
「海ノ向こうコーヒー」で働く田才さんが今回訪れたのは、ラオス南部・ボラベン高原。
かつてフランス植民地時代に持ち込まれたアラビカ種が、今も豊かな香りを放つコーヒーの名産地です。
そこには、産業としてだけでなく、暮らしの中に息づく“コーヒーの文化”がありました。
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前回の記事では、ラオス北部ルアンパバーン県で僕たちが国連世界食糧計画(WFP)と共に実施している「COFFEE-JAPANプロジェクト」について紹介した。現地パートナーのサフロンコーヒーと、森のなかで農作物を育てるアグロフォレストリーによるコーヒー栽培や精製の技術を村々に伝え、農家がコーヒーによって生計を立てられるようにしていこうという取り組みだ。
今回は、所変わってラオス南部の話をしようと思う。
ラオス南部にあるボラベン高原は、同国を代表するコーヒー産地として広く知られている。フランス植民地時代に持ち込まれたアラビカ種が、この標高1,000~1,300メートルの高原地帯で根付き、火山灰土壌や昼夜の寒暖差といった恵まれた条件に支えられて発展してきた。20世紀半ばには、ベトナム戦争による戦乱や、病害による停滞も経験したが、90年代以降、国際協力や民間企業の参入によって、徐々に生産量と品質を回復。いまではアラビカの主要な輸出産地として、ラオスコーヒーの顔となっている。
ボラベン高原で車を走らせれば、両側には一面のコーヒー畑。北部では森のなかでコーヒーを育てるアグロフォレストリーが主流であるのに対し、南部ではコーヒーだけを単一で育てるようなプランテーションもたくさん見かける。だが、村を訪れてみると、そうした「産業」にとどまらず、暮らしの中にコーヒー栽培の歴史が溶け込んでいることを実感する。
村の人たちは自分たちで手回しの器具を使いながら生豆を焙煎し、ハリオのドリッパーを使って手際よくハンドドリップをしていた。ケメックスのサーバーにたっぷりとコーヒーを淹れ、みんなで囲んで世間話をしながら過ごす光景は、どこか日本の茶の間を思わせるようなあたたかさがある。

これまで世界各地のコーヒー生産地を訪れてきたが、日常的に飲まれているのはインスタントコーヒーということがほとんどだった。それだけに、「産地で暮らす人が自らハンドドリップで楽しむ」姿はとても新鮮で、コーヒーが単に稼ぎを得るための手段ではなく、暮らしに欠かせないものとなっている様子がうかがえた。

こんなふうに、ボラベン高原ではコーヒーが根付いているが、北部ルアンパバーンでは状況が異なる。山岳地帯の気候はアラビカ栽培に適しているものの、生産や加工の体制は十分に整っておらず、村に行けばやはりインスタントコーヒーが主流だ。
けれども、それが味気ないわけでは決してない。朝もやに包まれた荘厳な山々を眺めながら飲むインスタントコーヒーは、思いがけず豊かな味わいを感じさせてくれる。土地土地の空気や時間を、その一杯がまとっているのだ。僕にとっては、そんな環境で飲むインスタントコーヒーも至高の一杯だ。

北部と南部。同じラオスでも、コーヒーの文化の広がりは大きく異なる。ボラベン高原の地域一帯で暮らしに根付いているコーヒーと、ルアンパバーンの自然の中で味わう一杯のインスタントコーヒー。そのコントラストからは、コーヒーが、その土地の歴史や自然を通して多様なすがた、味わいをもつことを、改めて教えられたような気がする。
幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ

──元・国連職員、コーヒーハンターになる。
国連でキャリアを築いてきた田才諒哉さんが選んだ、まさかの“転職先”は……コーヒーの世界!?
人生のドリップをぐいっと切り替え、発展途上国の生産者たちとともに、“幻のコーヒー豆”を求めて世界を巡ります。
知ってるようで知らない、コーヒーの裏側。
そして、その奥にある人と土地の物語。国際協力の現実。
新連載『幻のコーヒー豆を探して海ノ向こうへ』、いざ出発です。