
Xのフォロワーは90万人超、歌舞伎町での人間模様を描いた小説『飛鳥クリニックは今日も雨』(扶桑社)が大人気のZ李。今度はショートショートで、繁華街で起こる数々の不思議な事件を描く!
罪を犯し、捕まった人間が、唯一外の人と触れ合える「面会」の時間。
ガラス1枚を挟んで話す、その数十分は、人生を変えるのか。それとも……。
本連載のタイトルでもある「君が面会に来たあとで」、どうぞお楽しみください。
* * *
君が面会に来たあとで
百合の花を送るっていうのは、死者を追悼するって意味らしいよ。
俺はそんなことを全然知らないで、マッチングアプリで知り合った彼女にそれを渡したんだ。
青山通りの花屋の店先で、買ってほしそうに首をうなだれていたから。
むしゃくしゃしてたとも違うけど、長く一緒にいた女と別れてさ、代わりがほしかったのか。
いや、そういうわけでもないか。
寂しかったかというと、それも正確ではないし、ただなんとなく気を紛らわしたかっただけというのも違う気がする。
なんと言ったらいいか、とにかく複雑な心境ではあった。
前より上がすぐできるはずはないんだけど、メモリーを上書きするために必死だった。ただ、上書きに上書きを重ねてみたけど、どうしてもだめでさ、そんな時期だった。
すぐにやらせやがってよ、まあそういうアプリだからそんなもんか。
でも全然消えなかった、前の女が。
スタイルも顔も、そいつだって全然負けていないのに、サンクコスト効果ってやつなのかどうも比べてしまって、これでいいのかなじゃないけど、まあ簡単に言うならそんな感じだった。
でも、彼女はとても人懐っこくてさ、俺を取られたくないから一緒にアプリを消さないかってね、まあそう言わせようと誘導したのは俺だったかもしれないけど。
伊勢丹やらエストネーションに行って、めちゃくちゃに服や靴を買ってみたりとかして。
こいつにこれだけやってるんだから、こいつのほうが好きなんだって思い込もうとしてた部分もあったのかな。
時間はなかったけど、金はあったから。
でも、そんな打算ありきで一緒にいた彼女に、本気で惚れてるんだって気付かされる日がくるんだ。
まあ都合よく付き合ってた部分もあるから、当たり前なんだけど。
俺とじゃ幸せになれないなんて始まってさ、わけのわからねえ年上のおっさんに取られた。
海外在住だぜ? ずっと会えなくなってさ。
その時に気づいて、戻ってきてくれって何度もしつこく連絡して奪還してから何年経ったか。
カメラロールには、笑っていたり怒っていたり、たくさんの彼女がいる。
指をスライドしていると、ホテルのプールでインスタ映えするために撮った何百枚ものブロックがあって、そこを通過する時にくすっと笑ってしまう。
北海道を横断しようなんつってレンタカーを走らせて、雪道を俺が飛ばすもんだから半狂乱になったり、空港の鮨屋でウニが旨くて踊ってみたり。
イタリアンで飲み過ぎてぶっ倒れた彼女が、店員さんに車椅子に乗せてもらって運ばれたりなんてのもあったな。
いい加減な俺は、ここを直すあれを直すって何度も何度も約束して、それを結局果たせなかった。最後のチャンスってやつを何度ももらって、何度もそれを無かったことにしてもらってた。
でも、とうとう愛想をつかされた。
俺の刺青に前科、まともな生き方をしていないこと、全部を何度も飲み込もうとしてくれていた。
変わってね? 何度も言われていた。
当たり前だろ? 何度も言っていた。
でもよ、あいつは優しいもんなって。ちょっと時間がかかっても、いつかまともになれば大丈夫だろと思ってた。
無条件に隣にいてくれると思ってた。
甘えてたと言ってもいいのかもしれない。
もう最初の出会いがマッチングアプリだったなんてすっかり忘れた頃に君は言った。
別れたい、そう言った。
想像をしてなかったといえば嘘になる。なんか、最近どこか呆れてた素ぶりだったもんな。
嫌だよ、そう言った。
でも君はかたくなだったから、俺は折れた。
最初に渡したのが一輪の百合だった時から、これは決まっていたのかなってさ。いい歳こいて花言葉を調べたんだ。
純潔、威厳。めちゃめちゃあいつっぽかった。
俺みたいな泥の中に咲く、本当の一輪の純潔だった。俺が隠れて、どんなに黒くなっていっても、真っ白だった。
見せないようにはしていたけれど、きっと全部知っていたんだろう。
先に立つはずのない後悔ばかりが、まぶたの裏側を通り過ぎる。
いつかの冬、忘れた頃に、本当にしょうもないことでパクられてさ。もうこれはさすがに終わっちまったなって思っていたのに、君は何度も面会に来てくれた。
毎回バチっとメイクを決めてくるもんだから、看守のタコに「すげえ女が来てんぞ」なんて言われて、鼻が自然に折れちまいそうなくらい高かった。
その代わりに、随分と恩を着せられた。
そういやそうだ。初めて文字にされたんじゃねえかな。
あれしたらいなくなる。
これを変えなかったらもう終わり。
そんなことが書かれた手紙を、大層大事にしまいこんだくせによ。
娑婆に出てすぐに乗ったアルファードの中で煙を吸い込んだら、降りたときにはもう、辞めたはずの煙草に火をつけていた。そんな風に、またいつもの俺に戻っていたのかもしれない。
初詣の帰り道に、オリオン座のどれが大三角の起点かって話をカメラを回しながら話していた。アルバムを整理していたら、急にあの時のことを思い出したんだ。
連絡先を消してから、季節はいくつ巡っただろうか。
それなのに、花屋の前を通るたび、君をタクシーに乗せた通りに出るたび、前の家の近くにくるたびに思い出す。
でも、あのままでいても俺は君を幸せに出来ていたのかな。君のなってほしい俺に、今頃なれていたのだろうか。
唯一サイレントにしていない飛ばしの携帯が鳴って、3コールでそれに出た。
今日はなんだか会話が入ってこない。隣にいてくれた時に果たせなかった約束だからこそ、今それをするべきなんじゃないかなんて、そんな考えばかりが頭の中をぐるぐる回ってる。
「悪い、もう俺は抜けるわ」
そう言って電話を切ると、初期化した端末は排水溝の中に捨てた。
君がずっと言ってくれていた言葉に、後効きのマリファナみたいに食らってるよ。
あの日、君が面会に来たあと。
俺の生き方は、きっとあそこで変えられたはずなのに、野球中継でよく見るシーンよろしく、結局間に合いはしなかった。
出来んのかな? 俺に。
時計の針は左に回る事はない。それでも、手遅れだとしても、君がなってほしかった俺になってみようと思ったんだ。
吸おうとして取り出した煙草をくしゃくしゃの箱に押し込むと、晴れてるくせに突然雨が降ってきて、アスファルトからは懐かしい匂いがした。
Photograph:TOYOFILM @toyofilm
君が面会に来たあとで

Z李、初のショートショート連載。立ちんぼから裏スロ店員、ホームレスにキャバ嬢ホスト、公務員からヤクザ、客引きのナイジェリア人からゴミ置き場から飛び出したネズミまで……。繁華街で蠢く人々の日常を多彩なタッチで描く、東京拘置所差し入れ本ランキング上位確定の暇つぶし短編集、高設定イベント開催中。