
「陸上青春小説の新たな名作が誕生した!」と、声が上がっている小説『そして少女は加速する』は、4継(4×100mリレー)でインターハイ出場を目指す、高幡高校女子陸上部の5人の物語。
世界陸上よりずっと遠い場所かもしれない。でも、陸上に青春の全てをかける若い選手たちがいる!
――今年から女子陸上部の部長になった咲は、悩みがいっぱい。
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水無瀬咲(2年)
学年別の大会が終わると、〈南関〉(=インターハイ南関東大会)が目前に迫ってきた。全国高校総体、すなわちインターハイの予選となるのが南関東大会、すなわち〈南関〉である。高校生なら一度は出場してみたいインターハイ。幡高女子リレーメンバーにとって〈南関〉は1年で最も重要な大会だ。
陸上短距離の試合は春から秋にかけていくつも行なわれるが、それらの大会はすべて、インターハイのための練習試合のようなものと咲は思っている。
今年、高幡高校陸上部の女子からは、柚月先輩が100mと200m、紗良(さら)が走り幅跳び、そして4継(4×100mリレー)が、都大会を勝ち抜け〈南関〉に駒を進めていた。
直前の練習日、グラウンドの砂場脇に、補欠の紗良も含めたリレーメンバー5人が集められ、死んでも全国に行くようにと棚橋先生に発破をかけられた。
死んでも、って大袈裟すぎ、パワハラじゃないの、と思ったが、メンバーの間に悲壮な雰囲気は漂っていない。
なぜなら、今年は行けそうだ、と誰もが思っていたから。
高幡高校はかつてはリレーの全国常連校だったが、ここ数年、インターハイに個人で出場する選手はいても、リレーでは出場できていない。それが今年、久々に女子の4継で行ける可能性が出てきた。
去年、柚月先輩が11秒台の幡高新記録を出して、それ以降も好調を維持し、そこに12秒台前半のイブリンと自分が入部して、さらに今年はあかねを獲得した。
自分で言うのもなんだが、間違いなく幡高女子史上、最強のメンバーが揃っている。それだけに棚橋先生の期待は、同じく〈南関〉に出場を決めている男子マイル以上に大きかった。男子マイルは栗田くんが引っ張っているが、実力あるメンバーが揃わず、全国は厳しいという評価だ。
「お前たちなら桐山にも勝てるとおれは思っている。表彰台を狙っていけ」と棚橋先生は言う。
全国常連校の桐山に勝てるって、よりにもよって大きく出たな。
それでも、全国大会出場の条件である6位以内は、まずいけるんじゃないかと自分も考えている。表彰台はさすがに厳しいだろうけれど。第三支部の桐山だけでなく、千葉の千葉育青と神奈川の翔善高校も段違いに速い。どこも11秒台がふたりずついる。千葉育青は3人かもしれない。たしか千葉育青と桐山は、リレーで45秒台を出していたはずだ。
うちの目標タイムは46秒30。
桐山にも勝てる、はかなり無理がある。
そんなわけで先生の思惑とは別に、自分たちメンバーの間では4位を目標にしていた。
棚橋先生は、今じゃすっかり太ったおじさんだが、30年ぐらい前は短距離の選手で、国体にも出たそうだ。そのせいか昭和のスポーツ界のパワハラ体質が染みついている。かつて高幡高校の黄金時代を率い、名顧問と言われていたらしいが、その頃は今よりもっと厳しかったという話だ。今でもときどき怒鳴ってるけど、昔は毎日誰かを泣かせてたと聞く。女子だけでなく男子もだ。数年前まで、陸部では毎週土曜は300m×10本のレペテーション(全力疾走と短い休息をくりかえす練習法)が当たり前だったそうで、自分がそんなときにいなくてほんとによかった。
陸部の体質が変わったのは、聞くところによれば、6~7年ほど前のことで、野球部で自殺未遂だか何かがあり、それ以来、体育会系の顧問の先生たちの厳しい指導が、だいぶ鳴りを潜めたとか。
そのためか、あかねの髪のことも、先生は内心快くは思っていないようだけど、なんとなくあきらめている感じがあり、そういった競技以外の指導は、もっぱら柚月先輩に任せているようだった。
あかねの度胸は、1年生ながらたいしたものだ。イブリンなどはいつも先生の目を気にしてビビってて、毎日のように胃が痛いとか言っているのに。
だがそれを言うなら、柚月先輩のほうが上手(うわて)かもしれない。先生の目はごまかせても、柚月先輩の目はごまかせないからだ。先生と口論することもあるぐらいの強烈な性格で、先生より先輩のほうが怖いと思うこともある。
300mのレペテーションも、見ているだけの先生と違って、先輩自身が先頭を切って走っているのだから、部員は陰口もたたけない。逆に言えば、それだけ頼もしい先輩でもあるわけだが。
昨年、新型コロナの影響でインターハイが中止になり、柚月先輩は狙っていた全国に行くことができず、人知れず泣いていた。あれはかわいそうだった。
だから3年の今年は絶対行ってほしい。たぶん100は間違いなく行けるだろうし、リレーも可能性が高い。
「あんたら誰も怪我しないでよね」
先生のめんどくさい激励が終わって解散したあと、部室で、補欠メンバーの福永紗良が珍しく真剣な顔で釘をさしてきた。「あたしリレーなんて出たくないんだから。なんであたしが補欠なのさ。百々羽も風香も入ってきたのに」
紗良は自分やイブリンと同じ2年生で、走り幅跳びが専門の跳躍選手だが、短距離も12秒台後半で走る。まあ、そのぐらいで走れないと、跳躍でも活躍はできない。
「みんな順調だから大丈夫でしょ。あかね以外の1年は、大舞台の経験がないんだよ。今回は使いたくないって先生も言ってた」
「今回、先生めっちゃ気合い入ってません?」
イブリンが重責に潰されそうとでも言うようにうめく。
「久々のチャンスだからね、全国」
「うーん……プレッシャー」
「いつもと同じに走ればいいんだよ」柚月先輩が軽く言う。
「先輩は、どうしてそんなに緊張しないんですか?」
「してるよ、あたしだって。そんな何も考えてないみたいに言うな」
「してるように見えない」
思わず、ツッコんでしまった。紗良が笑う。
「あかね、柚月先輩を見習っとけ」
言われて、隅っこで着替えていたあかねが「はい」と無表情で答えた。
ひとりだけ頑として髪を切らないあかねは、早くも部内で少し浮いていた。同じ1年生の風香やナオとは打ち解けてしゃべっているようだが、柚月先輩はもちろん、2年の自分やイブリンにも滅多に話しかけてこないし、同じ1年の百々羽とも、なんとなくすれ違っているのが見てとれる。
リレーはチーム競技であり、メンバー同士の信頼感は大切だ。
走るときはひとりで走るわけだから関係ないようにも思えるが、そんなことはない。他のメンバーのためを思って走ることで、走りにも力がこもるし、バトンの呼吸が合うかどうかは勝敗を左右する。その意味で今回のリレーチームは、前半のふたり――あかねと柚月先輩――がうまく嚙み合うかどうかにかかっている。
あかねは、棚橋先生の昭和っぽい指導スタイルを嫌っていた。その気持ちは自分にもわかるし、イブリンも同じように苦手と公言している。今どきの高校生ならみんなそんなもんだと思うが、柚月先輩はそうは考えていない。
先輩の精神力の強さは、尋常ではない。まさに棚橋先生の思想を体現したような化け物だ。
イブリンと「あんなふうになれないよね」と以前話したことがある。300のレぺをすべてトップで走り切りながら、その合間にみんなを鼓舞し、少しでも休憩を引き延ばそうとする後輩たちの懇願に一切耳を貸すことなく、率先して走り出す非情な姿勢。本人もバテているだろうに、なぜそこまでできるのか。
「それができるからこそ、11秒台が出せるんだよ」
とイブリンは言うが、その理屈が正しければ、自分たちが11秒台を出せる日は来ないだろう。
「そんであんたは全国行けそうなの?」柚月先輩が紗良を詰める。
「全国どころか世界行きますよ、あたしは」
相変わらず調子のいい紗良だ。
「ベストいくつだっけ」
「5m64」
「ほど遠いな。で、〈南関〉はどんだけ跳べばいいの」
「5m80? 90?」
「跳べよ。いけるだろ」
「今季のベストは、5m47でーす。遠っ! あはは」
紗良は笑ってごまかす。そのひょうきんさにいつも救われる。
泣いても笑っても〈南関〉まであと10日だ。あと10日でインターハイに行けるかどうかが決まる。
6位以内に入り、全国を決めた瞬間の歓喜を想像すると、体の中から熱い何かが湧き上がってくるようだった。
(つづく)
そして少女は加速する

コンマ1秒で悪夢に陥る、バトンミス。
それは、あまりに儚く、あまりに永い、「一瞬」――。
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高幡高校陸上部の4継(4×100mリレー)の女子リレーチームは、痛恨のバトンミスによりインターハイ出場を逃していた。
傷の癒えぬまま、それでも次の年に向け新メンバーで再始動する。
部長としての力不足に悩む水無瀬咲(2年)、
チーム最速だが、気持ちの弱さに苦しむ横澤イブリン(2年)、
自分を変えるために、高校から陸上を始めた春谷風香(1年)、
なんとしてもリレーメンバーになって全国に行きたい樺山百々羽(1年)、
部のルールに従わず、孤独に11秒台を目指す手平あかね(1年)。
そして、ライバルや仲間たち。
わずか40秒あまりの闘いのために、少女たちは苦悩し、駆ける――!
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100分の1秒が勝敗を分ける短距離競技は、天国も地獄も紙一重だ。
個人競技でありチーム競技でもあるリレーの魅力を、とことんまで描いた!
悔しさも、涙も、喜びも、ときめきも全部乗せ!のド直球な青春陸上物語。