
大竹まことさんによるエッセイも、今回が10回目。今回は、話題の映画『国宝』についてです。映画をご覧になった方は、大竹さんが胸打たれたポイントに共感すること間違いなしです。
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私がやっている仕事に、月~金のラジオがある。
毎週、月曜日の出演者は、評論家の古谷経衡であり、いろんな話題を提供してくれる。
この日の話題は映画『国宝』の話であった。
彼はよほど感動したらしく、この映画を大絶賛した。
ここまでの話題なら、私も当然観なければと、重い腰を上げざるをえない。年寄りでただでさえ動きが鈍い。しかも映画は3時間を超える。
劇場は、この時季でも、まだ混んでいてチケット予約も容易ではない。
私は、初めて携帯にバーコードを入力し、劇場に向かった。
バーコードを機械のどの場所に当てたらよいのか迷っていると、係の若者が来て、やさしく教えてくれた。
「ラジオで古谷さんが話していたから、絶対来ると思っていました」
そうか、若い人でもラジオを聞いてくれているのか。
映画は満席近く入っており、私の席は「Hの1」——つまり画面に向かって左の端、前から8番目であり、ドアが近くトイレにも行きやすい。
ブザーが鳴り、劇場が暗くなる。私の一番好きな時間である。
何が始まるのか客観(私を含む)が息をととのえる。
セットなのか、ロケなのか、映画は大きな料亭から始まった。
映画を観ていて、私は変な所、いや変ではないのだが、妙な所が気にかかった。
それは花井半二郎(渡辺謙)が若き役、二人の女形に稽古を付けるシーンである。
「死ぬる覚悟が……」の台詞や仕草に違うとダメ出しをするのだ。何度も何度も言い回しや仕草に注文をつける。
「死ぬる覚悟が……」その抑揚が違うという。それは歌舞伎本来がもつ台詞術であるのだが、胸にせまってこないと怒鳴る。つまり本気の声が仕草が聞きたいというのである。
もっと胸にせまる言葉心をゆさぶる言葉、それは何だろう。
どうやら、その言葉に真の思いを乗せる。真の思いとは何だ。
もっとリアルに演じろと叱責しているのだ。
「もっとリアルに……」
二人の女形は懸命に役に入ろうとする。
師は二人にリアルを求めていたのだ。
歌舞伎は伝統であり、その話芸は形式を重じる様式美だと勘違いしていた。
私は、まずその事に驚く。
昔からの形、見得を切ったり、六方を踏んだり、それらの大元はリアルだったのだ。
いかにリアルに演じるか。
女のいない世界、若い二人の男が演じるのはリアルな女形なのだ。
400年以上の歴史が築きあげてきたのは、観客の胸にせまるリアルの追求であったのか。
その歌舞伎の世界の頂点に立つ人間国宝、当代一の女形、小野川万菊を演じるのは田中泯だ。
田中泯は年を取ってから俳優の仕事が舞い込んでくる。稀有な役者である。
76才、元々彼は舞踊家。40歳のとき山梨県に住み、畑仕事によって自らの体を作り、その身体で踊ることを決めた男である。
私はこの男を2022年公開の映画『名付けようのない踊り』(犬童一心監督)で知ることになる。
ポルトガルの街角の階段。石に這いつくばって踊っている彼の姿を観た。
踊っているのか、いや動いているのか、いや生きているのか、もうしばらく、彼は動こうともしない。
アバンギャルド、いやこの言葉では収まりそうにない、何か。ポルトガルのせまい階段、道行く人々も、彼の動きを訝りながら立ち止まっている。名付けようのない踊り。
しかも、そこは、ただの石の階段である。
いつ踊り始めたのか、それはもう終わってしまったのか、誰にも理解できない。
彼がたどりついた場所は、いや、彼にその自覚があるのかさえ定かではない。
農仕事で鍛え抜かれた肉体、彼は何を見ているのか。
観客は、いや、ただの通りすがりの町の人々は呆然と見つめるだけである。次に何が起きるのか、いつ終わるのか。
そんな彼が、この映画では白塗りで紅をさして妖しく踊る。
前衛の先っぽにいた男が、伝統の歌舞伎・頂点の女形を演じている。
彼がこれまで演じてきたもの、追求してきたものは何か。
名付けようのない踊りは、田中泯が追い求めていたもの、それはリアルであったかもしれない。
一方、歌舞伎の世界でも、血の出るような稽古はリアルに向かっていたのか。
私は「シティボーイズ」(三人組)で長い間コントを演じてきた。
そのコントの一つに、「灰色の男」がある。団地にある日、一人の男が引っ越してくる。その男の過去を巡って怪しいといううわさが立つ。殺人を過去に犯した男ではないのかと、町内会から派遣された中年のオヤジ(私ときたろう)は、その真意を確かめるべく、マンションを訪ねる。男はやさしさに包まれており、私たちは、疑いが晴れて安堵したりしているのだが、その男(斉木しげる)がテーブルに置かれた、ハミガキ粉とハブラシのレジ袋を邪魔だとばかりに台所に投げつける。
私ときたろうは、その場に凍りつく。
私たちのしてきた事も、その笑いにいかにリアリティを持たせるかであったことを思い出す。
考えてみれば、お笑いさえ荒唐無稽ではないのだ。
もう一つ、ラジオの番組で『ベートーヴェン捏造』で主役のベートーベンを演じた古田新太が宣伝にやってきた。
ベートーベンやシューベルト、全員が日本人の役者だ。
古田新太は、昔、私たちが東京でサブカルの世界で注目を集めていた頃、関西で人気を集めていた劇団☆新幹線の中心的存在であった。
実はこの映画のDVDを、『国宝』を観る3日前に私は見ている。
圧巻は、画面の中で古田新太演じるベートーベンが第九の指揮を真顔で演じている。段々古田新太がベートーベンに見えてくる。無理な所がメチャクチャおかしい。
彼の真顔がこの映画の肝かもしれない。
映画『国宝』は見どころの多い映画である。
この映画の脇を固める一人に三浦貴大がいる。
役名は竹野で、歌舞伎の興行を手がける三友の社員である。
三浦貴大は、山口百恵(三浦友和)の息子である。もう40才になっていた。なぜだか私は彼の演技に惹かれた。
冷たさか優しさかわからない。切なさが脇でキラリとこの映画をしめている。
筆が走るままに勝手な事をかいた。
感想は人それぞれである。多分、私と同じ多くの素人があちこちで、この『国宝』を話題にしている。
それが映画で、映画はみんなのものである。
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ジジイの細道

「大竹まこと ゴールデンラジオ!」が長寿番組になるなど、今なおテレビ、ラジオで活躍を続ける大竹まことさん。75歳となった今、何を感じながら、どう日々を生きているのか——等身大の“老い”をつづった、完全書き下ろしの連載エッセイをお楽しみあれ。