ゲーム「刀剣乱舞」「アイドルマスター」シリーズ、アイドルグループAKB48やなにわ男子ほか、多数の声優や劇伴(劇中伴奏音楽)などを始めとして、僕の曲を知ってくれている人は少なくないだろうし、ファンだと公言してくれる方もたくさんいる。本当にありがとうございます。
ただ、僕がどんな姿形をしているか、どんな性格なのか、それは僕自身が知人と呼べる本当にわずかな人しか知らない。
最初はそんなつもりはなかった。自己顕示欲みたいなものは人並みにあったと思う。作曲家として有名になりたかったし、健全な男子だからモテたい欲だって普通にあった。ただ、自分で思うほど承認欲求が強くなかったのかもしれない。僕は気づいたら名前だけ一人歩きしている作曲家になっていた。
Twitter(現X)が登場した頃、僕は作曲家人生の入り口にいた。その頃は社会現象みたいに誰もが日常をつぶやいていて、長文でブログを書くのはハードルが高かった層も140字のお手軽な文章作成に時間を費やしていた。しかし多少なり時間を費やす、そこが僕にはネックだった。
「どうでもいい文章を書く暇があったら、メロディを書け」
それが僕が自分に課したこと。
コンペを勝ち抜かなければ、作曲家としての名声はもちろん、お金だって一円も得られないという厳しい世界に身を置いていたので、己に対する戒めの意味もあった。
そして、仕事が回るようになれば、今度は忙しくてSNSなどやっている暇がなくなった。この二十年の間にたくさんのプラットホームができて、一部はすぐに消えていったけど、幸か不幸か僕はアカウントを持つには至らなかった。
でも、結果的にはそれでよかったと思っている。SNSに振り回されている人をたくさん見てきたから。
そして今では、僕はどうやら謎の存在だ。

インターネット上では、僕じゃない誰かの写真が小野貴光として紹介されていたこともあるし、リリースが重なると「小野貴光とはブランド名で、複数人体制でやっている」といった怪情報が出回っていたこともあった。それはたぶん、僕の書く曲には「○○っぽさ」といった画一的なイメージがついていないからだと思う。
いろんな音楽を聴いて学んできたおかげで、僕の書く楽曲はジャンルを選ばないし振れ幅が大きい。小野貴光らしさをどこにも集約できないから、複数人で構成するユニットだと囁かれるのだ。僕自身はそんな怪情報を目にして少し面白がったりもしていたわけだけれど、ブランド名が「小野貴光」とは、どう考えても地味すぎるだろう。
長年、表舞台に立つことがなかったので、インタビューのオファーがあっても、せっかくここまで出てこなかったんだからという理由でお断りし続けた。一度だけ、断りきれずに「アイドルマスター」関連の取材を受けたことがあるが、これもあまり知られていないかもしれない。
業界内でも顔は知られておらず、制作の打ち上げなどに顔を出すと「こいつ、誰?」とでも言わんばかりに、まるで相手にされないといった事象がよく起こる。名刺を渡した途端、名前を見て「えっ?」と思わず相手が引く、というのももはや定番だ。つまり名刺を持参し忘れることがあれば、最後まで無視されることも覚悟しなければならない。
そんな僕が本を書くに至った理由について、少し説明しておきたい。
実は僕は、第一線で活躍している人は本なんて書いている暇がないと思っていた。活躍している人間は、常に忙しい。専門学校の講師に誘われたこともあったが、そんな時間がもったいないと思ったし、何より自分で独自に培った作曲のコツを他人に教えるなんてあり得ない、そう思っていた。本を出す作曲家は、仕事が減って暇になった人だろうと決めつけていたのだ。
事実、作曲家を目指す人に向けたどの本を読んでも、核心的な部分には触れられていなかった。それは僕が見ている世界とはずいぶん違って、読めば読むほどモヤモヤした気分になった。だから僕は思い立った。
よし、自分で本を書こう。
個人事務所を立ち上げて二十年。僕も五十歳を過ぎて、このあたりで一つ人生に読点みたいなものを打ち付けてもいいんじゃないかと思ったのだ。
とはいえ、誰かに自慢できるような成功譚なんかではない。これは、まるで出口の見えない真っ暗闇を、つまずいたり転んだり、時には血が流れるような大怪我もしながら、手探りでとぼとぼと歩き続けた一人の男の記録だ。
むしろ、これまで誰にも言えず、ひた隠しにしてきた恥ずかしい失敗談のオンパレードだけど、それでもこの業界を目指そうという人、作曲家になろうともがいている人に、ヒントやアイデアの欠片だけでも伝えられたらと思う。












