
よく犬派か猫派かという比較的平和な論争があるが、僕は断然、犬派だ。
犬が好きで、猫が最近まで苦手だった。
これは、実家で犬を飼っていた事と、
「夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってた事件」が起きた事が大きな要因に他ならない。
この事件について詳しく話すと、夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってたのである。
これは衝撃だった。
当時、僕は小学4年生で猫が虫を食べる事も知らなかった。
猫といえばお魚さんを食べるんだろうなと思っていた。そんな中で、夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってたのである。
それを見てびっくりしている僕に
「あんた何見てんの? 猫? 早よ行くで」
と一つ上の姉が言った。
姉は一つ上の小学5年生だったにもかかわらず、夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってた事に驚かなかったのだ。
僕はそれまでの猫というと、可愛くてどこか上品なイメージを持っていたので、夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってた事にショックを隠せなかった。
想像してもらいたい。
皆さんの年齢、大体20代以上の方なら、夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってたのを見ても何も思わないかもしれない。
ただ、小学生からしてあの可愛い猫が、あのキティちゃんや魔女の宅急便のジジ等、国民的に可愛いキャラクターとしても定着しているあの猫が、夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってたのである。
当時、セミは7日間しか生きないと聞いたことがあった。
子供ながらに「短い」「儚い(はかない)」といった印象を持ち、1週間で死ぬってどんな感覚なんだろうとかぼんやりと考えた事もあっただろう。
そんな中でいきなり、夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってたのである。
ダイエーというスーパーは、僕が後に通う中学校の近くにあった。
中学生の僕はスーパー自体にはあまり行く事は無かったが、そのスーパーの隣にCDショップがあり、学校帰りにミスチルのアルバムを買ったりした。その時にスーパーの前を通ると、夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってた事を思い出した。
そのダイエーというスーパーも今はもう無いらしく、分譲マンションが建っているらしい。あの夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってた頃はこのスーパーが無くなるなんて思いもしなかった。
2003年、ペナントレースでダイエーホークスが優勝した時はセールのチラシがポストに入っていたので、次の日におかんと行った事を覚えている。
その時に万引きをしている中学校の友達を見かけた。
注意はしなかった。
そんなに主人公気質では無かった。
むしろバレたらおもろいのにな。と店員さんに念力をかけたりした。
そういえば『サザエさん』のオープニング曲の冒頭
お魚くわえたドラ猫
も万引きのような物だと思う。
おそらく海や川からというより魚屋さんから猫がくすねてきた物のように思う。あの曲のイメージもあり、猫は魚を食べるイメージだったのだろう。それなのに、夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってたから驚いたのだ。
犬は人懐っこい。
飼い主を助ける動画とか見ると感動する。
猫はどちらかというと無関心で、猫好きにはそこが好きって人も多い。
僕はどちらかというと懐かれたい。
犬や猫だけじゃなく、人にもそうだ。懐かれたい。仲良くなりたい。
一度旅行先で野良猫に、異常に懐かれた事がある。
スーっと僕の足元まで来て、僕の足を枕にして寝転んだのだ。その時は一瞬猫派に揺らいだが、やはり昔の夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってた事が脳裏をよぎった。
想像してもらいたい。
夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってたという事は、
夜におかんの買い物について行くと猫がダイエー(スーパーマーケット)の前でセミを食ってたという事である。
だから僕は、
犬派なのだ。
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クロスロード凡説

「ネタにはしてこなかった。でも、なぜか心に引っかかっていた。」
そんな出来事を、リアルとフィクションの間で、書き起こす。
始まりはリアル、着地はフィクションの新感覚エッセイ。
“日常のひっかかり”から、縦横無尽にフィクションがクロスしていく。
「コント」や「漫才」では収まらない深掘りと、妄想・言い訳・勝手な解釈が加わった「凡」説は、二転三転の末、伝説のストーリーへ……!?