「海ノ向こうコーヒー」で働く田才さんが今回訪れたのは、南太平洋に浮かぶ島国・フィジー。
サトウキビの香りが漂うこの国で、いま、新しい挑戦が始まろうとしています。
そこには産業の枠を超え、人と土地がつながりながら育てていく、フィジーならではの“コーヒーの未来”がありました。
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「フィジー」という国の名前を聞いて、どんな風景を思い浮かべるだろう。
エメラルドブルーの海、椰子の木の下で笑う人々、南国のリゾート。おそらく多くの人にとって、「コーヒーが育つ島」というイメージはないはずだ。
フィジーは南太平洋に浮かぶ、人口およそ90万人の小さな国。主要産業は観光業と農業だ。この国の農業の柱はサトウキビで、広大な平地一面にサトウキビ畑が広がり、ほのかに甘い香りが風に乗って漂う。
しかし、気候変動による降雨量の不安定化や土壌肥沃度の低下、そして若者の都市や国外への流出が重なり、サトウキビ産業はゆっくりと縮小の道をたどっている。
そうしたなかで、フィジー政府はサトウキビの代わりとなる農産品に力を入れようとしている。新しい可能性として注目されはじめたのが、スペシャルティコーヒーだ。

コーヒーの主要な種は、大きく分けてふたつある。ひとつは「アラビカ(Coffea arabica)」、もうひとつは「ロブスタ(Coffea canephora)」という。
世界のコーヒー生産の約4割を占めるのがロブスタ種。病害虫や気候への耐性が強く、標高の低い熱帯地域でもよく育つ。カフェイン含有量が多く、味わいは力強く苦みが際立つ。ブレンドやインスタントコーヒーなどに使われることが多く、アラビカに比べ人気も知名度も低く扱われがちだが、アラビカにはない“野生の深み”を秘めており、近年はそのポテンシャルを見直す動きも出てきている。
そして、残りの約6割がアラビカ種だ。病害虫に弱く栽培に手間のかかる種だが、品質が高いとされており、スペシャルティコーヒーの中心を担っている。有名な場所でいえば、エチオピアや中南米の高地のような、標高1,000メートル以上の冷涼な環境を好む。
これが、コーヒー産業に関わる人たちが認識している、教科書的な解説だ。しかしこの国で、そんな常識は覆される。
なんと海抜わずか2メートルの場所に、アラビカ種のコーヒーが植えられているではないか。コーヒー農園にいるというのに、波の音が近くで響き、磯の香りも漂う。「海の見えるコーヒー農園」。そんな言葉がぴったりの場所は、世界でもそう多くはないだろう。


「海の見えるコーヒー農園」と出会った後、そこから内陸へ入り、標高300~400メートルほどに位置する、コーヒー生産に取り組む小さな村を訪ねた。村の農園を訪れる前に、農家さんの家に案内される。
庭先に置かれた大きな木鉢には、濁った茶色の液体。「カヴァ」といって、フィジーやトンガ、バヌアツなど南太平洋の島々で古くから飲まれている伝統的な飲み物だ。原料はヤンゴーナという植物の根で、それを乾燥させ、砕いて水で溶いたものを木鉢に入れて作る。悪く言うつもりはないのだが、見た目は完全に泥水だ。

カヴァは単なる飲み物ではなく、人と人、人と土地をつなぐ「儀式」の意味を持つ。村を訪れる客を迎えるときや、話し合いの前、祝いの席などで振る舞われる。その一連の流れを通して、訪問者は“村の一員”として迎え入れられるのだそうだ。
家主が静かに「Bula vinaka(ようこそ)」と声をかけると、周りの人々が拍手のように両手を打ち鳴らす。その拍手を合図に、ココナッツの殻でできた器を受け取り、一気にカヴァを口へ含む。舌の先が少し痺れ、土のような香りが広がる。見た目に反して、味は悪くない。なんとなく、この土地と自分が“つながった”ような感覚を覚える。
儀式が終わると、農園までの道を案内してもらうことになった。アラビカの木もロブスタの木も一緒に、森のなかに雑多に植えられている。聞けば、誰がいつ植えたのかも定かではないらしい。
「この木はね、神様が植えてくださったんだよ」
農家の男性は、静かにそう言った。長い年月をかけて受け継がれ、今も実をつけつづけているというコーヒーの木々には、土地の記憶が宿っているように感じた。

とはいえ、フィジーにおける産業としてのコーヒー栽培は、まだ始まったばかりだ。品質管理や精製技術、マーケティングなど、やるべきことは山のようにある。
もちろん、アフリカや中南米などの有名な産地から、美味しいコーヒーを日本に届けることも大切な仕事だ。でも、ゼロから一緒に産業を育てて、まだ誰も飲んだことのないコーヒーを日本に届ける、未来の“味”をつくるのも、僕たちの大事なミッション。このプロセスに関われることがこの仕事の何よりの魅力で、この仕事に僕が惹かれる理由だと思う。
これから「海ノ向こうコーヒー」は、フィジーのコーヒーを日本に届けるプロジェクトを始めようとしている。いつか日本のカフェで、「これ、フィジーのコーヒーなんだ」と、お客さんがつぶやく日が来たら。その一杯の向こうに広がる青い海と、フィジーの人々の陽気な笑顔を思い浮かべて味わってもらえたら。
そんな未来を描きながら、南の島の農園を歩いている。
幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ

──元・国連職員、コーヒーハンターになる。
国連でキャリアを築いてきた田才諒哉さんが選んだ、まさかの“転職先”は……コーヒーの世界!?
人生のドリップをぐいっと切り替え、発展途上国の生産者たちとともに、“幻のコーヒー豆”を求めて世界を巡ります。
知ってるようで知らない、コーヒーの裏側。
そして、その奥にある人と土地の物語。国際協力の現実。
新連載『幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ』、いざ出発です。










