
AIより恐ろしい動物たちの逆襲
クマが怖くてたまらない。
2025年10月現在、クマに襲われて亡くなった人の数は全国で7人に上り、怪我を含めた人的被害は100人を超え、過去最悪となっているらしい。とくに秋は、冬眠に備えてクマが餌を求めて活性化する時期でもあり、冬眠に失敗したクマは「穴持たず」と呼ばれ、狂暴化するとも言われている。
北海道のヒグマのオスは、立ち上がると3メートルになるものもおり、襲われたらひとたまりもない。本州に生息するツキノワグマは大型犬サイズと言われるが、力は強く、宮城県、秋田県、長野県で死亡する被害が起きており油断はできない。クマを前に、人類はなんと無力なことか。
一方、AIの世界も目まぐるしい速度で進化を遂げている。
アメリカの発明家で未来学者のレイ・カーツワイルは、2045年ごろには人工知能が人間の知性を超え、制御できない速度で進化しはじめる転換点「シンギュラリティ」が訪れると予測。また、チャットGPTを開発したOpenAIのCEOサム・アルトマンは、「自分だったら、機密情報や個人情報はAIに入力しない。なぜなら、それがどう使われるか完全にはコントロールできないからだ」と語り、すでにシンギュラリティが始まっていることを示唆している。
だが、そんな時代においてさえ、クマが人里に降りてくることを制御できないし、山口県や茨城県で増え続ける野犬の数を制御できないし、千葉の房総半島で大繁殖するキョンの数も制御できないのだ。
たとえ、AIが人間の代わりに世界をリードする時代が来たとしても、我々は目の前にいるゴキブリ一匹に大騒ぎしていることだろう。
人間が真に恐れているのは、AIよりも人間に刃向かう動物たちなのだ。
2023年、北海道で65頭の牛を殺害した伝説のクマ、コードネーム「OSO18」が、熊肉として出荷された際、その肉を仕入れた都心の飲食店には行列ができたという。人間のDNAには、敵を「喰ってやる」ことで、自分たちが上位であることを見せつけたいという本能が刻み込まれているのだろう。
こうして人間は、地球の頂点に立ち続ける。アメリカ合衆国が覇権国の座を絶対に譲らないように、人類もまた、ほかの動物たちに主導権を譲りはしない。そのためなら、どんな手段でも使うのだ。
当連載の編集者氏によると、都心でカラスが激減しているという。曰く、「昔は、よくカラスが巣をつくっていたし、会社に来たお客さんの頭を突いたりしていた」とのこと。
私はカラスの増減についてはあまり意識していなかったが、都心の会社に長年勤めている編集者が体感しているくらいだから、そうとうな数が減っているのだろう。
朝日新聞の記事によると、20年前のピーク時に比べ、カラスは70%まで減っているらしい。その理由は、2001年の石原慎太郎都知事時代に、東京都が「カラス対策プロジェクトチーム」を立ち上げ、本格的にカラスの駆除を始めたからだとか。
それが本当なら、石原慎太郎は一体カラスに何をしたのだろう。70%の命を消滅させる方法があるかと思うと、想像しただけで震え上がる。
一方、近年はネズミが急増し、社会問題となっている。私もコロナ禍あたりから、繁華街の路地裏を2~3匹で追いかけっこするネズミや、道路を素早く横断するネズミを頻繁に見かけるようになった。かつては、ネズミなどそうそう滅多に見なかったので、100倍ほどに増えているのではないか。
このネズミの増加は、地球温暖化による気候変動が原因などと言われているらしいが本当だろうか? カラスは生ごみを漁るだけでなく、ネズミも食べていたというから、カラスが減ったことも一因なのではないかと疑ってしまう。
また都市部では、「地域猫活動」もある。ノラ猫を捕獲し、不妊・去勢手術を行って、もといた場所に戻す。その際、手術を受けた猫の証として、片耳がさくら型にカットされる。「さくらカットは、愛され猫のしるし」というキャッチコピーのポスターを見たことがあるが、愛され猫=去勢された猫であることを考えれば、猫たちが本当に「愛」を感じられているかは疑わしい。
また、飼い主を探して受け渡す保護猫譲渡会も頻繁に行われている。ノラ猫は、一部の悪党によって蹴飛ばされたり、殺されるなどしているのは事実だが、「猫は誰かに飼ってもらってこそ幸せ」というのも人間側の視点に過ぎない。こうしてノラ猫たちは次々に室内へ放り込まれ、街から猫は減っていく。
ネズミ急増の背景には、ノラ猫の減少も関係している気がしてならない。
このように、人喰い動物、迷惑な動物、かわいそうな動物たちは次々と減らされ、命をコントロールされていく。だが、そんな人間たちの思惑をよそに、動物たちは日々知能をアップさせているようだ。
南デンマーク大学の研究チームが2024年に発表した論文によると、バルト海で孤立したオスのバンドウイルカが、何年にもわたり「独り言」をつぶやき続けているという。
その発声を分析したところ、孤独なイルカによる感情の発露であり、自分自身に語りかけている可能性が高いことがわかったとか。人間も孤独感が強いと、難しい本を読んだり、ポエムを書き始めたりするものだが、イルカとて同様なのだ。絶望すると、表現行為をはじめるのである。
また2014年には、インドネシアのスラバヤ動物園で1歳半のオスライオン「マイケル」が首を吊って自殺している。正確には、自殺と事故の両面で捜査されたが、真相は不明のままだ。
画像検索すると、首を吊った状態のライオンの姿を確認することができるが、脚が宙に浮き、首だけがワイヤーに収まっている姿は、まさに自殺そのもの。人間が意図的に工作しようにも、ライオンが数頭いる檻のなかで、首根っこを捕まえて宙吊りにするなど、とてもできることではない。
本当にライオンによる自殺なのだとしたら、過酷な飼育環境を苦にしてのことだろうか。もはや孤独と絶望は、人間の専売特許ですらないということだ。
東京都中野区は、「生類憐みの令」で知られる徳川家5代将軍、綱吉により、現在の中野区役所あたりを中心として、犬屋敷があった場所でもある。現在、駅前で大規模な再開発が進められているが、私はひそかに、地下を掘ったら徳川埋蔵犬が出てくるのではと思っている。優れた血統を持つ犬の骨がザクザク見つかったら、DNAから復元して高値で取引されるのではないか。
そんな中野も今では外国人観光客が増え、商店街には近距離に2軒ものペットショップが並んでいる。お犬様が知ったら、さぞショックだろう。
もっとも、いくら「生類憐みの令」といったって、犬の保護活動に過ぎない。今も昔も、人間にとって犬は保護すべき弱者なのだ。本気を出せば犬は人間より強いはずだが、あえて「お前は弱い」と教え続けることで、牙を抜いているのである。
それはつまり、動物に対する恐れの裏返しだ。
もしも、動物たちが人間の知性を超える日が来てしまったら、人類はシンギュラリティどころの騒ぎではないだろう。
AIも、人間に宣戦布告するなら、一度はクマに食べられたほうがいいように思う。
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写真家・ノンフィクション作家のインベカヲリ★さんの新連載『それが、人間』がスタートします。大小様々なニュースや身近な出来事、現象から、「なぜ」を考察。