定年前に大学を退職、65歳で竹富島に八重山の伝統建築の家を建てて移住した三砂ちづるさん。毎朝、島で暮らす喜びとともに目覚めるという三砂さんは、どんな朝を過ごしているのでしょうか。島での暮らしを綴った『竹富島に移住して見つけた人生で大切なこと』から一部抜粋でお届けします。
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朝5時。少し前まですでに明るかった時間だが、8月半ばになる頃には、まだ暗い。前夜雨が降ったので、庭の白い砂はしっとりしている。西の方、西表島の方向は、まだ少し空がぴかぴかとしていて雷の様子、彼方は雨が降っているのだろう。東の空の低いところにオリオン座。グック(石垣)に3匹の小さな蛍の光。
まだ、蛍、いるんだな。蛍は皆様のイメージなさる「水のそば、とりわけ清流に生息する蛍」ではなく、石垣にいる蛍で、幼虫も光る。石垣で動いているのは幼虫らしい。空に星、石垣に蛍、美しい竹富の朝である。
玄関はなく、縁側から入る伝統家屋、広い縁側に一番座、二番座、と和室があり、二番座の続きの三番座にキッチンがあり、そこに続いてバスルーム、そして一番座二番座のちょうど裏にあたるところに、裏座があり、そこが私の寝室である。
裏座をこちらの言葉で「ヨー」という。この部屋の居心地が本当に良くて、毎朝、ここを出るのが名残惜しい。裏座には木の引き戸がついていて、そこを毎夜、閉めると、ああ、今日も一日が終わる、と思う。ここで私は休息する。裏座は狭いところでベッドが入らないので、三畳ほどの畳の小上がりにしていて、その上にマットレスを置いて寝ている。
このマットレスは友人が薦めてくれたもので、ニトリで買った。ソファになるマットレス、というもので、大変しっかりして、程良い硬さで大変寝心地が良い。友人は、何十万とするマットレスや布団のあれこれを試してきた人だが、結果としてこのニトリの、ダブルサイズでも2万円でお釣りが来るようなこのマットレスが一番良い、と結論づけていて、竹富で「畳に布団」生活になる私に薦めてくれたのである。昼間は三つに折って、ソファのようにすることができ、そこにカバーをかけておけば部屋によくフィットしている。
ちなみに、ニトリのマットレスは通販で買った。小さくきっちりと丸められたソファが離島である竹富島にまで届けられるのは、大したものである。ニトリは、離島に送る時は料金が10%プラスとなるし、そもそもの送料もそれなりにかかるのだが、それでもこのマットレスは素晴らしいと思えるもので、お家のお祝いにやってきた友人たちに紹介すると、みんな気に入って、次々と購入したようである。
私は2024年4月に引っ越したのだが、それに先立つこと半年ほど前、2023年11 月に石垣島にニトリが開店した。おお、これは私の引っ越しのために開店してくださったようなものではないか、と密かに喜んだ。開店当初は大変な人出だったようだが、この店舗は離島の石垣島にあるので、すべての商品が会計の時に10%の離島料金を増額されることになっている。それでは大きなものは通販で、小さなものはまとめて東京で買って宅配便で送るのと、変わらない値段になってしまう。
結局、石垣の店舗は使わず、通販で購入して送ったのだ。引っ越した後行ってみたら、あまり混んではいなかった。消費者心理として、レジで会計の時に、「はい、10%増しです」と言われるのは、文字通りの、「お値段以上」を要求されている気分になり、あんまり評判が良くないのではないか、と他人事ながら心配してしまう。
私の眠る部屋、ヨーには小上がりの下の部分にフットライトがついていて、薄暗い灯りが美しい。部屋の中に専用のトイレ(和式である)と小さな水場を作っているので、来客が一番座で寝ていても、この裏座の部屋の戸を閉めると朝まで出ていくこともなく、静かに過ごすことができる。カプセルのようなヨーで、守られてゆっくりと休息している。本当に幸せに寝られていて、感謝。
もともと早寝早起き好きで、いつでも早寝早起きしたかったのだが、そうはいかないことも多かった。子どもが幼い頃はそのまま一緒に早寝してしまったりしていたが、だんだん子どもたちが大きくなってくると、夜半まで付き合うことも多いし、介護があったり、仕事があったりすると、ついつい日にちが変わる頃まで起きていたりすることも多かった。
研究とか教育とかそれにプラスして執筆が私の仕事だったから、どれも、はい、今日の仕事はこれで終わり、と線を引くことがなかなか難しかったので、つい、夜になって仕事のことを考え始めて、遅くまで起きていたりしたのだ。要するに、人生のフェーズとして、早寝早起きしにくかった。そんなフェーズで、東京という大都会の片隅に住んでいたから、夜は明るく、いろいろなことが起こっていて、つい夜更かしするのである。
子どもたちも育って、父も義母も夫も看取って、給与をもらう仕事も辞めて、東京を離れて、事実上、初めての一人暮らしを島で始めた。大学の下宿や、青年海外協力隊の隊員生活や、留学生活などで一人の部屋にいたことはあったが、周囲には友人知人が同じような環境でいることが多かったから、あれを一人暮らしとは呼べない。ほとんどの時間を家族と一緒に暮らしてきたから、一軒の家に一人で住む、ということが、65歳になるまで、なかった。
竹富島で、新しく建てた伝統建築の家で、一人で住んでいるが、火の神様や床の間の神様においでいただき、家の四隅と天井にありがたいお札もいただいて、床下には炭が敷き詰められたこの家は、よく守られている感じがして、少しも怖いと思ったことがない。
そこでやりたかった早寝早起きの生活に入ることができていることが嬉しい。朝は4時台くらいに目覚める。ゆっくり時間をかけて、体の調整。「寝ゆる」と呼ばれる、寝てやる「ゆる体操」をやって、体を点検する。
痛いところ、気になるところ、こわばりはないか。一通りやってからころりとうつ伏せになって四つん這いで起きる。とにかく歳も歳だけど、歳だけではなく、ガバッと起きると腰に負担がかかるから四つん這いになってから起き上がるようにしている。
起きて、寝ていた時の湿気を取るべく、マットレスを立てて、ヨーを出る。少し外に出て星を見てから、まず、パソコンを開けて2000字書く。4月に引っ越して、ともあれの引っ越し片付けがいち段落ついた5月半ばから、毎朝起きてすぐ2000字書く、という生活を続けている。
書きたくない時、あまり筆の進まない時もあるけど、とにかく、2000字書くようにしている。書き上げると安心して一日が始められる。差し当たりはこの2000字を続けること、そしてできれば、これを少しずつ増やしたい。
書き上げたら、少し明るくなっている外で、掃除をする。前の道と、家の庭。こちら、雑草との格闘である。真夏になってくると、さすがに太陽が暑すぎて雑草の勢いもやや衰えたものの、まだまだ。5月、6月頃は雨が上がった次の朝の雑草の勢いたるや、すごかった。一日草取りをしないと、また山ほど生えている。
8月頃はフクギの黄色い実が山ほど毎日落ちるので、それをまとめる。食べることはできず、放っておくと、変な匂いがしてきて、つぶれると美しくない。とにかく毎朝拾ってまとめている。
家の庭も、家の前の道も、表面には白い砂が敷き詰められているので、落ち葉を集めて雑草を抜いて、白い砂が白い砂であるようにする。家の前の道は、他のお家の人たちがやっているように、竹箒で横に箒目をつける。

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竹富島に移住して見つけた人生で大切なこと

勤めていた大学を定年前に退職し竹富島に移住、赤瓦で平屋造りという伝統家屋の家を建て、65歳にして初めての一人暮らしを始めた三砂さん。人口330人、娯楽施設はもちろん、買い物ができる店もない「不便」な島。ですが、年間25もの祭事・行事がある島での暮らしは、つねに神様とともにあり、島の人たちとの深い人間関係にも守られています。伝統家屋の家に暮らすということ、祭り、食、人々との交わり……。島で暮らすことの喜びとともに目覚め、喜びのうちに眠りに就く、移住最初の1年を綴りました。写真多数。
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