
北九州を拠点とする凶悪な組織・工藤會対策に従事してきた、福岡県警元刑事・藪正孝氏による新書『暴力団捜査とインテリジェンス』が刊行されました。情報収集、駆け引き、交渉etc.武闘派に頭脳で迫った歴史的闘いの一端をお届けします。
工藤會五代目継承式の口上「引退ではございません」
溝下の死後三年が経過した平成二十三年七月十二日、五代目工藤會会長を田上会長が継承し、野村総裁は五代目工藤會総裁に就任した。工藤會ナンバー3の理事長には、その前月に五代目田中組組長を継承していた菊地敬吾が就任した。
元警部事件など三事件は、何れも野村総裁絶対の体制確立後の事件だ。
一審、二審とも、状況証拠の積み重ねにより三事件については、野村総裁の下、田上会長、菊地理事長らの指示による工藤會の組織的事件だったと認定している。
通常、暴力団トップは、組を名乗る組織は組長、一家や会を名乗る組織は会長や総長を名乗っている。総裁は組長、会長、総長の上位に位置するが、通常は隠居的存在、名誉職と言われている。だが、五代目工藤會では違った。引き続き野村総裁が工藤會トップだった。
それは、野村総裁が総裁に就任した平成二十三年以後の野村総裁の地位、行動等に関する複数の状況証拠により認定されている。
これについて、福岡高裁は、次のように、一審・福岡地裁の認定を是認している。
後記第5ないし第7でみるとおり、五代目工藤會における重要事項についての意思決定の在り方等は本件3事件における事実認定、特に被告人両名の共謀の認定に係る証拠構造の中核をなすものである。被告人野村の立場及び被告人両名の関係性を踏まえ、五代目工藤會における重要な意思決定は、被告人両名が相互に意思疎通をしながら、最終的には被告人野村の意思により行われていたものとみるのが合理的である、と結論付けた原判決(※一審・福岡地裁判決)の認定説示は正当であって、当裁判所も是認することができる。
所論(※弁護側主張)は、被告人野村の総裁の肩書は、会長を引退した後のいわば名誉職であり、賀状などで形式的には最上位とされているとしても、五代目工藤會の実質的な意思決定に関与してはいなかった、という。
しかしながら、原判決が説示するとおり、被告人野村は、五代目工藤會総裁となって以降も、他の暴力団組織との交流の場において、被告人野村の紹介を忘れるなどしてその面子を潰した幹部組員(※慶弔委員長)の絶縁処分等に関与するなど、実質的な意思決定にも関与していたと認められるから、所論は採用できない。(福岡高等裁判所判決要旨)
一審の福岡地裁も指摘しているのが、五代目継承式での媒酌人の発言だ。
多くの暴力団同様、工藤會は、五代目工藤會継承式のビデオ動画を制作しており、私も確認している。
継承式には友好関係にある太州会会長、道仁会会長、熊本会会長に加え、東京の住吉会会長らも出席している。
そして、式を取り仕切る媒酌人は、東京の丁字(ちようじや)家会・吉田五郎会長だった。吉田会長は、山口組六代目組長継承式の媒酌人も務めている。暴力団組織では、通常、代替わりの継承式では、継承が宣言されると、先代と当代トップが互いの席を入れ替わる。山口組六代目継承式でも、先代・渡邉芳則組長と当代・司忍こと篠田建市組長とが席を入れ替わっている。
ところが、工藤會五代目継承式で、吉田会長は、「盃事が相(あい)済みますれば、本来なれば席が入れ替わる訳でございますが、野村殿は引退ではございません。総裁と相なられましたので、席改めはございません。なにとぞご了承のほどお願いを申し上げます」と異例の口上を述べている。
これは、野村総裁は引退した訳ではない、引き続き工藤會トップであるとの宣言だ。
さらに福岡地裁が次のように重視したのが、慶弔委員長の絶縁処分と工藤會本部事務所の売却についてだった。
4 弁護人の主張について
これに対し、弁護人は、五代目工藤會発足以降、被告人野村悟は当代を退いて隠居する総裁という立場にあり、工藤會の運営に一切の権限を有さず、実際にも加わっていなかった、被告人野村悟が五代目工藤會において序列1位であったことに間違いはないが、それは形式上の序列にすぎない旨主張するので、以下検討する。 前記のとおり、被告人野村悟は、五代目工藤會内において実質的にも最上位の立場にあり、工藤會の重要事項について意思決定を行っていたと認められるところ、このことを端的に示すエピソードが、(1)五代目工藤會執行部の慶弔委員長であったTが絶縁処分を受けた件と(2)工藤會の本部事務所の売却の件である。(福岡地裁判決要旨)
一つ目は、この継承式の直後に野村総裁名で、工藤會最高幹部の一人である慶弔委員長・T組長を「絶縁」としたことだ。
継承式の二日後の七月十四日、野村総裁、田上会長及び慶弔委員長ら執行部が、関東の主要暴力団を訪問し、そのトップらに対し継承挨拶を行っている。
相手暴力団トップらに野村総裁らを紹介する役目が慶弔委員長のT組長だった。ところが、某団体総裁方でT組長は野村総裁を紹介することを失念してしまった。激怒した野村総裁は、挨拶への同行を取りやめ、田上会長らを残し帰県してしまった。
田上会長と執行部メンバーは引き続き各団体への挨拶を続けた。情報では、田上会長はT組長に対し「謹慎」等、比較的軽い処分を考えていたようだ。
ところが、田上会長らが引き続き他団体への挨拶回りを続ける中、七月十四日付で、野村総裁名でT組長赤字絶縁状が関係団体に送付されたのだ。
暴力団捜査とインテリジェンス

歴史的闘いの全貌全国の指定暴力団の中で、唯一、特定危険指定暴力団に指定された、北九州を拠点とする工藤會。
一般市民、事業者への襲撃を繰り返すこの凶悪な組織と対決してきた福岡県警は、「工藤會頂上作戦」で、戦術的にも戦略的にも大きな成果を収めた。
その背景には、従来イメージされてきた武闘的対決ではなく、インテリジェンスの収集、分析、それに基づく戦略的対策という試みがあった。
工藤會対策に従事した福岡県警元刑事が、これまで明かされなかった戦いの裏側と、道半ばの暴力団壊滅への思いを綴る。