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君が面会に来たあとで

2025.08.05 公開 ポスト

「最後のレバーオン」不法滞在者が帰れない理由。“紹介者”からパスポートを取り戻せ!Z李

Xのフォロワーは90万人超、歌舞伎町での人間模様を描いた小説『飛鳥クリニックは今日も雨』(扶桑社)が大人気のZ李。今度はショートショートで、繁華街で起こる数々の不思議な事件を描く!

 

今回の舞台は、店員も客も中国人の多い、故郷の味がウリの中華料理店「福来軒」。

いつもの通り、スロット帰りの常連が……どうやら今日は、ヤケ酒を飲みにやってきたようです。

 

 

*   *   *

最後のレバーオン

 

新宿大久保の「福来軒」は、夜中まで営業する中華料理店だ。観光客向けじゃない。この辺りに住む中国人が、懐かしさや同郷の者との交流を求めて来る店。

キッチンで皿洗いをしていた蘭は、同僚の声で顔を上げた。

 

「あれ、また来たよ」

 

同僚がサービス窓から覗き込むように言う。

カウンター席、一番端。パーカーを着た男がひとり、ビールを飲んでいた。

無精ひげを生やし、髪もボサボサ。

 

「洋介さん、今日も負けたね」

 

周りに誰もいないことを確認して、蘭は普段より大きな声で皿を洗い続けた。

洋介は福来軒に週に3回は来る常連だ。

やって来るのは、いつもテッペン前の閉店間際。スロットの帰りらしい。

1人で飲み、炒飯を食べて帰る。

日によって表情が全然違う。大勝ちした日は、餃子を何枚かおかわりしながらレモンサワーを頼み、負けた日は沈み込みながら炒飯を食べている。

 

「今日も全然出なかった?」

 

カウンターに出て、遠慮がちに聞く。

 

「ああ……スマスロとかゴミだわ、ガチで全然出ねえわ」

 

洋介は疲れた顔で笑った。

 

「おれ、そろそろ引退しようかな」

 

蘭は手早く皿を並べ替え、さりげなく相槌を打った。

 

「いつもそう言って、また明日も行くくせに」

 

辺りを見回すと、店長の姿はない。

 

「いま……店長、いません。少し話せます」

 

洋介は軽く頷いた。

 

「そっちこそ、いつまでこんな店で働いてんの?」

 

蘭は23歳。中国・福建省出身。

観光ビザで来日し、そのまま残った、いわゆる不法滞在者。

パスポートは「紹介者」に預けられ、月給の半分は「保護費」として持っていかれる。

 

「私は……そろそろ帰ります。中国に」

 

蘭は小声で答えた。

 

「え? いつ?」

「来月、多分」

「本当に帰れんの?」

 

洋介が訝しげな表情を浮かべる。

蘭はぽつりぽつりと話し始めた。

 

故郷の母親が病気だと連絡があったこと。

母とはもう3年も会っていないこと。

紹介者に「保護費」を多めに払って、パスポートを返してもらう約束をしたということ。

 

「でも、また来る? 日本に」

 

洋介が尋ねた。

蘭は首を振る。

 

「もう無理です。2度目はビザ、おりません」

 

沈黙が流れた。

 

2人が知り合ったのは半年前。洋介が酔い潰れて店のテーブルで寝ていた時、蘭が苦労しながら介抱して起こした。警察を呼んでも彼女にとってもまずいことになる可能性があったから。

それ以来、閉店間際に彼が来ると、こうして少しだけ話すようになった。

 

「閉店作業、いつまで?」

「今日は……3時」

「終わったら少し、どこか行かない?」

 

蘭は困ったように店内を見回した。

 

「あの……スミマセン、私、外で会うのは……」

 

それに夜間の職質でやっかいな目にあった知り合いもいるし、出たらアパートへ直帰するルールがあった。

 

「日本人と仲良くしている外国人がいる」

 

同胞からの密告も多い。

 

「分かった、悪い」

 

洋介は小さく笑った。

 

店のドアが開き、同じパーカー姿のスロット仲間が入ってきた。

 

「おい、洋介! カサブランカでゲリライベ!」

「マジかよ!」

 

洋介は立ち上がった。

この街は本当にとんでもなくて、表のパチ屋が閉まると裏スロが開く。カサブランカはたまにゲリラで高設定イベントをやる、ションベン駐車場の裏手の店だ。

 

「ごめん、行くわ」

 

レジに会計を済ませると、洋介は無言で店を出た。

蘭は「またね」と言えなかった。

 

次の週、洋介は来なかった。その次の週も。

 

「あのスロットの人、もう来ないね」

 

同僚が聞いてきた。

 

「うん」

 

蘭は強がって笑った。

 

「もういいよ。私も、すぐ帰るから」

 

翌日の夜中、カウンターには別の男が座っていた。

蘭と同じ中国人。紹介者の手下だ。

 

「まだ足りない」

 

男は冷たく言った。

 

「あと15万」

「でも、約束は……」

「為替レートが変わった」

 

嘘だ。こうやって足元を見られるのは、いつものこと。いくら払っても、パスポートは戻ってこない。

 

「分かりました……頑張ります」

 

蘭は俯いた。

 

シフト終了後、大久保の小さなアパートに帰る道。

四畳半の部屋で、同じ境遇の中国人女性3人と暮らしている。

 

後ろから足音がした。

振り返ると、見慣れたパーカー姿。

 

「おい、ちょっといいか」

 

洋介だった。顔色が良く、興奮した様子だ。

 

「どうしたんです?」

「勝った。クソ勝った」

「え?」

 

洋介は笑った。

 

「あれから昼夜ぶっ通しで打って、150万勝った。いまだかつてない大勝ちだ」

「これから、どうするんですか?」

「知るかよ。でも、1つだけやりたいことがある」

 

そう言って、洋介はポケットから紙を取り出した。

蘭に手渡す。

開くと、それは飛行機のチケットだった。

中国・福建省行き。2週間後の日付。

 

「なにこれ……」

「勝った金で買った。パスポートも取り戻すよ」

 

蘭は言葉を失った。

 

「え……なんで?」

 

小降りの雨が降り始めた。

2人は鬼王神社の裏路地で雨をしのぎながら話した。

 

「私、これ受け取れません」

「なんでだよ」

「返せないから」

 

洋介は黙ってベンチに座り、蘭の手を握った。

 

「いいんだ。俺も一緒に行く」

「え?」

 

洋介は恥ずかしそうに頭をかいた。

 

「お前がいなくなるなら、俺もここにいる意味はないから」

 

蘭の目に涙が浮かんだ。

 

「私、中国に帰っても……またどこかに行きます。韓国か、台湾か……」

「それでも会えるじゃん」

「そんな……無理です」

「どこでもいい。お前と一緒なら」

「バカです。仕事もない、スロットも打てない国で、どうやって生きるんですか?」

「知らんけど、なんとかなるって。それに俺、パチスロそんな好きじゃなかった。なんかさ、あれに逃げてたんだ。普通に働く方が稼げるかもしれないしな」

「ホント、バカです……」

 

洋介はポケットからもうひとつ、小さな紙を取り出した。

 

「片道。お前と同じ日に飛ぶやつ」

 

蘭はその紙をじっと見つめた。

そして笑った。少し泣きながら。

 

「でも、パスポート……」

「なんとかする」

「それ、危ないです」

「知ってる」

 

小さな公園で、2人は雨音を聞きながら座っていた。

洋介が中国語の単語帳を取り出した。

 

「お前の国の言葉、少し覚えたよ」

「教えて」

「ウォー・アイ・ニー」

 

蘭は吹き出した。

 

「発音、ひどいです!」

 

雨は止まず、むしろ強くなった。

けれど2人は気にしなかった。

 

1週間後、福来軒の夜のシフトだ。

洋介がいつものカウンター席に現れた。

蘭は彼の様子がいつもと違うことに気づいた。

 

「どうしました?」

 

蘭がお茶を置きながら小声で尋ねる。

洋介は周りを見回して、小さな封筒を渡した。

 

「これ」

 

蘭が開くと、中にはパスポートが入っていた。

 

「どうやって……」

 

蘭は驚きのあまり言葉に詰まった。

 

「聞かないほうがいい」

 

洋介の顔には疲れが浮かんでいた。

額にはジュクジュクになった傷パワーパッド。

腕を押さえる仕草から、体のどこかを怪我しているのが分かる。

 

「大丈夫ですか?」

「うーん、大丈夫信頼度80パーかな。へへ」

 

店長の視線が2人に向けられた。

蘭は急いで厨房に戻る。

 

閉店後、店の裏口で洋介が待っていた。

 

「航空券の日付まであと1週間。準備とか、してる?」

 

蘭は泣きそうな顔で頷いた。

 

「私のため、なにしたんですか?」

 

洋介は笑った。

 

「ただの大勝負さ。最後のスロットみたいなもんだよ」

 

嘘だと分かっていた。

彼がパスポートを取り戻すために、なにをしたのか。

紹介者との交渉? 暴力? 金? それとも別の危険な取引?

 

「行くんですか? 本当に?」

「ああ、もちろん」

 

蘭は洋介の腕を取った。

 

「もう、危ないことしないで」

「約束はできない。でも開眼チャレンジは勝負しか選ばねえんだ」

 

洋介が蘭の頬に触れた。

 

「なに言ってるか、分からないよ」

 

その時、路地の入り口に人影が現れた。紹介者の手下だ。

 

「行かないと」

 

蘭が身を引く。

 

「明日、また来る」

 

洋介はそう言って立ち去った。

 

1週間後。

成田空港の出発ロビー。蘭はゲートの前で落ち着かない様子で時計を見つめていた。

出発まであと40分。洋介の姿はない。

電話は繋がらない。約束の時間を30分過ぎていた。

 

「最終搭乗案内。福建行き……」

 

アナウンスが流れる。

その時、ゲートの方から声がした。

 

「蘭!」

 

振り返ると、洋介が走ってきた。

まだジュクジュクの傷パワーパッドが剥がれかけてブラブラとなびいていて、服は乱れていた。

 

「遅いです!」

 

蘭が泣きそうな顔で言う。

 

「ごめん……ちょっと、トラブルがあって」

 

洋介の目は血走っていた。

 

「大丈夫ですか?」

「ああ、なんとか」

 

2人は急いでゲートへ向かう。パスポートチェックを通過し、飛行機に乗り込んだ。

 

座席に座ると、洋介はようやく肩の力を抜いた。

 

「終わった」

「なにが?」

「全部。日本での生活。もうスロットも打てない」

 

蘭は黙って洋介の手を握った。

 

「これから、どうするんですか?」

「知らん。でも、なんとかなるだろ。俺は日本語教えるとかして」

 

洋介は疲れた顔で笑った。

 

「本当に、働けますか?」

「スロニートより、マシになるだろ」

 

飛行機が滑走路に向かって動き出す。

洋介はパーカーのポケットから、なにかを取り出した。

古いパチスロのメダル。

 

「ほら、これお守り。初めて勝った時のやつ」

 

蘭はそれを見て微笑んだ。

 

「しっかり保管してたんですね」

「ああ。最後の勝負の時も持ってた」

「縁起がいいですね」

 

その時、洋介の携帯が震えた。日本の番号からのメッセージ。

 

「カサブランカ、全6なのか……」

 

洋介は画面をにやっと笑った。

 

「大丈夫?」

「ああ、あそこでいくら出しても、また街に吸われるだけだから」

 

飛行機は高度を上げていく。2人は窓の外を見つめていた。

眼下に広がる東京の街が、どんどん小さくなっていく。

洋介のパーカーが少し開き、シャツの下の包帯が見えた。

 

「本当に、大丈夫なの?」

「ああ、なんとかな」

 

蘭はそっと洋介の腕に触れた。

 

「バカですね、私たち」

 

洋介は笑った。

 

「スロニートと不法滞在の恋人、か。映画みたいだな」

「でも、映画より、長く続くといいな」

 

蘭が小さく言った。

 

飛行機は雲の中に入り、日本の景色は見えなくなった。

洋介は窓から顔を離し、隣の蘭を見た。

 

「お前と一緒なら、どこでも天国ループ」

「なに言ってるか、分からないよ」

 

これは始まりなのか、終わりなのか。

手のひらのメダルは、カチャカチャと音を立てながら笑っていた。

 

 

Photograph:TOYOFILM @toyofilm

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君が面会に来たあとで

Z李、初のショートショート連載。立ちんぼから裏スロ店員、ホームレスにキャバ嬢ホスト、公務員からヤクザ、客引きのナイジェリア人からゴミ置き場から飛び出したネズミまで……。繁華街で蠢く人々の日常を多彩なタッチで描く、東京拘置所差し入れ本ランキング上位確定の暇つぶし短編集、高設定イベント開催中。

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Z李

座右の銘は「給我一個機会,譲我再一次証明自己」。経歴不詳、表と裏の境界線上にいるインフルエンサー。X(旧Twitter)のフォロワー約90万人超。週刊SPA!にて2021年より2年にわたり、長編小説『飛鳥クリニックは今日も雨』を連載、2023年に書籍化。2025年4月17日より、配信サイトLeminoにてドラマ化される。

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