1. Home
  2. 生き方
  3. アウトドアブランド新入社員のソロキャンプ生活
  4. 退路はどこにも存在しない

「南無阿弥陀……」

 

かれこれもう15分くらい念仏を唱えている。

青森まで来て、いったい何をしているのだろう。

 

突如、青森に行きたいと思い立ち、夜行バスの比較サイトを開いた。

 

深夜0時前。新宿のバスタから青森行きの夜行バスに乗りこんだ。翌8時には、JR青森駅に着いた。

駅の近くにあったファミレスで朝食を摂り、軽く旅行の日程を立てる。初めの予定まで少し時間があったので、シードルの醸造工程が見れる「A-FACTORY」という商業施設へと行ってみることに。

 

陸奥湾を見渡せる港にそびえ立つA-FACTORYは近代的で洗練されていた。

シードルって飲んだことないな、美味しいんかな、名前はカッコいいよなと、A-FACTORYが目の前に見える広場でシードルに想いを馳せていた。

 

すると、向かいから作業服を着た男性が、私を見つけるなり声をかけてきた。

 

「たぶの人?」

 

歳の頃は三十代後半。甘いマスクの中に渋みもあるダンディーなお兄さんが何か言っている。しかし、なんて言っているのかが全く分からない。

 

「たぶの人?」

 

三回は聞き直した。

 

「旅の人?」ようやく理解できた。

 

ダンディーなお兄さんの脇には観光パンフレットが抱えられていた。おもむろにそのパンフレットを広げると「五所川原のねぶた」が凄いから車で案内してあげるとおっしゃるのだ。

 

作業服で青森県のパンフレットを持っていて、観光スポットで声をかけてきた。しかも、案内までしてくれると言う。

この人は市か町の観光課の人かと、ひとり納得した。

 

幸先がいい。時間は持て余していたし、なにより旅っぽいし、ねぶたも見てみたかった。

 

ダンディズムおにいは、これまでに50、60人を案内してると言うのだ。

これは安心だ。私の知ってる青森出身の人はみな良い人だし、大丈夫だろう。信じてついて行くことにした。

 

駐車場まで歩きながら話をしていると、ダンディズムおにいはリフォーム会社の人だということが判明した。

 

ん? 観光案内をするという行動と部屋の壁紙を張り替える職業が全く結びつかない。冷や汗が背筋に流れた。

 

動揺で心臓の鼓動が早まる中、車に乗り込み、おそるおそる聞いてみた。

「なんでこんな活動しているんですか?」

 

すると、一枚のチラシを見せてくれた。

 

○×○×教団

 

りんごが落下するのをみて、万有引力の法則を閃いたニュートンよろしくすべてが繋がった。

 

そして、ちょっとだけ体験していこうよと言うのだ。

すでに車に乗せられているし、もう辺りには田んぼしか見当たらない。こんな津軽平野のど真ん中で降ろされても困る。退路はどこにも存在しなかった。

 

会社に電話するねと、ダンディズムおにいが一言。

 

「一名、入信いきます」

 

 

えっ? 体験じゃないの? いつのまに入信?

急にとてつもなく怖くなってきた。そもそも、なにを拝むのかも知らない。りんごの神様? それなら可愛いから信仰してもいい気がする。りんご教なら、やはり山奥に連れて行かれるのだろうか。

いやいや、待て待て。なんにしても、おっかなすぎる。

 

しかし、ダンディズムおにいは、どう見ても悪人には見えない。

「ある人は信仰してから腰痛が治ったんだ」「僕も信仰してから体の調子がいいんだ」と、お母さんにリザードンが如何に強いか熱弁する子どもにしか見えない。

 

「宗教」という言葉を耳にしただけで、人の善意を無駄にしてもいいのだろうか。私は、ダンディズムおにいという「人」を見ることに努めた。

 

りんご神を拝むことができるという彼の会社へと車はぐんぐん走る。

やがて住宅街へと入って行き、数分で会社に着いた。たしかにリフォーム会社のようだ。とりあえず山奥じゃなくて安堵。

 

小さなプレハブの小屋へと案内された。

扉を開けると、四畳ほどのフローリングが広がり、奥には仏壇があった。部屋の片側が黒いレースのカーテンで仕切られており、そこには大きなダイニングテーブルが一台とイスが四脚置いてあった。カーテンの向こう側に目を凝らすと、髪の長い年配の女性がこっちを見ていた。思わず肌が粟立った。

 

もう生きては帰れないかもしれない。

ただ、シードルが飲みたかっただけなのに。

 

すると、その黒いレースのカーテンから、りんごのようなテカテカした頭の社長さんが出てきた。

ジョナゴールドが歩いている! と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。社長も悪人には見えない。なんならめちゃめちゃ良い人だとすら思う。

 

ところが、世間話が終わると、私の気持ちなんて置き去りにして、儀式は始まった。

 

「南無阿弥陀……」

 

かれこれ15分くらい念仏を唱えている。

ぼくは青森まで来て、いったい何をしているのだろう。

 

結局、なにごともなかった。

 

約束通り、五所川原のねぶたの施設に連れて行ってくれた。入場料まで出してくれ、見学も最後まで付き合ってくれた。

 

さらに青森駅までまた一時間かけて送ってくれると言う。

さすがにダンディズムおにいに悪いのと、まだ少し怖かったので、電車で青森駅まで帰った。

 

りんご教団から生還して青森駅で飲んだシードルは、すこし渋かった。

五所川原のねぶた、たしかに美しかったけど恐怖であまり覚えていない。
ダンディズムおにいと邂逅した港。

 

{ この記事をシェアする }

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP